なんちゃって英語道!

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登龍門Ⅲ 黒髪山の龍伝説を追って After the Legendary Dragon!

2017-04-23 22:53:42 | 龍伝説
「登龍門 Ⅲ Quest for the Dragon!」
登龍門とは、古代中国の後漢書に出てくる黄河上流の龍門峡のある滝つぼの鯉の中にその瀑布の流れに逆らい上りあがったものが、天に上る龍になるという伝説です。これは、立身出世のための関門にたとえられた諺です。実際は、当時の中国、漢の宮廷が宦官政治に牛耳られていることを是正するために立ち上がった李膺(りよう)に由来しています。この人物、李膺に認められた若い官吏は必ず立身出世が約束されたことを意味する故事です。

昨年の登竜門Ⅱでご紹介しました佐賀県の黒髪山周辺にも龍伝説にまつわる地名があり、そのミステリーを今年も引き続き探求しました。
戦国時代の西九州、肥前を支配していた大名は、龍造寺氏でした。その名の通り、なぜか龍を作るお寺です。龍造寺氏は、平安時代に繁栄した藤原氏の子孫藤原季善が佐賀郡龍造寺村に入り龍造寺と名乗るようになります。筑前、肥前を支配していた小弐氏から下剋上で肥前の戦国大名にのし上がりますが、元来の守護大名の小弐氏の一派馬場頼周によって龍造寺氏は、壊滅状態になります。その後、筑後で勢力を持つ蒲池氏の庇護を再三受け、龍造寺氏はどうにか肥前に戻り再興することができます。ところが再建した白石須古城への祝宴の前に佐賀与賀神社近くにて待ち伏せ、招待され恩義のある蒲池氏と家臣達を殺害するという非道を犯します。この蒲池氏の生き残った子孫は、松浦氏と結びつき復興し、肥前有田の地で何かの理由で蒲地氏と名前を変えたのではないか。そして、龍造寺氏が衰退していく過程で、この退治された龍を龍造寺氏になぞらえ、蒲地氏の遺恨が重なって龍伝説として伝承されているのではないかという仮説です。有田の歴史は、陶磁器とともに400年がありますが、陶磁器産業が興る15世紀以前の資料があまり多くはないので、この話は、あくまで仮説です。龍伝説で龍を弓で射った鎮西為朝は、保元の乱(1156年)の頃の人物ですので、戦国時代とはだいぶ時間差があります。
また、来年有田、武雄での取材を通じて新たな仮説、発見を言及したく思います。
現在の有田蒲地家は、名家で蒲地医院、賞美堂本店を経営されています。
そして、筑後で生き残った蒲池氏の子孫は、酒蔵の比翼鶴を経営されています。
最後に、鍋島氏が龍造寺氏に配慮し、佐賀城の鬼門に建立した寺、水之江の宗龍寺(龍の付く寺)は、肥前の最大のミステリー鍋島化け猫騒動で猫(龍造寺氏の恨み)を退治した忠臣小森千左衛門がなぜか葬られています。

杵島山の山中にある日輪山水堂安福寺


水堂山頂より須古城(隆城)と男島城(おしまん城)を望む
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