お母さんと読む英語の絵本

読み聞かせにぴったりな英語絵本から、米国の子どもたちの世界をご紹介
子どもをバイリンガルに…とお考えのお母さんに

こどもの偏食 おとなの偏食

2010-07-14 | with バイリンガル育児


食卓はとにかく楽しい場でなければ‥‥と思うので、私は子どもに嫌いなものを無理に食べなさいと言ったことはありません。ピーマンが嫌いでもブロッコリーが食べられればいいわけだし。だからわが家では、誰かが嫌いなものは、みんな一緒の食卓にはあまり登場しません。よく野菜が嫌いな子どものために、その子の好きなハンバーグに野菜を刻み込んで(あるいはすりおろして)食べさせるという話も聞くのですが、それではハンバーグまでまずくならないか‥‥と心配になります。せっかくの好物なら、とびっきりおいしいハンバーグを食べさせてあげる方がいいんじゃないかしら?

そんなことを考えるのは、日本の子どもとはケタ違いのアメリカの偏食を見なれているせいでしょうか。「なんでも食べましょう」と言われ、学校ではそろって給食を食べて育つ日本の子どもに比べると、アメリカの子どもたちははるかに好き嫌いが激しい気がします。親もとくには矯正しようとしないせいもあって、むしろ伸び伸び(?)偏食していると感じるほど。食べられない食べ物がたくさんある人を、英語では「Picky Eater」と言います。

娘のダンスチームにいた男の子は、中学生になっても、ほとんど2-3種類のものしか食べないのでは、という印象でした。レストランに行ってもバターをつけたパンだけしか食べない。ピザはチーズだけで具が載っているのはダメ。彼がトマトを食べた時には仲間うちでニュースになったくらい。でも彼のお母さんは「これでもマシになったのよ」と平然としていました。”産まれてすぐから食べることに興味がなかった” 彼は、離乳食も「魚の形をしたクラッカーしか食べなかった」のだそう。なんとか食べさせようと、彼を連れて病院を尋ね廻ったお母さんの方がストレスで痩せてしまい、ある日、経験豊富な小児科ドクターに『なんでもいい、本人が食べるものだけ食べさせておきなさい。それで元気なら気にする必要はない』とアドバイスされて、ようやく肩の荷が降りたと言います。「以来、ずっと気にしないようにしてきたの。でもご覧の通り。だからって彼の偏食が治ったわけじゃないんだけどね」と笑っていました。

その男の子? その後ニューヨークのジュリアードに進み、立派に研鑽を遂げて、この夏、無事に卒業してプロデビューしました。招かれてイスラエルのダンスカンパニーに行くことになっています。卒業公演で見た彼は素晴らしく成長し、身体もしっかり出来上がって美しいダンサーになっていました。

うちの娘は赤ん坊のころから健啖でした。まだ歯もはえそろわない生後5-6カ月のころに、ゆでたアスパラガスを丸ごと手に持ってしゃぶりついているビデオや、モリモリと素麺を食べて(?)いるビデオが残っていて、あんなもの食べさせて母親としてどうなの?と我ながら苦笑。でも、おなかもこわさなかったし、今は昔、時効です。振り返ってみれば親として至らなかったことばかりという私のような母親からみると、子育ては『結果オーライ』ならそれでいい‥‥というところが救いですね。

でも娘は、およそ既製品の『ベビーフード』が大嫌いでした。食べるものと食べないものがあったとか、あまり好きでなかった‥‥などという生易しいものではなく、文字通り、何ひとつ、まるっきり食べませんでした。働きながらの子育てだった私は、離乳食に既製品を利用できないかと、ありとあらゆるメーカーのいかにもおいしそうな(実際、親の口には悪くない味の)ベビーフードを次々と買ってきては試しましたが、何故か娘は全然食べませんでした。よその赤ちゃんがベビーフードの瓶からスープだの野菜のペーストだのをおいしそうに食べているのを見ると、いつも羨ましかったものです。

ベビ―フードだけではありません。私の手からは哺乳瓶のミルクも一切飲みませんでした。ベビーシッターさんが飲ませると飲むのですが、私が哺乳瓶を持っていくと「おっぱいがあるのに何バカなことしてるの?」って感じにニヤッと笑うだけで、吸いつきもしないのです。実に、見事に、頑固でした。

