旧三河島汚水処分場

2014年09月23日 | まち歩き

Img_00a0348

旧三河島汚水処分場喞筒(ポンプ)場施設 (国指定重要文化財)

ちょうど1年前の2013年(2013)4月に一般公開されることになった「旧三河島汚水処分場喞Img_00a0349筒場施設」、喞筒とはポンプのことで、ソク-トウまたはショク-トウと読む。1週間前に予約を入れて3月10日に訪ねた。11時の予約だったが道路が混雑していて時間ぎりぎりに到着、玄関前に案内頂く東京都下水道サービスの森さんと清水さんが待っていてくれた。この施設は三河島水再生センターの一角にある。写真、手前は「ろ過機室」、奥が「ポンプ室」、ポンプ室は左右対称の構造で、左の写真のように平面性や直進性を強調した、いわゆるゼツェッシオン様式。外壁の煉瓦タイルは東京駅と同じ品川白煉瓦株式会社」のものが使用されている。最初の近代下水処理場の代表的遺構として歴史的価値から平成19年12月国の重要文化財に指定された。

近代的な下水道へ

明治時代まではし尿は肥料として利用、家庭の雑排水と雨水はそのまま河川に放流れていImg_00a0353た。明治半ばに東京市(現在の区部)の人口は急激にふくれあがり、都市基盤の構築が急がれていた。効率的に下水をまとめて浄化する汚水処理施設が必要となった。行政は最初の汚水処分場の建設予定地を模索していた。このときのエピソードを森さんが紹介してくれた。処理場などの用地買収には通常地元は反対するのだが、隅Img_00a0354
田川中流に面するこの辺一帯(約18万平米)の地主たちは逆に買い上げを要望、比較的安価に用地買収ができるので東京市としては願ったりかなったり、この地に最初の近代的な汚水処理場の建設が大正3年に着手され、大正11年に運転開始された。右は正面から見た西阻水扉室で、左は沈砂池側からで左右2つが並んでいる。阻水扉(ゲート)は流入暗渠から処分施設に下水が入ってくるが、その入口に設置されている。

汚水処分場施設のフロー図  (構内の案内版より)

Img_00a0350

東・西阻水扉(そすいひ・ゲート)を通り過ぎた下水は東西2つの沈砂池(写真右)に入る。沈砂池Img_00a0360_2(ちんさち)では下水に混じっている土砂やゴミを沈殿させて除去する。この汚水処理施設は平成11年に施設停止され、雨水が溜まるのを防ぐため沈砂池底部を埋められたが、平成23年に衛生管理上地上部の蓋も建設当時の姿に復元するため撤去された。下水は沈Img_00a0368砂池を過ぎると、写真奥の濾格機室(ろかくきしつ)に入る。濾格機とは下水の含まれるゴミを除去するための鉄製の格子(スクリーン)と、ゴミを連続して掻き揚げるレーキを組み合わせた設備で、写真左は濾格機室の入口のスクリーン。ここで集められた土砂は土運車引揚装置(インクライン)で東側の坂の上に運ばれた。土運車引揚装置用電動機室の建屋は保存されているが、機器類は撤去されて機器の基礎跡は見ることができる。

汚水はヴェンチェリー管を使ってその流速を計測する量水器室を通って、中間阻水扉に向かImg_00a0380
う。これらは地下にあって、右写真のように中間阻水扉手前から地下に入ることができる。地下に入ると暗渠(あんきょ)を見ることが出来る。2系列に分かれて沈砂池を通った下水は喞筒井(ぽんぷせい)接続暗渠により1つになり、阻水扉室を通って喞筒井に流入する。暗渠の中は迷路の様だが、案内してくれるので心配はない。現在ではもっと大きな暗渠もあるが、大正時代に建設されたがその大きさには少し驚いた。

Img_00a0381

喞筒井接続暗渠にはポンプにて吸い上げられるためのパイプ(吸入管)が下りてきている。写Img_00a0390真は10号汚水ポンプの真下にある10号喞筒井。(当初は9台であった)10号汚水ポンプは昭和8年から10代目のポンプとして使用された。停電時に逆流を止めるために逆止弁(ぎゃくしべん)を途中に取り付けた。そのため吸入管の先にはラッパ管が取り付けられた構造になっている。すべての喞筒井には整流用にコンクリートの山形ガイド(赤矢印)が設けられている。

喞筒室

Img_00a0441

写真は喞筒室内部、10台(当初は9台)の汚水ポンプが並んでいる。当初のポンプは「ゐのくImg_00a0407
ち式渦巻喞筒」であったこのポンプは東京帝国大学教授の井口在屋(いのくち・ありや)博士が発明し、教え子の畠山一清が実用化を進めたもので、世界でも注目を集める画期的な発明であった。のちImg_00a0408
に畠山は井口と「ゐのくち式機械事務所」を設立し、大正8年(1920)には現在の荏原製作所を設立した。現在保存されているポンプは昭和40年代に取り換えられたものである。当初9台のポンプは、口径410、560、760㎜のものがそれぞれ3台ずつであった。写真右は昭和8年に10代目である口径800㎜の10号ポンプ、写真左は「ゐのくち式渦巻きポンプ」大正10年撮影、場内の案内版より転用。

喞筒室の二階デッキに展示スペース(写真右)があり、この下水処理施設の建設に関わった技術者・中Img_00a0470島鋭治や米元晋一の紹介。「なぜ三河島が最初なんだろう」というタイトルで、中島鋭治は第一区(日本橋・京橋など台場沖にImg_00a0430_2
放流)をやりたかったが台場に送る5フィート(1524㎜)の鉄管5本にも疑問がたくさんあって、まとまっている第2区(下谷・浅草など荒川・現隅田川に放流)からよかろうということで、第2区を最初に着手したと紹介している。また昭和8年の東京市役所が改良下水道の利用と題したポスターの展示(写真左)があり、絵の中に水洗トイレが描かれていた。アンクルサムは昭和20年後半に小学生だったが、周りはすべて「汲み取り式トイレだったと記憶している。

旧三河島汚水処分場喞筒場施設の見学

見学には事前予約が必要で、必ず下記の問合せ先に申し込みしてください。駐車場は狭いので出来るだけ公共交通機関で、都電荒川線なら「荒川二丁目」で下車すると徒歩3分です。見学可能日は平日(年末年始と火曜日・金曜日を除く)と土日・祝日です。

電話 03-6458-3940 三河島重要文化財見学受付

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