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ユダヤ-15 偽ユダヤ人の噂

2019年02月06日 | 世界史-中東.アジア・アフリカ

 紀元後70年にイスラエルを脱出したユダヤ人は1948年にイスラエルに戻った。そのユダヤ人にはアシュケナージと言われるヨーロッパ系とスファラジーと言われるスペイン、ポルトガル系に大別できる。

 ところで、イスラエルの初代首相デイビッド・ベングリオンは以下のような発言をしていた。「モロッコから来たユダヤ人は何の教育も受けていない。彼らの習慣はアラブ的である。私が好きではないモロッコ文化がここにある。私たちはイスラエル人がアラブ的になって欲しくない。私たちは個人と社会を破壊してしまう『レバント(東地中海沿岸地方)精神』と戦い、ディアスポラ(離散)のなかで作り上げて来た本当のユダヤ的な価値を維持しなければならない」 イスラエル第4代首相ゴルダ・メイアは、スファラディ系ユダヤ人に対して人種差別的な傲慢さを明らかにした。「私たちはモロッコ、リビア、エジプトその他のアラブ諸国からのユダヤ移民を抱えている。私たちはこれらのユダヤ移民たちを適切な文化レベルまで引き上げてやらなければならない」イスラエル外相を務めたアバ・エバンは、スファラディ系ユダヤ人とアラブ世界に対する偏見をはっきりと言い表していた。「私たちが自分たちの文化的状況を見るにつけ、心痛むことが一つある。それはアラブ諸国からやってきたユダヤ移民たちが、やがて優位に立ってイスラエル政府に圧力をかけることになり、隣国すなわちアラブ諸国の文化レベルにまで落としてしまわないかということである」

 つまり、アシュケナージと言われるヨーロッパ系ユダヤ人は偽ユダヤ人だと言う。そしてこれらをカザール人だとした。これは本当のことなのか? カザールというのは、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス、黒海沿いに栄えた遊牧民族およびその国家である。西は東ローマ帝国に、南はイスラムの国に、東はロシア・モンゴルに挟まれていた。8世紀、カザールのプーラン王はユダヤ教に改宗し、支配貴族全員に改宗をすすめたが、10世紀になると滅亡し、ロシア・モンゴルに攻められた為に、北上し西ヨーロッパへ移動した。故にアシュケナージと言われるヨーロッパ系ユダヤ人の先祖はカザールだというが、まったく根拠に欠けるという。1976年にアーサー・ケストラーというハンガリー出身のユダヤ人哲学者は著書「第十三支族」でアシュケナージと言われるヨーロッパ系ユダヤ人の先祖はカザール人だと言ったが、その論拠はダグラスダンロップというオリエント学者が1967年に書いた「ユダヤ人カザール人の歴史」の中で匂わしてはいるが、結論付けはしていない。

 言語から調べると、アシュケナージの言語はイーディッシュ語で、文字はヘブライ文法はドイツ語である。一方カザール語は文字はチルク語、文法はアルタイ諸語である。従ってアシュケナージと言われるヨーロッパ系ユダヤ人はカザール人だとする説は信じがたい。

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