毎年、わたしの夏休みの自由作品は手芸の得意な毒子が手芸作品を作った。
毒子は私の意見など聞かずに勝手に作品を決めて、手伝わせることもなく一人で完成させて「これを持って行きなさい」と言った。
「自分で作る」と言わなかった私も悪いのだが、小学生の時から毎年それが当たり前になっていたのでなんとも思わなかった。
その年の作品はレース糸のかぎ針編みカーディガン。とても中学生が一人で作れるような代物ではなかった。
発表会の日の朝、私は頭の中で発表する文章を考えながら登校した。
教室で一人ずつ前に出て自分の作品を紹介していく。
私の番が来た。
私は考えていた文章を喋ろうとしたのだが、突然心臓がバクバク鳴り始め、声がうわずった。
生徒達の視線を突き刺さるように感じた。
自分が作った作品じゃないことを皆に見抜かれているだろうと思った。
『卑怯』という言葉が頭によぎった。
それは小5の担任に言われた言葉。
『分かっているのに発表しないなんて卑怯でしょ』
何年間も私の心に刺さったままだった言葉が突然疼き出した。
声が震えて、言葉が続かなかった。
私は用意していた文章の五分の一も言えないまま、逃げるように「以上です」と締めくくって席に戻った。
顔から火が出るとはこのことだ。
また恥を晒した。小5のあの時と同じだ…
穴があったら入りたい、
消えたい…
以来、何十年と続く私の苦悩が始まった。
もともと人前で自分の意見を発表することは苦手だったが、それまで本読みは苦手ではなかった。
しかし、その一件以来、授業中に本読みを当てられると、動悸がして声が震えるようになった。
わざわざ「uparinちゃんは本読みの時いつも声が震えてるよ」と教えてくれるクラスメイトがいた。
小学生の時、吃逆の子が本読みを当てられシドロモドロでつっかえながら読む姿をとても哀れに思っていた。
今、私が皆からそう思われているのだ。
毎日、学校の授業が恐怖だった。
いつ当てられるかとビクビク怯えながら授業を受けた。
しかし、学校は休まずに行った。
登校拒否になって、こんなことで悩んでいることを毒子に知られるのはもっと屈辱だと思った。
誰にも悩みを言えないまま、毎日を怯えて過ごした。
自分は価値のない人間
死にたいと思った。
続く
(注)この頃は不登校ではなく登校拒否と言われてましたよね