弘前 ぶらり歴史散歩

2013年05月25日 | まち歩き

Hirosaki_200 

歴史の街 弘前 趣きのある建物 ぶらり散歩

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弘前学院外人宣教師館

弘前には1泊するので、ぶらりと趣きがある建物をゆっくりと散策することにした。まず最初にHirosaki230honda_2「弘前学院外人宣教師館」を訪ねた。弘前学院の生い立ちは明治19年本田庸一(写真左)の推奨によって、弘前教会堂内に女学校(来徳女学校)を開設されたことから始まる。津軽藩士だった本田庸一は明治3年に藩費で横浜に遊学、宣教師バラより英語を学んだ。バラから洗礼を受けて、明治7年に米国メソジスHirosaki230johningト監督協会教師のジョン・イングを夫人と共に東奥義塾に就任させ、自らも同校の教師となった。本田とイング夫妻の協力によって弘前を中心に津軽地方にキリスト教の伝道が始まった。明治22年弘前女学校となり米国から派遣される婦人宣教師のもとに学校運営がなされるようになりミッションスクールとして発足。その後次々と派遣される校長や宣教師は日本家屋で生活したが、外人にとって不自由であったので、宿舎として建設されたのが、弘前学院宣教師館である。建築されたのは明治39年(1906)、創立20周年の節目であった。

外人宣教師館は正門を入ってすぐ右側にある。見学は宣教師館の斜め向かいにある学校法Hirosaki231hirosakigakuin人本部(1階)に申し出ると案内頂ける。とても親切に内部を案内頂いて感謝している。この西洋館の設計施工者は、地元のクリスチャン棟梁の桜庭駒五郎、木造2階建、屋根Hirosaki232hirosakigakuin寄棟造、鉄板葺、建築面積159㎡。旧学院本部構内(中瓦ヶ町)に建設された。昭和47~49年に稔町に全面移転したため、一時は解体処分することも検討された。明治時代の代表的な建築物として、全国的にも注目されていて昭和53年1月に国の重要文化財にHirosaki233hirosakigakuin指定された。その年の7月から昭和55年3月まで2年近くかけ現在の場所に移築復元された。上下階とも中央に中廊下を設け、南側には半円の広がりを持つ応接室(1階)、談話室(2階・写真)、その他に1階には玄関、集会室、書斎、食堂、厨房、浴室、2階には寝Hirosaki234hirosakigakuin室2室、物置、階段室がある。2012年7月に㈱グラフィック社から出版された「ビジュアル資料 明治・大正・昭和 西洋館&異人館」(著者・伊藤隆之、B5版304頁、2940円)、全国の著名な西洋建築が300頁に渡ってフルカラーで紹介されているが、弘前学院外人宣教師館がトップに掲載され、しかも表紙にも掲載されている。左は学院で頂いた宣教師館のしおり、右は弘前市発行の弘前散策資料。

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旧東奥義塾外人教師館

弘前公園のすぐ南に旧東奥義塾外人教師館がある。寛永8年(1796)に弘前藩9代藩主津Hirosaki_261軽寧親は「稽古館」と名付けた藩校を設立、明治の廃藩置県で稽古館は津軽家の私的な施設として存続、明治5年に稽古館を母体に菊池九郎らによって「東奥義塾」が創立さHirosaki_262れた。世界に向けて新しい時代を担う人材育成のため教育を実施、米国メソジスト監督教会の宣教師・ジョン・イングを始め、同教会から次々と外人教師が来日着任した。明治23年に外人教師用の住宅が建てられたが32年に焼失、現在の教師館は明治33年に再建されたもの。設計は米国メソジスト監督教会本部で、当地のクリスチャンだった棟梁が建設に従事した。イギリス積の煉瓦基礎や煙突と窓枠のグリーンが西洋館をイメージさせている。床面積は280㎡を比較的大きい。東奥義塾のキャンパス移転で弘前市に寄贈され、のちに県重宝に指定された。写真は2階の書斎と主寝室、子供部屋にはブランコなども設置されており、厚遇されていたことがよくわかる。1階はサロン・ド・カフェ・アンジュというレストラン・喫茶になっている。

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旧弘前偕行社 弘前厚生学院記念館

この地は津軽藩政時代には「九十九森」と呼ばれた鷹狩場で、19世紀初め9代藩主寧親がHirosaki_270別邸と庭園を造った。明治37年(1904)に弘前に駐屯していた陸軍第八師団の将校や准士官の親睦組織である弘前偕行社の新築が計画され、設計は当時陸軍施設を一手に引き受けていた弘前を代表する棟梁・堀江佐吉であった。津軽寧親別邸跡地にルネサンスHirosaki_271風デザインを基調とした木造平屋建、東西方向約50mの規模を有した第八師団弘前偕行社が完成した。玄関ポーチに翼棟を広げたデザインは、旭川(第7師団)、金沢(第9師団)、善通寺(第11師団)、豊橋(第15師団)、岡山(第17師団)など現存している各偕行社の建物と共通している。中でもこの旧弘前偕行社は旧Hirosaki_272旭川偕行社(旭川市彫刻美術館)と並んで優雅で立派な建物だ。終戦後偕行社は解散、昭和20年9月に弘前女子厚生学院が移転のちに大蔵省から払い下げられ使用してきたが、弘前厚生学院記念館として自主的に保存することになった。修復には設計者の流れをくむ堀江組が行い、現在も随時補修作業が行われている。見学には申し出ると案内頂ける。当日は館長さんに案内頂いた。現在も記念館は授業など教育活動に使われている。旧第8師団時代をしのばれるものも多く展示されて大変興味深い。平成13年に国の重要文化財に指定されている。

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旧弘前市立図書館

旧東奥義塾外人教師館の隣に、八角形の双塔を持つ洋風の3階建ての建物がある。明治Hirosaki_27639年に地元の棟梁・堀江佐吉が設計・施工、東奥義塾敷地内建てた「旧弘前市立図書館」で、弘前市に寄贈された。昭和6年まで市立図書館として利用されたが、図書館の移転で堀江家の子孫に払い下げられ、市内富野町に移築された。かっては下宿屋や喫茶店として使われたこともあったが、平成2年市制百周年記念施設の一つとして、現在の場所に復元された。平成5年に青森県重宝に指定されている。入館自由・休館日はない。

 

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