ですから、生まれて半年ほとんど体重が増えず、6カ月健診の時には保健師さんに「お母さん、ご心配じゃありませんか?」と聞かれた(保健師さんの聞き方はいかにも「心配した方がいいですよ!」と聞こえました)ことは、以前にも書きました。新米母親としては(できあいの離乳食を食べないような好き嫌いが原因かしら?)と内心ではいたく自信喪失。でも、娘は幸い大きな病気もせず普通に成長しました。

人のことは言えません。自分では「ほとんど好き嫌いはない」と自負している私も、実は日本人のくせに”国際標準”の日本食があまり食べられません。お寿司はその典型で、トロもカツオもイクラもウニも、ほとんどのネタが特に『好き』ではありません。お刺身が食べられないわけでも、お寿司がダメもなく、魚がダメというわけでもないのですが‥‥。「実はウナギも食べられないのよ」と言って「あなたホントに日本人?」とからかわれています。

「食べ物に好き嫌いがあってはいけません」という考え方はどこから来たのかな‥‥?と長く疑問に思いながら、調べる機会がなく過ぎています。確かに、近代栄養学はバランスの良い適切な量の食事を規則正しくとることの重要性を指摘しています。が、栄養学は「バランスよく」とは言っていますが、「なんでも食べられなくてはいけない」とは言っていません。でもこれが日常会話になると、とくに教育やしつけの場面では「好き嫌いはいけません」となります。不思議ですね。特に日本では、食べ物の好き嫌いはもっぱら「躾の問題」と考えられている印象があり、何かが食べられないと「わがまま」だと見られがち。だから、好き嫌いの激しい子を育てている母親は、なんとなく肩身が狭かったり‥‥。

躾はさておき、食べることは生きることの基本で、だから子育ての重要テーマ。でも子育て中のお母さんの中にも、激しい偏食家はいるようです。 ノースキャロライナ州で3人の子どもを育てる39歳のへザーはそんな母親の一人。彼女が食べられるのはフライドポテト、パスタ、ベジタリアンピザ、トウモロコシなど。クッキーやケーキはナッツが入っているとダメ。その他のものはほとんど食べられないと言った方がよいそうです。「子どもの頃、私の偏食は『可愛い』ですんだのだけど、大人になったら『恥ずかしい』ことになったの」と語るへザーは、「子どもには偏食になってほしくないので、私の食事は別にして見せないようにしています」と懸命の努力。でも3人の子どものうち「2人は偏食はないけれど、1人は私と同じような偏食傾向があって‥‥。偏食って生まれつきではないかと思います」と残念そう。("Picky Eating Knows no age limit" The Wall Street Journal 2010年7月6日) でも、ここで注目すべきは、同紙の見出しにある『偏食は大人になっても治らない』っていう事実よりも、偏食家でも健康な子どもを産んでお母さんになって子育てできるという事実。人間のもつ冗長度はけっこう大きいのではないでしょうか?

食べ物に好き嫌いがあって困るのは、実は食事ではなく『社交』。私も、寿司やウナギが嫌いでも普通に生きる上では支障ないのですが、人と食事をする場では「困った!」という経験が一度ならずあります。

社交好きのアメリカ人にとって、また社交が暮らしの大事な要素となっているアメリカ社会では、『食べること』も社交の一部。子ども時代のまま食べられないものがたくさんある(というより、食べられるものが限られている、と言うべき?)偏食家の大人にとっては、時に大変な試練です。

そんなPicky Eater達に集いの広場と実用的/実践的な支援を提供しているウェブサイトもあります(たとえばpickyeatingadults.com http://www.pickyeatingadults.com)。好き嫌いの激しい大人たちを「偏食だからって引っ込み思案になることはない」と鼓舞し励まし、「場の雰囲気を壊さずにいかにして『ノ―』と言うか」の実践的なアドバイスまでしています。こういうサイトや周辺のリンクを読んでいると、どうしようもなく偏食を通さざるをえない人というのがいるのだということがわかります。人間って不思議ですね。




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1 コメント

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Unknown (v5)
2010-07-14 13:07:46
ブログはじめて読ませていただきました。偶然?いや、必然の発見!
素敵なブログに出会えてありがとう

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