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平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

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頼朝との亀裂

2005年10月16日 | 平家物語

 なが~~い腰越状に関わる回想シーンも終わり、「大河第41回」は宗盛とともに京に引き返す途上での出来事でした。平宗盛は今回のドラマではかなり取り上げられていますが、やはりドラマとしてはこの御方、さまになるのでしょうか・・。

 宗盛・清宗親子の最後は男らしく描かれていました。せめてこのときくらいはね。清宗は実は路上で討たれています。何故なのか・・・。

 それと、一の谷の合戦で捕虜となっていた平重衝が南都にて、29歳にて斬られました。5年前の1180年12月に重衝は、平家と敵対する寺社勢力の拠点・奈良興福寺と東大寺を焼き払っています。このあたりの南都衆徒の恨みの描写はありましたね。

 重衡は捕虜のなっていたころ、頼朝の白拍子千寿との恋物語が残っています。が、さすがにこのことについては触れていませんでした。重衡の妻大納言典侍・藤原輔子の立場を優先していますね。当然か・・・。

 ところで、大納言典侍 藤原輔子は、日野に住む姉のもとに身を寄せ、重衡との出会いを待っていました。そして南都での一時の再会を果たします。この物語も涙を誘います。そして1185年6月23日に、木津川の河畔で処刑されました。この近くには安福寺という寺があり、重衡の菩提を弔うために創建され、哀堂(あわれどう)とも呼ばれているそうです。首は南都衆徒に渡され、奈良坂にさらされた後、その骸と首は、大納言典侍がもらい受け、日野で荼毘にふされました。火葬地には塚を築き、骨は高野山へ納められているそうです。

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