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江戸で最初に造られた町・日本橋と三井越後屋

2010年07月03日 | 池波正太郎 江戸時代

 江戸八百八町といわれるほどに多くの町が出来上がった江戸であるが、江戸後期には実際には1600にも及ぶ町があった。 というのも江戸に入府した徳川家康は京都に負けない都を江戸につくろうと考えたからである。 因みに、上野公園のまわりでは徳川家康の江戸に対する想いがよく現れていて、またの機会に紹介したいと思う。 徳川家康が上方・近江・伊勢・三河から多くの商人や職人を呼んで住まわせ、最初につくった町が日本橋とその周辺の町である。 呉服町・瀬戸物町・駿河町などが現在の東京駅のすぐ東側にできあがったが、現在の日本橋1丁目から3丁目がそれにあたる。  家康はさらに東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道を整備して、すべての起点を日本橋に定めた。 安藤広重の東海道五十三次の出発点が日本橋であることからも伺える。 橋の欄干に良く見られるたまねぎ型の擬宝珠(ぎぼしと読む)を冠することは、江戸時代においては幕府によって架けられた格式の高い橋の象徴であり、当時はあったのであるが、現在では獅子と麒麟のブロンズ製の刻像が見られる。  

石造りアーチ型の日本橋 下に流れる川は隅田川の支流・日本橋川

 

 そして当時絶景のポイントといえば、日本橋通りから富士山を望む日本橋駿河町で、そこには豪商・三井越後屋が建っていたが、 現在その場所には日本橋三越がある。 呉服問屋で有名な三井越後屋は三越百貨店の前身なのである。 三井越後屋の創始者は三井高利といって、過去に取り上げたことがある人物である。 そういったことから日本橋界隈には当時を思い起こさせるような老舗店舗が今もなお数多く残っている。

当時の江戸町人はここ三井越後屋(現三越日本橋店)で呉服を購入して、絶景の富士山を望んだという

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