なんちゃって英語道!

博多の伝統や日本の習慣を簡単な英語で表現

登龍門 Ⅳ  After the Legendary Dragon 令和新時代に 

2019-05-06 02:03:34 | 龍伝説
地雷を踏んでしまった龍造寺隆信
この黒髪山の龍伝説を探求して、戦国大名の龍造寺氏に出会い不思議な感覚、引き寄せられる霊的なのか運命的なのか今まで味わったことのない奇妙な感覚でした。実は、私の父方の曾祖母は、有田蒲地家から嫁いできています。また、母方は、龍造寺隆信に滅ぼされた筑後大川の鐘ヶ江氏の家系です。
佐賀有田の親戚からは、鐘ヶ江家は豊臣秀吉が朝鮮から連れてきた陶工の渡来人系ではないか聞いていました。確かに陶祖、李三平をルーツにする金ケ江氏は渡来人ですが、鐘ヶ江氏は全く違うルーツがありました。
母方の菩提寺にお参りした際、ご住職から鐘ヶ江家が天正時代(1573年~1592年)からこの地(佐賀)に根付いている石碑が出てきました。そして、鐘ヶ江家の菩提寺としてこの寺は建立された可能性があると言及されました。
そして、この鐘ヶ江家は龍造寺家と不思議で奇妙な関係をこの時代築いています。
龍造寺隆信は、天正9年恩義を受けた筑後の蒲池鎮漣(しげなみ)氏を須古城再建の祝いに招待するも、佐賀与賀神社近くで襲撃、惨殺します。その後すぐに筑後に入り蒲池一族を抹殺します。肥前には恩義を受けた蒲池氏を攻めることを反対した一派が発生したことも龍造寺の衰退につながりますが、その蒲池氏と同時期に筑後大川を支配していた鐘ヶ江氏も抹殺したことも考えられます。この鐘ヶ江氏は、菅原道真を祖とする一族で、菅原氏家系の公家の唐橋氏から分かれた一族であると考えられています。この鐘ヶ江氏抹殺が菅原道真公の怨念を引き起こし、龍造寺家の衰退につながったのではないかと考えられます。その証拠として、大川に怨念を鎮める鐘ヶ江天満宮が建立されます。また、関ヶ原の戦いの際、豊臣側の龍造寺家の人質を大坂城より救出の際、鐘ヶ江氏が関与した可能性があり、その後鍋島氏への禅譲に賛成した隆信の弟、須古藩の祖、龍造寺信周(のぶちか)など庇護により生き残った鐘ヶ江家子孫は肥前の地にて領地を賜り知行することになります。
鐘ヶ江という名前の由来は、二つあります。龍造寺が筑後遠征の際戦利品としてお寺の大きな梵鐘を略奪して佐賀に持ち帰る際、筑後川にその鐘が重たかったので舟を転覆させ落としてしまった淵に由来しているという説と筑後大川は、筑後川から有明海への入り口で船での物流の拠点でもありましたので、この鐘ヶ江氏は、物をお金に換えることが上手であったことがその名前になったという二つ目の説があります。その証拠として、商人として大川より博多の田島に移住した方に金替という名前の方がおられることです。一方肥前に武家として移住した方はそのままに鐘ヶ江を名乗っています。
この龍伝説の探求を通じ太宰府由来の新年号、令和という時代に私のルーツに大宰権師の菅原道真の血とDNAが流れている可能性がわかり、私の住処が福岡市中央区から南区、そして太宰府市近郊の水城付近に引き寄せられた理由が分かったような気がしました。

鐘ヶ江系圖
菅原姓 家之紋梅鉢枝松
土師朝臣宇庭-(中略)-菅家(道真公)-(中略)-菅三郎教綱-(中略)-鐘ヶ江孫八郎(鐘ヶ江住) -(中略)-鐘ヶ江長門守家宗-|
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|-鐘ヶ江宮内少輔鎮續 妻は慶円(藩祖の鍋島直茂の先妻) 子孫は鍋島藩家臣
|-鐘ヶ江長門守家續 八院合戦にて神文 子孫は鍋島藩家臣
|-鐘ヶ江将監-(中略)-鐘ヶ江久左衛門 子孫は鍋島藩家臣
|-鐘ヶ江紀伊守 妻は陽泰院(鍋島直茂の後妻)の御側女中 子孫は鍋島藩家臣

