京都市上京区東堀川通一条東入ル(一条戻橋のすぐ東)に「小野小町雙紙洗水遺跡・小野通」と書かれた石碑がありました。 小松帯刀の寓居跡を探していたときに道を隔てて向かい側にあったのがこの大変小さな石碑です。 昔、小野小町が草紙洗いに使ったという伝説にまつわる井戸があり、小町伝説地なのです。 宮中での歌合せの会でお互いに競うこととなった大友黒主と小野小町。 歌ではとてもかなわないと思った大友黒主は小野小町の名声を妬んでいたこともあって小町を落としいれようと、宮中での歌合せの前夜秘かに小町の邸に忍び込みます。 そして、小町の詠草 『蒔かなくに何を種として浮草の波のうねうね生ひしげるらん』 を盗み聞きし、それを『万葉集』に書き込み、歌合せの席でその草紙を突きつけて小町の歌は盗作だと言いはります。しかし身に覚えのない小町は、一計を案じ白金のたらいに水を汲ませ、草紙を水に浸して洗ってみせました。するとあとから書き入れた部分だけは一字も残らずに消えてしまい、小町は身の潔白を証明することができました。 黒主は自害しようとしますが小町の取りなしで帝も許され、めでたい雰囲気となり、小町は勧められて和歌の徳を讃えた舞を舞います。 この時に使った水は、古くから京の名水の一つとして知られる「清和水」で、この伝説によって草紙洗水と呼ばれるようになったといわれます。 大友黒主は、平安時代前期の歌人で、小野小町と並んで六歌仙の一人として知られ(残る4人は僧正遍昭・在原業平・文屋康秀・喜撰法師)、『古今和歌集』などに秀歌があり、志賀の大友郷が発祥の地とされている氏族であることから“志賀の黒主”の異名があります。 因みに大伴氏(淳和天皇の名が大伴親王であったことから大伴氏から伴氏に変名した) とはまったく別の氏族です。
紀貫之が選んだ六歌仙は藤原氏によって不遇な死を遂げた文徳天皇の治世に生き、藤原良房の陰謀に関わっている。 在原業平は清和天皇がまだ幼少であった頃に婚約者である藤原高子と恋愛に落ち、問題を起こした。 僧正遍昭は仁明天皇崩御の際に身の危険を感じて出家した。仁明の宮廷に使えていた頃、東宮に勤務していたがその頃は惟仁親王(後の清和で、第四皇子)は誕生していないので、彼の管轄は紛れもなく惟喬親王(第一皇子)であった。 文屋康秀は文徳天皇即位直後に理由不明の左遷を受けている。 喜撰は陰陽道を得意とする隠遁者である。喜撰は紀仙と当てて、紀名虎の子であるという伝承があるらしいが、ほんとうとすると文徳妃の紀静子が名虎の子であるから両者は兄妹ということになる。小野小町は云うまでもなく絶世の美女と称されているが正体は全くといっていいほどわからない。 ただひとつ、文屋康秀が三河掾(三河守に次ぐ三等官)に任じられたときに、任国への視察に誘っている。そのとき小野小町は受け入れているのである。小野小町に都落ちをしなければならない事情があったのかもしれない。
惟喬親王に加担したこれらの5人はある意味で謀反人であるが、寛大な処分の末六歌仙に選ばれるという名誉を得たのである。 この理由として文徳天皇は5人の処罰によって怨霊を恐れたことは間違いない。なぜなら桓武(早良親王の祟り)、平城(伊予親王の祟り)、仁明(橘逸勢の祟り)と先の天皇が悩まされていたことを知っており、今度は自分に降りかかると信じていたからである。ところで惟喬親王はというと後継者争いの末敗れて都を去り出家して素覚法師と名乗り隠棲する。 その隠棲の先が比叡山麓小野の里である。ここは小野氏発祥の地で小野妹子の墓、小野篁を祀った神社もある。つまり小野は惟喬親王が選んだ地でわかるように小野小町は惟喬親王派でありかなり高い地位にあったと思われる。そこで小野小町は惟喬親王の父である仁明天皇の更衣だったのではないかとも云われている。これが小野吉子という女性である。そして小町は惟喬親王の乳母であった可能性もある。
伊都内親王?-861(桓武皇女)
是公娘・吉子-807 ┣ 在原行平818-893
┣ 伊予親王?-807 伊勢継子772-812┣ 在原業平825-880
┃乙牟漏皇后 760-790 ┣阿保親王792-842
┃┣ 高志内親王789-809 ┣高岳親王799-865
┃┣ 安殿親王 774-824(51平城天皇)
和新笠 ┃┣ 賀美能親王784-842(52嵯峨天皇)
┃ ┃┃ ┃┃┏藤原乙春842-866
┣山部王(桓武)┃┃┗藤原沢子 -839 藤原元善?-?
