時代別の東南アジア各国の王朝案内図
タイ国王の王室財産は世界最大4.7兆円と言われ(米経済雑誌フォーブス掲載)、現在非難をされているタイ王国、6800万人、21歳から2年間の徴兵制では毎年4月にくじ引きで決まる。95%が仏教徒で出家することが望ましいとされる。
13世紀- タイ族
・北方モンゴル系
・中国雲南地域、広西省地域からチベットと混血しながら南下
・以前はカンボジアのクメール王朝に支配されていた
・現在のタイは昔はカンボジア(南方チャム族:ベトナムにも多い)だった
・スコータイ(幸福な夜明けの意味)王朝時代が最初:
・ラームカムヘーン大王1239-1299 :タイ文字、仏教を国教----インド文明
15世紀- アユタヤ王朝
・ビルマと戦って(1759-1760泰緬戦争)タイ王国を作った(海外との交易は盛んだった)
・この頃、山田長政1590-1630が長崎から台湾経由でタイに来て、
揉めていたリゴール王国(マラッカ)に派遣され平定@1629
リゴールの長官となる
外からタイへの侵略を防いだことで国王からの信頼を得た
嫉まれて毒殺される
1767- やがてタークシン王がトンブリー王朝(1767-1782)を建国した。
1781- ラマ1世1737-1809 :宮廷クーデターによりチャオプラヤ・チャクリーが即位(チャクリ王朝)バンコクを作って首都とする
┗ラマ1世1767-1824
┗ラマ2世1767-1824
┣ラマ3世1808-1871 (法廷医)
┗ラマ4世1804-1868 (モンクット王)バウリング条約 50バーツの肖像
┗ラマ5世1853-1910 (チュラロンコン大王)日本が明治の時代に統治 奴隷解放
┣ラマ6世1881-1925 (100バーツの肖像)
┣ラマ7世1893-1941 (最後の絶対君主)
┗ソンクラーナカリン1891-1929(タイ医療の父)
┣ラマ8世1925-1946 (マヒドン国王)20バーツの肖像 国政を考えることもなくスイスで過ごす
┗ラマ9世1927-2016 (プミポン国王)
┗ラマ10世1952- (ウチラロンコン国王)
1868 ラマ5世 :中国だけに依存せずに他の国の文化・産業を取り入れて植民地化を避けようとした
・因みにタイの最高峰の大学はチュラロンコン大学である
・彼の行った業績(インフラ、教育、政治などなど)
・列強英仏(カンボジアやビルマに対しては属国として保護するよの姿勢だった)は手が出せなかった
・タイは唯一植民地化されずに独立したのである。
1910 ラマ6世 : 第一次世界大戦に参戦すると同時に終戦
・華僑がタイ経済を握る
・華僑の事を「東洋のユダヤ人」と言った
1925 統治時代には官僚・人事の合理化、立憲君主制、所得・土地税制導入を行った
1932 すると反対勢力の人民党により立憲革命(1932/6)が起きて、独裁政治が始まるのである。
1935 王族はこの独裁政治に対立して英に逃れラマ7世は退位、新しくラマ8世(ラマ5世の兄弟)が即位
・国政を考えることもなくスイスで過ごしていた
・代わって国政に携わったのはピブンソンクラーム首相
・国王が不在であることをいいことに、王宮財産を着服して華僑同化政策を行った
・太平洋戦争が終わり、1945/12にラマ8世は帰国すると翌年王宮にて怪死した。
1946 ラマ9世(人気高いプミポン国王)即位
1957 ピブンソン首相が不正選挙を行ったとして追放、かわってサリット将軍が政権に就いた。
・以降国王の復権を行い東南アジアのバランスをはかり、東南アジアでは唯一植民地化されずにきた。
・今までのナショナルデーは、チャクリ王朝建国日から革命記念日になっていたが、国王の誕生日をナショナルデーとした。
1946年/06 ラマ9世:プミポン国王1927-2016 :
・絶大な国民の支持があった。
・これは1992年の暗黒の5月事件でクーデターを起こした軍隊に反発した民衆がデモを起こし、
・軍隊の発砲により300人が犠牲になった。
・これに対してプミポン国王は両者の代表を宮殿に呼んで仲裁をして解決したということがきっかけである。
2010年/03 タイ・タクシン元首相派のデモ隊がアピシット首相宅前で血液デモ(血の抗議)
2014年/05 国軍・プラユット将軍1954-が軍事クーデターを起こし、以降軍事独裁政権
暫定政権の首相にプラユット : 政権に有利なように選挙制度を変更
2016年/10 プミポン国王の死去に伴いラマラマ10世即位(ワチラーロンコーン国王1952-)
・イギリス、オーストラリアで青年時代を過ごし、国王としての素養を身に着けてきたのか?
・どうやら違っているようで、4度の結婚3度の離婚、正装すべき場でもTシャツにジーパン?
・現在はドイツで贅沢三昧の生活を送り自国の政務を行わないため、国民の反発・不満は大きい。
・タイ始まって以来のダメダメ王である。王戴冠式でもちょっと待ってね・・・ということで2年半待ち。
・最初の結婚は24歳の時だが妻・ソームサワリーとは数年で破綻、
・つぎの妻・ユワティダーとは王宮の外で同棲生活して5人の子供をもうけるが、一家は王室に馴染めず行方知れず。
・長男には王位継承権があったはずが、剥奪・・・。どうしたことでしょう。
・3番目の妻はシーラット、14年ほど結婚生活があったが、
・その間にシーラットと皇太子が一糸まとわぬ姿で踊っているところをすっぱ抜かれてネット公開。
・またドイツへ出かけたときの空港での写真は刺青+おぎょうぎの悪い姿で世界中を驚かせた。
・シーラットとの間の男子が王位継承権があるのですが。
・2019年4度目の結婚相手はCA・スティーダー王妃40才と、この時国王は66才。ですが既に6人目の噂が。
2017年/03 日本天皇陛下タイ弔問
2018年/04 タイ・タクシン元首相1949-(2006年に失脚)、
・インラック前首相1967-(2014年に失脚)が独裁軍事政権を批判
2020年/08 タイ王室を巡って市民同士の対立、
・国王の贅沢三昧の批判が不敬罪にあたるかどうかについて盛り上がっている。
・独裁政治への不満、コロナが落ち着いているのに緊急事態制限を解除しないプラユット首相への不満が原因でもある。
2020年/08 タイ王室式典
2020年/10 再びデモが開催される予定