長門守家續など4兄弟の子孫が佐嘉鍋島藩の家臣となっていたけど、驚いたのは宮内少輔鎮續の妻が鍋島直茂の先妻(慶円・高木肥前守胤秀の娘)だったことです。
太宰府都府楼跡
太宰府坂本八幡宮
大川鐘ヶ江天満
天拝山ご自作天満宮

PS
鐘ヶ江の姫 ふく (黒島結菜)
昨年NHKで放映された土曜時代劇アシガールの4話にて主人公の唯(黒島結菜)が、鐘ヶ江氏の姫ふきと入れ替わりふくという名で羽木氏の若君、九八郎忠清(伊藤健太郎)の閨として夜を過ごすシーンがありました。この時、戦国時代の筑後鐘ヶ江氏の複雑な立場(蒲池と龍造寺に挟まれている関係)を思い出しました。このアシガールの原作者森本梢子さんは熊本出身で佐賀大学を卒業されています。もしかしたら、戦国時代の肥前と筑後の関係を研究されたのではないかと想像しました。このアシガールはコメディータッチの漫画が原作ですが、意外に深く面白いストーリ展開でした。原作者森本梢子さんに色々聞いてみたいですね。もしかしたら、羽木氏のモデルは戦国大名としては没落した蒲池氏ではないかと。
また、架空の戦国物語に九州、筑後、大川由来の鐘ヶ江姓を意図的に登場させたことも不思議に思いますね。森本梢子さん自身が鐘ヶ江氏と何かしら関係があることを想像しますね。でも、梢子さんの情報は皆無です。だれかご存知の方は情報を下さい。



PS-II
コロナにて、NHKのドラマ撮影スケジュースが延期され。また、アシガールが再放送されましたね。何回見ても何か癒されますね。NHKがこのようなSFラブコメディーを放送するなんて不思議な感じです。しかも3回も再放送があり。でも、今回は,12話の続編のSPは放送されないのが残念です。
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登龍門Ⅲ 黒髪山の龍伝説を追って After the Legendary Dragon!

2017-04-23 22:53:42 | 龍伝説
「登龍門 Ⅲ Quest for the Dragon!」
登龍門とは、古代中国の後漢書に出てくる黄河上流の龍門峡のある滝つぼの鯉の中にその瀑布の流れに逆らい上りあがったものが、天に上る龍になるという伝説です。これは、立身出世のための関門にたとえられた諺です。実際は、当時の中国、漢の宮廷が宦官政治に牛耳られていることを是正するために立ち上がった李膺(りよう)に由来しています。この人物、李膺に認められた若い官吏は必ず立身出世が約束されたことを意味する故事です。

