goo blog サービス終了のお知らせ 

平安時代中心の歴史紹介とポートレイト

古代史から現代史に至る迄(日本史/世界史)の歴史散策紹介とポートレイト

馬見古墳群

2008年09月21日 | 陵 古墳 墓 遺跡

馬見古墳群

 馬見古墳群は奈良・法隆寺ICを降りるとすぐ南にあります。 巣山古墳を中心にして大王級の墳墓が集中しており、まわりは馬見丘陵公園として大変綺麗に整備されています。  古墳時代前期のものと思われる新木山古墳から後期の牧野古墳まで、葛城氏の盛衰を物語る古墳群が広がっています。 今回は馬見丘陵公園の北エリアにある駐車場(無料)に車を置いて、最寄の池上古墳からの散策を行いました。

池上古墳

 円墳と小さな方墳を組み合わせた帆立貝式古墳です。円墳の直径は80mほどあり、周濠部が散策路になっておりベンチも設置されています。 築造は5世紀前半、埋葬者は不明。

  

 北エリアから南エリアの駐車場に移動して最初に向かったのは乙女山古墳です。途中整備された公園の中の菖蒲園を通っていきます。 もちろん今は菖蒲の季節ではありませんが、「建礼門」という名前の菖蒲札が印象的でした。

  

乙女山古墳

 菖蒲園を通り過ぎて遊歩道の先に見えたのは乙女山古墳という意味ありげな古墳です。 先の池上古墳と同じ、典型的な帆立貝形古墳で、宮崎県西都原古墳群の中にある帆立貝形古墳に次いで日本第二位の古墳です。 全長は130m、墳丘の周囲には周濠が残り、周濠の外側には外提が残って言ます。 発掘調査で葺石や円筒埴輪が確認されており、これらの出土品から築造時期は5世紀前半と考えられています。 1408(応永15)年にこの辺りで箸尾為妙と筒井順覚の戦いがあり、この合戦の際に箸尾氏の少女が犠牲になり、小山に葬られたことから、その場所を乙女山と呼ぶようになったことから乙女山古墳の名がと伝えられているようです。

  

倉塚古墳

 乙女山古墳から下池の東沿いを歩いていくと一本松古墳があります。 今回一本松古墳付近は工事中であり、上池に隣接する倉塚古墳のほうへ行きました。  全長は130mの前方後円墳で、「すべり山」とも呼ばれています。古墳周辺からは円筒埴輪を転用して埋葬した円筒棺が出土しており、5世紀前半に造られたと考えられています。

 

タダヲシ古墳

 さらに上池に沿って南下すると整備された休憩所があり、目の前にはタダヲシ古墳が広がります。 墳丘全長52~56m、後円部径約33m、高さ7mの前方後円墳で埋葬施設の状況は不明です。古墳時代中期ごろに築かれたと考えられています。

 

ナガレ山古墳

 しばらく休憩後、北上するとすぐにナガレ山古墳があります。全長105m、後円部直径65m、前方部幅71mの後円部を南に向けた前方後円墳です。昭和63年より史跡公園として発掘調査とともに行われた復元整備では、東側には埴輪を並べ、葺石を葺いて築造当初の姿に復元されています。

 

 

佐味田石塚古墳群

 ナガレ山古墳から北へほどなく行くと道路西側に佐味田石塚古墳群の看板があります。 県道佐味田線の建設工事中に小石室が3基発見され、「佐味田石塚古墳群」と命名されています。いずれの古墳も墳丘は削平されていました。石塚1号墳の石室底には飛鳥時代の平瓦片が敷き詰められていました。石室は河合町中央公民館の敷地内に移築されています。ただし、瓦は橿原考古学研究所が保管しています

 

コメント    この記事についてブログを書く
« 周濠 | トップ | 葛城・讃岐神社 と 忌部氏 »
最新の画像もっと見る

陵 古墳 墓 遺跡」カテゴリの最新記事