【皇女ソフィア1657-1704】
皇女ソフィアはピョートル1世の異母姉。ミロスラフスカヤ家の繁栄を願ってナルイシキナ家を排除しようとしたが失敗。その首謀者ソフィアを幽閉。当時の「ソフィア皇女」の肖像画を残したのはイリア・レーピン1844-1930である。その容貌が相まって極めて有名な歴史画として残っている。
アレクセイ_モスクワ大公1629-1679
┃ ┣ソフィア・アレクセーエヴナ1657-0704
┃ ┃ 銃兵隊の反乱を起こしてイヴァンを5世として復活@1682
┃ ┃ ソフィアは摂政として実権を握る
┃ ┃ 愛人ヴァシーリが宰相
┃ ┃ クリミア戦で失敗---フョードル優位
┃ ┃ ソフィアは再び挙兵@1698
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┃ ┣フョードル 1661-1682---病弱 即位1676
┃ ┣イヴァン 1666-1696---病弱 即位1682
┃マリヤ・ミロスラフスカヤ1625-1669
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┣ピョートル1世1672-1725---世継ぎ候補@1682
┃ 反旗を翻したのが皇女ソフィアに対して軍備を整え向かってきたソフィア銃兵隊を殲滅
┃ 姉のソフィアをノヴォジェービチ修道院へ幽閉
┃ ソフィアは再び挙兵@1698---反乱は鎮圧されて処刑も済んだが首謀者がソフィアであるとの証拠がない
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ナタリヤ・ナルイシキナ1651-1694
また、「イヴァン雷帝とその息子」「ヴォルガの船曳き」などが知られる。
動力が無い時代、河川での船の逆流運航は人や馬が曳くしかなかった。何時間も何日間も岸辺や浅瀬を歩き続けて船を曳いた。こうした労働は、1929年に禁止された。ヴォルガ河畔にあるルイビンクスは、「船曳きの首都」とも呼ばれ、船曳き人夫らは、歌を歌いながら船を曳いたという。
ロシア美術館所蔵@サンクトペテルブルグ