昨年の登竜門Ⅱでご紹介しました佐賀県の黒髪山周辺にも龍伝説にまつわる地名があり、そのミステリーを今年も引き続き探求しました。
戦国時代の西九州、肥前を支配していた大名は、龍造寺氏でした。その名の通り、なぜか龍を作るお寺です。龍造寺氏は、平安時代に繁栄した藤原氏の子孫藤原季善が佐賀郡龍造寺村に入り龍造寺と名乗るようになります。筑前、肥前を支配していた小弐氏から下剋上で肥前の戦国大名にのし上がりますが、元来の守護大名の小弐氏の一派馬場頼周によって龍造寺氏は、壊滅状態になります。その後、筑後で勢力を持つ蒲池氏の庇護を再三受け、龍造寺氏はどうにか肥前に戻り再興することができます。ところが再建した白石須古城への祝宴の前に佐賀与賀神社近くにて待ち伏せ、招待され恩義のある蒲池氏と家臣達を殺害するという非道を犯します。この蒲池氏の生き残った子孫は、松浦氏と結びつき復興し、肥前有田の地で何かの理由で蒲地氏と名前を変えたのではないか。そして、龍造寺氏が衰退していく過程で、この退治された龍を龍造寺氏になぞらえ、蒲地氏の遺恨が重なって龍伝説として伝承されているのではないかという仮説です。有田の歴史は、陶磁器とともに400年がありますが、陶磁器産業が興る15世紀以前の資料があまり多くはないので、この話は、あくまで仮説です。龍伝説で龍を弓で射った鎮西為朝は、保元の乱(1156年)の頃の人物ですので、戦国時代とはだいぶ時間差があります。
また、来年有田、武雄での取材を通じて新たな仮説、発見を言及したく思います。
現在の有田蒲地家は、名家で蒲地医院、賞美堂本店を経営されています。
そして、筑後で生き残った蒲池氏の子孫は、酒蔵の比翼鶴を経営されています。
最後に、鍋島氏が龍造寺氏に配慮し、佐賀城の鬼門に建立した寺、水之江の宗龍寺(龍の付く寺)は、肥前の最大のミステリー鍋島化け猫騒動で猫(龍造寺氏の恨み)を退治した忠臣小森千左衛門がなぜか葬られています。

杵島山の山中にある日輪山水堂安福寺


水堂山頂より須古城(隆城)と男島城(おしまん城)を望む
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登龍門Ⅱ Quest for the Dragon ! 黒髪山の龍伝説

2014-04-21 00:27:09 | 龍伝説

  本当かもしれない龍伝説    ソフィア学院4月号より

昨年、崇徳上皇の桜の和歌「朝夕に花待つころは思い寝の夢のうちにぞ咲きはじめける」とご紹介しましたが、保元の乱にてこの上皇にお味方した弓の名手、源為朝(鎮西八郎為朝)は、その昔、現在の佐賀県有田町と武雄市の境の黒髪山界隈を棲かとした龍(七つの頭をもつ大蛇、おろち)を退治したという伝説があります。

有田町には、この龍に酒を飲ませ酔ったところを退治するため酒樽を置いた場所の地名がそのまま小樽、中樽、大樽(有田ダム入口付近)という名で残っています。また、一説には退治後、祝いの酒宴を開いたとき酒樽を大、中、小と置いた場所とも言われています。

退治された龍の鱗を九州の都、大宰府に運ぼうとし、途中で牛車が動かなくなり、牛が死んでしまった有明海岸の場所には、牛津(小城市牛津町)という地名も残っています。

有田町にはその龍の棲かとされた幽玄な岩屋のそばに、後漢書に記述された黄河上流にある同名のあの竜門峡があり黒髪山登山口や公園も整備され、鯉料理でも有名な老舗料亭が二軒ほどあります。
このゴールデンウィーク(4月29日~5月5日)期間、有田陶器市も開催されています。

最後に、この龍に関係する肥前最古の一の宮、黒髪神社もあり、その分社の武雄神社〔武雄温泉付近)には龍を想像させるパワースポットで有名になった大楠もあります。

また、この武雄の地に、龍の姿の楠の木が出現したのは、ただの偶然とは思えません。しかも、黒髪神社由来の武雄神社の境内に、その上、この山、御船山の形も本当に不思議な形をしている。漢字の山という字そのものの形なのです。

この龍伝説の真偽は、わかりませんが、当時の肥前各地が他にも線で結ばれ古代ロマンを感じられるのではないでしょうか。

Dragonquest01

武雄神社の龍を想像させる大楠

This huge holy tree in Takeo looks just like the legendary dragon.

パワー・スポットと呼ばれる場所には、その他の植物の樹勢が強いとされています。今後、この楠の木の樹勢を守ろうとするなら、周りの竹林の勢いを少し弱めるほうが賢明ではないかと個人的には思います。武雄市の関係者の方のご努力を信じています。

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