平通盛は、鵯越の戦いで源氏の佐々木党(佐々木俊綱)、木村党(木村源吾重章)らと戦い討死した。 戦から七日後、小宰相殿が入水した。兄の後を追い、腹の中に子を宿したまま。あのとき、兄は討死することが分かっていたのだろうか。だから、仮屋に小宰相殿を呼んで、名残を惜しんだのだろうか。そう思うと、堪えられなかった。 小宰相は平通盛の妻にあたり、参議藤原憲方の娘で上西門院統子内親王(後白河院の同母姉)に仕えていて、宮中一の美女といわれていました。この小宰相に一目惚れしたのが平通盛で、三年間文を送り続けますが、十六歳のうぶな小宰相は恥ずかしくて返歌もできず、二人を見かねた女院の統子の仲立ちによりやっと二人は結ばれたのでした。 一ノ谷戦が終わり屋島へ向かう船中で通盛の安否を案じていた小宰相のもとに通盛が生田川のほとりで討ち死にしたという知らせが届きます。 とても現実とは思えない小宰相はその知らせを信じることができずに通盛の帰りを待っていたのですが、次々に敗戦の様子が伝えられるにつけて、ついに通盛の死を受け入れますが、乳母は心配でいっときも小宰相から目を離すことが出来ないほどの落ち込みようです。そして数日後、小宰相は人々が寝静まった頃に海に飛び込み、番をしていた舵取りが見つけ、男達が助け上げたときには小宰相はもう虫の息でした。 乳母の悲しみの深さはいかほどだったでしょう。申し訳ないと後を追おうとしたのですが止められて果たせず、その場で髪を切りました。そして、死装束の上に通盛の鎧を着せられ海に水葬された小宰相の菩提を祈って残りの生涯を送ったということです。 愛一筋に一八歳の命を燃焼させた人、それが小宰相です。
小宰相が出仕していた後白河院の同母姉・上西門院統子の陵