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貞慶と唐招提寺

2012年06月07日 | 鎌倉・室町時代

 奈良時代に栄華を極めた名刹・唐招提寺は平安末期から荒廃に向った。鑑真上人の戒律にかわって密教が隆盛を誇ったのである。 戒律を重んじた貞慶は唐招提寺の危機を救うべく1203年に釈迦念仏会を始めた。南無阿弥陀仏と唱えれば救われるとした法然・親鸞に対抗した法会ともいえる。私は親鸞の教えを浮ついているとは思わないが、浮ついて見える雰囲気をいさめて釈迦の教えの原点に戻れというのである。釈迦如来立像の内部から1万人の寄進者名簿が見つかったというから貞慶の思いは確実に浸透していったといえる。奈良国立博物館の貞慶特別展は5月27日で終わったが、しばらく貞慶の側面を見ていこうと思う。 ところで、大河では保元の乱で勝利した清盛、義朝に、敗北した忠正、為義の斬首の命が下された。自分の叔父、父を殺せというのだから究極の沙汰といえる。その命に従った清盛、義朝は世間から非難を浴びたのはいうまでもない。 この命を下した信西は貞慶上人の祖父なのである。

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