┃ 737-806 ┃┃ ┃┗藤原佳美子-898 ┃平等子?-?
┃ ┃┃ ┃ ┣- ┃┣-
┃ ┃┃ ┣58光孝天皇830-887(時康親王)
┃ ┃┃ ┃┃┃ ┏藤原時平871-909
白壁王709-781 ┃┃ ┃┃┣源旧鑑?-908 ┗藤原穏子885-954中宮(時平・妹)
(49代光仁天皇) ┃┃ ┃┃┣源和子-947(女御) ┣康子内親王919-957(師輔妻)
┃┃ ┃┃┣忠子-903┣慶子内親王┃ 藤原安子927-964(師輔娘)
┃┃ ┃┃┗周子-912┣常明親王 ┃ ┣63冷泉天皇950-1011
┃┃ ┃┣為子内親王┃ ┃-948┣64円融天皇 壮子女王930-1008
┏━━━━━━┛┃ ┃┃高藤 ┃┃ ┃ ┣為平親王952-1010┣具平親王964-1009
┣有智子内親王 ┃ ┃┃┣定方 ┃┃ ┣成明親王(62村上)926-967
┃母交野女王斎院┃ ┃┃┃┗能子┃┃ ┣寛明親王(61朱雀)923-952
┃ ┃ ┃┃┗胤子┃┃┃ ┃藤原時平871-909 ┣昌子内親王950-1000
┃ ┃ ┃┃ ┃┃┃┃ ┃┣保志890-936 ┃(和泉式部┣-
┃ ┃ ┃┃ ┃┃┃┃ ┃┣褒子(宇多女御)┃ 奉仕)┣-
┣源貞姫810-880 ┃ ┃┃ ┃┃┃┃藤原淑姫 ┃┣仁善子-946 ┃ 63冷泉天皇
┃(布勢氏) ┃ ┃┃ ┃┃┃┃┃藤原桑子┃廉子女王┣煕子女王-950
┃ ┃ ┃┃ ┃┃┃┃┃┃和香子┃ ┣慶頼王920-925
┃ ┃ ┃┃ ┃┃┃┃┃┃┃-935┣保明親王903-923(第二皇子 醍醐皇太子)
┣源潔姫809-856 ┃ ┃┃ ┣60代醍醐天皇885-930延喜帝
┃(当麻)┣明子 ┃ ┃┃ ┃ ┃┃┃┣克明親王903-927(第一皇子),宣子内親王(斎院)
┃藤原良房┗文徳┃ ┃┃ ┃ ┃┃┃源封子(更衣 源旧鑑娘)
┣源信810-869 ┃ ┃┃ ┃ ┃┃┣代明親王904-937(邸宅は伊尹,行成の邸とす)
┃(広井氏) ┃ ┃┃ ┃ ┃┃藤原鮮子-915┣源重光 923-998
┣源弘812-863 ┃ ┃┃ ┃ ┃┃ ┣恵子女王925-992(伊尹妻 義孝母)
┃(上毛野氏) ┃ ┃┃ ┃ ┃┣重明親王-954┣壮子女王930-1008(村上帝妃具平母)
┣源融823-895 ┃ ┃┃ ┃ ┃源昇娘 ┣厳子女王?-?(頼忠妻 公任母)
┣源勤824-┣源昇┃ ┃┃ ┃ ┣勤子内親王 定方娘
┃(大原氏)┗源湛┃ ┃┃ ┃ ┣源高明914-982
┣源定816-863 ┃ ┃┃ ┃源周子 ┣俊賢959-1027
┣源鎮824-881 ┃ ┃┃ ┃-935 ┣明子965-1049
