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常盤の果て

2006年05月31日 | 平家物語

第25話 常盤の果て

 源氏の大将として宇治川での初陣に勝利した義経は立派そのものである。 かつて鞍馬から金売吉次のてびきで白拍子の一帯に身を潜め、龍胆という名の頃とは大違いである。 金売吉次はその勇姿を見ようと洛入していたときに、 麻鳥と偶然であった。 かつて、義経の母・常盤御前の雑仕女として仕えていた蓬は、良人、阿部麻鳥とともに嵯峨野の田舎へ引越しをしていた。保元の乱から20年間、讃岐院と呼ばれる崇徳上皇に仕え水守をしていた麻鳥は医者のかたわら、平家の都落ち、先の戦で弧児となったものを引き取り、貧しく養っていた。 吉次は蓬から義経への土産ものを託された。 

 吉次が義経と会ったときに、麻鳥夫婦の話をし、預かった土産の蓬餅を手渡した。蓬はかつて義経が乳飲み子の頃に常盤に仕えていた者。 義経は母常盤の面影を想像し、はやく逢いたいという気持ちを押し殺すのに必死であった。 

 翌日義経は那須・佐藤の忠臣とともに嵯峨野へ急いだ。 麻鳥夫婦に会うためである。 多くの童が騒ぐ傍らの小屋が夫婦の家とみると、夫婦を訪ねた。 お互いに10年ぶりの再会である。 鞍馬の山で脱走しようとする牛若に母・常盤の形見を渡したとき以来であった。 麻鳥夫婦は源氏の大将である義経が気取らない勇姿であることにほっとした。 そして義経は母・常盤の様子について懇願するのである。

 麻鳥夫婦はいつも常盤御前のことを気にかけていた。清盛に寵愛されていこうは大蔵卿長成にとついで女子を設けたが、長成も亡くなり、清盛が亡くなって以降は化粧代も途絶え、それからの生活は貧困をきわめたらしい。 平家が西国へ落ち延びたあと義仲が入洛したあとは、清盛の寵愛を受けた身であることで木曾陣におびえた長成の親類縁者も 常盤を嫌うようになった。 そしていよいよ木曾に知られるようになり身の上が危なくなった頃、あの金王丸の勧めもあって洛を避けて鎌倉へ身を寄せようと旅立ったらしい。 ところがそれ以降何の便りもなく、いつか関が原で旅の男女が盗賊にむごたらしく殺されたという噂を聞いた。 女は昔九条院に仕えていた常盤御前らしい・・・・。 しかし持ち物・衣類がそのままだったことから、盗賊ではなく、木曾の追っ手にやられたらしい・・・。とも聞こえてきたのである。

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