藤原高子(842-910)
摂政・関白だった叔父・良房や兄貴・基経の手駒として清和天皇の許に入内させられる。入内前に在原業平とデキてしまっていたが・・・、ムリヤリの別れであった! 「伊勢物語」の登場キャラと云われる女性であり、上流貴族の姫君としては中々の行動派。 仁明朝の名臣と慕われた権中納言長良(ながら)の息女で、母は藤原総継女、乙春。
866年、二十五歳の時、九歳年下の清和天皇の女御となる。(入内したのは18歳)。二年後、第一皇子貞明親王を出産。貞明親王は貞観十一年(869)、二歳で立太子し、同十八年、清和天皇の退位を受けて践祚。元慶元年(877)、即位した(陽成天皇)。これに伴い高子は皇太夫人となり、清和上皇・摂政基経と共に幼帝を輔佐した。しかし清和上皇が崩御すると基経と対立し、同七年、陽成は退位に追い込まれた。光孝天皇が即位し、高子は皇太后となるが、この頃内裏を離れて二条院に移った。陽成天皇が東宮であった頃、在原業平・文屋康秀・素性法師などを召して歌を詠ませている。『伊勢物語』によって流布された業平との恋物語は名高い。