平安時代の歴史紹介とポートレイト (アフェリエイト説明 / ちょっと嬉しいお得情報を紹介)

古代史から現代史に至る迄の歴史散策紹介とポートレイト及び、アフェリエイト/アソシエイト登録方法と広告掲載説明

【絵画-24】スペイン宮廷画家ゴヤ1746-1828

2021年04月08日 | 絵画 音楽 映画

スペインの宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤは、ベラスケス(1599-1660フェリペ4世付きの宮廷画家)と並ぶスペインの宮廷画家で、カルロス3世/4世に仕えた。「カルロス4世の家族」をはじめ、それぞれの家族の肖像画がプラド美術館に残されている。

18歳でマドリッド、教会壁画を手掛けカルトン画(タピストリーの下絵)で人気を得て貴族から肖像画の注文を受ける。40歳でカルロス3世の宮廷画家。

1807年、ナポレオンがスペインへ侵攻し、翌1808年にナポレオンの兄・ジョゼフがスペイン王位に就いた。このようにスペインはナポレオンの支配下に置かれ、カルロス4世は退位。この後14年に渡って異端審問が復活して、拷問、強姦、銃殺、四肢切断が繰り返された。

この時ゴヤは62歳、宮廷画家とは程遠い生活を強いられる。45歳ころからの難聴も酷くなり、70歳を超えてマドリード郊外に「聾者の家」に移動し、黒い絵のシリーズを晩年に残した。代表的なのは「我が子を食らうサトゥルヌス @1819-1823」サトゥルヌスというのはローマ神話に登場する神で、サターンのこと。親を殺害したことからゼウスによって追放されたとか。やがて己の子に殺されるのではないかとの思いから我が子を食らうようになったという。 では何故ゴヤは「黒い絵のシリーズ」を晩年に残したのだろう。難聴のため気が病んだのか? 宮廷画家を追われて気が病んだのか?

 

裸のマハ マハ:粋な女性 @1800年頃

当時、宗教画でもない「ヘアーヌード」はアウト 従って公表はされなかった 発注者はマニュエル・デ・ゴドイといってスペインの首相、カルロス4世王妃マリア・ルイーザ1751-1819(母はルイ15世の娘)の寵臣となって出世する そのゴドイが密かに仲間内で楽しんだ(仏ロココ風にスペインも乱れていた)・・・モデルは13代アルバ女公爵カイエターナ1762-1802(スペイン貴族の最高峰 王妃マリア・ルイーザのライバル ゴヤの愛人だった? 数多くの愛人を持ち、ゴヤはふられている)と言われていたが現在は否定説。 ゴドイの愛人ペピータ1779-1869 が有力である。ゴドイの愛人ペピータは一家でゴドイの家に住み込みで働く。その時のペピータは16歳、やがてペピータはがゴドイの愛人となるが、身分が違い過ぎるとしてカイエターナは大反対したという。しかし1802年にカイエターナが無くなると、ゴドイはペピータと結婚、この頃にゴヤは「裸のマハ」を描いた模様。そして二人は二人の子をもうけている。

「裸のマハ」

「着衣のマハ」

 

ゴドイは仏とバーゼル和約を締結@1795年し、ナポレオンともフォンテーヌブロー和約を結ぶが1808年和約を無視してスペインに侵攻、カルロス4世は退位、ナポレオンの兄がホセ1世としてスペイン王位に就いた。マドリードの市民が蜂起するとナポレオン軍に虐殺された@1808-5-3 これら一連の事件の発端は親フランスのゴドイの責任だ・・・となってゴドイは亡命。市民がゴドイの邸宅に駆け付けると「裸のマハ」が見つかったという。

スペインはかつてイスラムに制圧され、1492年のグラナダ陥落まではイスラム教、ユダヤ教、キリスト教などが混在していたため異端審問所があった。しかし18世紀末には意味がなくなり、ナポレオンの兄ホセ1世は異端審問を廃止した。このとき「裸のマハ」は異端審問にかけられゴヤは呼び出されるが、発注者(ゴドイ)の名は言わなかったという。ところがナポレオンが失脚してカルロス4世の子・フェルディナンド7世が王位に就くと異端審問(被告は三角帽をかぶる)を復活。このとき「裸のマハ」は没収。フェルディナンド7世の政治に反発したゴヤは迫害されたこともあって聾啞者の舘に引きこもる。このときに描いたのが「わが子を食らうサトゥルヌス」 その後1834年に異端審問所は永久に廃止されると、「裸のマハ」は再びマドリード王室アカデミーに返された。

 

サトゥルヌス(クロノス)とはギリシャ神話の時間と農耕の神。父は天空神ウラノス、母は大地の女神、ガイア(次々と神を創造)。サトゥルヌスはやがて父を大鎌で殺して君臨する。父にしたことを恐れて、妹リアとの子5人を次々と食った。しかし6番目の子ゼウスによって殺され、地位を奪われる。ゴヤの150年前、ルーベンスも「わが子を食らうサトゥルヌス@1635頃」を描いている@1636。

サトゥルヌス:土星

 

 

魔女はほうきに乗って森へ行く:魔女の集会--シナゴーク(ユダヤ人が集まる場所)

そこでは子供の死体を持ち寄り薬を作る

シナゴーク--サバトと言う:ユダヤ教の安息日

サバトの大会が南ドイツ・ブロッケン山で開催:ヴァルプルギスの夜にバルテリンデの魔女が集まる

元々は古代ゲルマンの神ヴォーダンに生贄をささげる---キリスト教が禁止

ターレ町では魔女が歓迎してくれる@魔女の踊り場:ゲーテのファウストに出てくる 

  中欧、北欧にも広がる

  4/30夜-5/1 :神ヴォーダンが大地の女神と結婚

  8世紀のフランク王国で修道院長が始めた

  ブロッケンの町はヴェルニデローゲ街:旧東ドイツ、人口3万人   

    300~450年前の木組みの家が立ち並ぶ街

    ブロッケン現象が頻発

    ブロッケン鉄道で頂上@1142mへ行ける@19世紀末

    西ドイツでは進歩によってSLは消えていったが東ドイツでは残った(分断の結果)

    おかげで、現在では観光、魔女が出迎えてくれる

1961 ベルリンの壁---ブロッケン鉄道は封鎖 立ち入り禁止

1989 ベルリンの壁崩壊---ブロッケン鉄道は封鎖解除

1991 ブロッケン鉄道は運転---資材搬入

1993 鉄道再開

 

 

魔女狩り:ルネッサンス後の宗教改革 16世紀末--17世紀初頭にブーム

  異端審問裁判は市民による訴え

  宗教改革戦争による市民の不満--はけぐちとしての魔女狩り

  1450:活版印刷 1486:「魔女への鉄槌」著者はハインリッヒ・クラマー:異常なる女性蔑視

  爆発的な流通拡散

  1540:ビュッテンベルク市長・ルーカス・クラナッハの命で4人が火あぶり

     印刷工場経営の画家でもあり、ルター(魔女が大嫌い)を支援

     この頃市民の権利がアップ--誰でも訴えられる

     元々魔女の証拠などないので、拷問による自白が横行

  18世紀:魔女裁判は下火

  19世紀:魔性の女ブーム --- 画家ウオーターハウス、ファレーロによるエロチックな魔女登場

       グリム童話:魔女はかぎばな---ユダヤ人差別

  20世紀:白雪姫

コメント    この記事についてブログを書く
« 【コロナ-26】万が一ワクチン... | トップ | 【コロナ-27】ワクチン不足に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

絵画 音楽 映画」カテゴリの最新記事