京都 時代祭

2014年10月13日 | お祭り

 

京都 時代祭 10月22日

今年も10月22日が近付いてきた。京都三大祭の一つ・時代祭の日、正午に京都御所建礼門を出発、堺町御門→烏丸丸太町→烏丸御池→河原町御池→河原町三条→三条大橋、三条神宮道を通って、午後2時半に行列は平安神宮に到着する。葵祭や祇園祭と比べると歴史は浅いが、それでも100年以上歴史あるがる。時代祭は明治28年に平安神宮が創建されたのを記念に始り、祭りを盛り上げるために京都の風俗を模して今のような時代風俗行列が行われるようになった。まだご覧になっていない方はこのページで、ざっと行列のあらましをご覧になってから行かれると良い。

時代祭旗・総奉行

各隊列の前に、時代祭旗と時代祭を主宰する平安講社の理事長が総奉行として、2000人余りの行列の先頭に登場する。平安講社は平安神宮の保存などの市民組織として作られ、行列の多くは平安講社の旧学区で分けられている各社が担当している。

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維新勤王隊列  (明治維新)

明治維新のとき、丹波北桑田郡山国村(現在の京都市左京区京北)の郷士83名が山国隊を組織して、官軍に加勢し、錦の御旗とともに凱旋したときを表現している。

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幕末志士列 (明治維新)

桂小五郎(写真上左)、西郷隆盛、坂本龍馬(写真上右)、中岡慎太郎、高杉晋作が登場する。続いて七卿落ち。尊王攘夷派の7人の公家たちが京都を追われて長州藩に落ち延びた。そのメンバーは三条実美、三条西季知、四条隆詞、東久世通禧、壬生基修、錦小路頼徳、澤宣嘉。蓑を着て道中する姿を再現している。(写真下右) 左は近衛忠煕。

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徳川城使上洛列  (江戸時代)

徳川幕府の歴代将軍は大礼、年始などには城使を上洛させた。城使には譜代の大名がその任に当たった。先頭に行く槍持、傘持、挟箱持の掛け声や所作を楽しめる。

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江戸時代婦人列 (江戸時代)

最初に行くのは第14代将軍・徳川家茂の正室となった和宮親子内親王(写真上)、蓮月(江戸時代の歌人)、中村内蔵助の妻、お梶(女流歌人で、祇園に茶店を営んでいた)、吉野太夫(写真下)などが続く。

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 豊公参朝列  (安土桃山時代)

 

慶長元年(1596年)豊臣秀頼の初参内と慶長2年の元服のときがもっとも盛大だったとされている。その様子を再現したのが、この豊公参朝列。参内の乗り物は牛車(ぎっしゃ)で、檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしぐるま)と呼ばれる豪奢なもの。

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織田公上洛列 (織田公上洛列)

応仁の乱のあと、京の都は極度にさびれて、皇室も衰微していた。永禄11年9月、織田信長は上洛して、皇居の整備、都の復興に努めて民を安堵させた。信長の上洛を模したのが織田公上洛列。

立入宗継(たてりむねつぐ)は、粟田口(京都市東山区)に織田公を出迎えた。下の写真は左は羽柴秀吉、右は織田信長。

 

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室町幕府執政列  (室町時代

武家風俗を中心とするもので、足利将軍は鎧など身につけず烏帽子に豪華な金襴の衣装の軽装、幕府執政の任にあたる三管領・四職の氏族が御供衆として従い、公家・法中・御博士・医師などの特色ある風俗が表現されている。 

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 室町洛中風俗列

 16世紀京の町衆によって盛んに催された風流踊りを再現している。風流傘を中心に、囃子方、踊り手で構成、これが各地に伝わって、江戸時代以降の盆踊りの原型となった。 

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 楠公上洛列 (吉野時代)

元弘元年、後醍醐天皇が隠岐から還幸された際、上洛を導いた楠木正成一族の行列を再現。その楠公一代を通じての盛事で、豪華な甲冑や武具が見もの。 

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 中世婦人列 (吉野時代)

 

 大原女

洛北大原の婦人は頭に薪、炭など載せて京の町へ売りに出る風習があった。これは室町末期の大原女姿。

 

 

 

淀君 (豊臣秀吉の側室、浅井長政の娘)

 

 

静御前(しずかごぜん)

源義経の愛妾。ここでは白拍子時代の姿で水干、単小袖、白の切袴、立烏帽子を身に着け、鼓を持っている。うしろに童女(わらわめ)が一人従い、絹傘を所持している。

 

 

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 城南やぶさめ列 (鎌倉時代)

流鏑馬(やぶさめ)は平安朝の時代から行われていた騎射の技で、馬場の3か所に的を立てて、馬を走らせながら弓を絞って矢継ぎ早に射る。この列は狩装束の射手の武士を中心とした5組をあらわしている。  

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 藤原公卿参朝列 (藤原時代)

平安中期以後、藤原氏のもっとも栄えた時代を表した列で、列では文武両様の姿をあらわしている。夏の様式。 

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 平安時代婦人列 (藤原時代)

 

巴御前

木曾義仲の側女、女武将として義仲とともに戦いに参加、勇ましく艶やか。

 

 

 

 

巴御前に続いて、横笛(建礼門院の雑仕女、斎藤時頼の愛人で出家した時頼のあとを追う)、常盤御前(源義朝の側室で、義朝の没後、牛若ら三児を連れて六波羅へ向かう)、清少納言(源氏物語の作者)、紫式部(枕草子の著者)、紀貫之の娘、小野小町、和気広虫(和気清麻呂公の姉、慈悲深く多くの孤児)が続く。

 

 

百済王明信(くだらおうみょうしん)

百済王・理伯の娘、桓武天皇の時代に女官の最高位である女官長を勤めた。唐衣に裳の唐風の装束で翳を手にし、侍女を従えています。翳(さしは)は鳥の羽や絹を張ったうちわ形のものに長い柄をつけた道具で顔を隠すのに使う。 

 

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 延暦武官行進列 (延暦時代)

この列の大将は征夷大将軍坂上田村麻呂、東征を終えて平安京に凱旋。

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 延暦文官参朝列 (延暦時代)

延暦時代の公卿諸臣が参朝するようすを再現。 

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 神饌講社列 (延暦時代)

時代祭当日の神饌物を奉献する役を勤仕する者の行列。 

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 前列 (延暦時代)

神幸列に前行する故に前列と言われる。雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶等優美な行列で、また多数の狩衣姿のお供が続く。 迦陵頻伽(がりょうびんが)とは仏教で説かれる想像上の鳥で、上半身は人間、下半身が鳥。極楽浄土に住んで、妙声で仏法を説く。

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神幸列

御賢木(おんさかき)を先頭に、ご鳳輩が続く。先の御鳳輦は孝明天皇、後のご鳳輦が桓武天皇が祀っており、京都をご巡幸になって、市民の安らかな様子を親しくご覧になるのであって、時代祭でもっとも意義ある列。

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 白川女献花列

比叡山の裾野、白川に広がる花畑の花を売り歩くのを業とする女性が白川女で、その歴史は古く、平安時代中頃から御所に花を届けていた。神前に供える花を頭にのせている。 

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 弓箭組

丹波国南桑田、船井両郡には、源頼政に従い弓矢の技に優れた者が多く、その子孫も平素弓箭組を組織。 桓武天皇平安遷都の際その御列の警護にあたり、維新には山国隊とともに東北鎮護に活躍した。

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京都 葵祭 

 

 

 


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