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【民族大移動@ユーラシア-2】 モンゴル帝国が繁栄したのはイスラムのおかげ

2020年12月03日 | 世界史-欧米・ロシア

モンゴル帝国の初代ハーンはチンギス・カン1162-1227、最後第40代はリンダン1590-1634。1290年の時代には世界最大の帝国となり、極東と欧州が繋がっていた。モンゴルは民族、宗教には寛容で、世界的な商業体制を整備した(陸の道、海の道でユーラシア大陸を囲むネットワークで平和圏構築)。キリスト教徒、イスラム教徒、漢民族、南人(漢民族の支配下)などで構成されたモンゴル帝国であったが、やがて滅亡する。その理由は

・ペストの流行、

・後継者争いで内紛、

・チベット仏教に金をつぎ込み

・交鈔乱発で超インフレ化と言われている。

【モンゴルの家系】

①チンギス・ハン1162-1227: 父は毒殺、妻は誘拐される     
 ┃   遠征路:1219-1225
 ┃   ナイマン、ホラズム、西夏を滅ぼす

 ┃
 ┣ジュチ  1177-1225 : 本当の子ではないという意味   
 ┃  ┗バトゥ     : キプチャク・ハン国 
 ┃   キエフ公国、金を滅ぼす  
 ┃   遠征路:1236-1242
 ┃      
 ┣チャガタイ1185-1224 : チャガタイ・ハン国    
 ┣②オゴタイ1186-1241 : オゴタイ・ハン国  民主的に首長に選ばれた    
 ┃  ┣③ダユク
 ┃  ┗カシン1209-1234  
 ┃    ┗ハイドゥ?-1301 VS フビライ 戦死 :
ハイドゥの乱1266-1301 
 ┗トゥルイ 1192-1232 : 末子相続    
     ┣④モンケ 1209-1259
    ┃  チベット、大理を滅ぼす マムルーク、朝鮮遠征
    ┃ 
     ┣⑤フビライ1215-1294 :モンゴル→元と命名 ルールを破って勝手に5代即位
    ┃  ┃民主的ハーン選出のモンゴルから武力制圧の元へ
    ┃  ┃東南アジア、日本へ遠征(失敗-元寇) :目的は南宋攻めの拠点
    ┃  ┗チンキム1243-1286
    ┃    ┗⑥テムル1265-1307
    ┃  遠征路:1260-1294

    ┣フラグ  1218-1265 :イル・ハン国 :アバース朝バグダッド攻略 エジプト・マムルーク朝攻略は失敗
    ┃(フビライと同母)           キリスト教と連携してイスラム攻略 
    ┗アリクブケ1219-1266 :本来の5代王--暗殺 Byフビライ   

 

東西を繋ぐ道には海路(スパイスロード:遭難すると全滅)、砂漠路(シルクロード:繁栄を極めた)、草原路(ユーラシアステップ:遊牧民が活用した)があるが、遊牧民が活用したのが最も古いとされている交易路・ユーラシアステップである。この領域は、降水量は少なく、昼夜の気温差は激しいが、ステップと呼ばれる背の低い草原が広がる。従って遊牧民であるモンゴルは草を求めてウクライナ、ハンガリーまで広がっていった。遊牧民はいつも草の支配権をめぐって隣国と衝突するが、馬上から弓で狩猟を行う騎馬民族であるから最強である。しかしこの最強の軍事力が通商の安全を保障することになる。

かくしてモンゴルによる東西交流は盛んであった(パクス・タタリカ:タタール=地獄から来たモンゴル)

日本の瀬戸内海を支配した村上水軍が、貿易船の安全を保障したのと同じである。やがて安全に商売ができるようになったムスリムやウイグルの商人たちは、モンゴル帝国に資金や物資を提供するようになり、後に共同出資組織「オルトク」を形成する。そしてムスリム商人はモンゴル帝国の財務を管理するようになる。通行税を廃止し、最終売却地に於ける売上税3%のみにすることによって、遠距離交易が急速に発展した。この時に人類史上初の紙幣が導入されたという。かくして組織「オルトク」は、道中の安全と安い税金を両立させたのである。

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