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壬申の乱の頃から栄えた伊勢鈴鹿の関の宿場町

2010年07月30日 | 奈良・飛鳥時代

 三重県亀山市にある関宿は、東海道五十三次の47番目の宿場である。 古代から交通の要衝で、壬申の乱の頃に古代三関の一つ「伊勢鈴鹿の関」が置かれたところでもある。 江戸時代には、東の追分からは伊勢別街道、西の追分からは大和街道が分岐する活気ある宿場町であり、古い町並みが保存され、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。  672年に起きた日本古代最大の内乱である壬申の乱(天智天皇の太子・大友皇子に対して皇弟・大海人皇子が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたもの) の舞台であり、また「斎王群行の道」 (皇女が天照大神に身をささげるべく、京都から伊勢神宮を目指した) であり、本能寺の変における「家康伊賀越えの道」などで知られる街道に、この関宿があったのである。 1601年に徳川幕府が宿駅の制度を定めて以来、屈指の宿場として参勤交代の大名行列や伊勢詣りの旅人で大いに賑わい、屋敷632軒、本陣2軒と脇本陣2軒、旅籠42軒酒食店99軒があったという。

 

 実はここ関宿には「ぽ庵」という、わんこと一緒に休める休憩処があるということもあって、訪ねてみたが大変趣き深く、太古より賑わっていただけあって、宿場町の東西は1km以上はあったと思います。

 

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