┣基子内親王-831┃ ┃┃ ┃ 愛宮 ┣頼宗、能信、寛子
┣基良親王-831 ┃ ┃┃ ┣敦実親王893-967 藤原道長966-1028
┣忠良親王-876 ┃ ┃┃ ┃ ┣源雅信920-993 ┣彰子、頼通、教通
┃(百済系) ┃ ┃┃ ┃ ┃ ┣源倫子964-1053
┣仁子内親王-889┃ ┃┃ ┃ ┃穆子931-1016 藤原温子 菅原衍子 橘義子 源貞子
┃(大原氏) ┃ ┃┃ ┃時平娘 ┃
┣源常812-854 ┃ ┃┣ 源定省(59宇多天皇)867-931
┣源明814-853 ┃ ┃┣ 簡子内親王-914 ┣雅明親王,行明親王,載明親王
┃(飯高氏) ┃ ┃┣ 綏子内親王-925 藤原褒子?-?(時平娘 元良親王と恋愛)
┣源清(秋篠氏) ┃ ┃斑子女王? ┗━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃ ┃ ┏紀有常815-877 ┣-
┃ ┃ ┃ ┣紀静子-866(文徳天皇更衣) ┃
┃ ┃ ┃ ┗紀種子-869(紀名虎・娘) ┃
┣宗子内親王-854┃ ┃ ┣常康親王-869 藤原乙春842-866 ┃
┃(高階氏) ┣正良親王(54仁明天皇)810-850┣藤原淑子838-906 ┃姣子女王?
┣源寛813-876 ┣正子内親王┃ ┣ - ┣藤原基経836-891 ┃┣元長親王901-976
┃(安部氏) ┃810-879 ┃小野吉子(更衣) ┣藤原高子842-910 ┃┣元利親王?-964
┃ ┏━━━━┛ ┃ ┃┏藤原長良 802-856 ┃┣- ┃┣長子内親王?-922
┃橘嘉智子┏━━━━┛ ┃藤原冬嗣775-826 ┃在原業平 ┃┃
┃786-850 ┣恒貞親王825-884 ┃┣藤原良相811-867 ┃ ┃┃
┃ ┃(仁明皇太子) ┃┗藤原良房804-872 ┣57陽成天皇876-884
┃ 淳和天皇786-840 ┃ ┣藤原明子 829-900 ┃ ┃
┃ ┣恒世親王805-826 ┃ ┣藤原基経(養子)┃ ┃在原行平娘 ┃
┃ 高志内親王789-809 ┃ 源潔姫810-856 ┃ ┃┣- ┃
┣源生821-872 ┃ ┣清和天皇850-881┣元良親王
┃(笠氏) ┃静子(更衣)紀名虎娘 ┃ ┣- ┃890-943
┃ ┃┣惟喬親王(第1皇子)┃ ┃ ┃
┣源安822-853 ┃┃844-897 ┃ ┃ ┣元平親王
┃(粟田氏) ┣道康親王(55文徳天皇)836-858┏源厳子 ┃?-958
┣純子内親王-863 藤原順子809-871(冬嗣・娘) ┣源能有 藤原遠良娘?-?
┗斉子内親王-853 伴氏娘
(文屋氏)