憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

文春は小室のイジメ記事を再公開。

2021-05-09 20:03:27 | 小室
この時期に「皆さん、忘れていませんか?」と言わんばかりに
文春オンラインは2019年の過去記事を再公表。

現在、婚約内定の状態で結婚が延期されている小室圭氏との結婚が成立した場合、小室氏は悠仁さまの義兄となり、将来は“天皇の兄”という特別な立場になる。これが今後の令和皇室における重要問題であることは論を俟たない。女性宮家創設が実現すれば、女性皇族の伴侶を皇室に迎え入れる可能性も出て来るからだ。

と、文春は煽るが、こういう書き方をするから「眞子さまが降嫁して一般人になれば皇室とは無関係になる。皇室と無関係になれば相手が小室でも問題無い。」と錯覚する人が出て来るのではないでしょうか。

眞子さまが一般人になっても小室が令和の天皇の義理の甥、秋篠宮殿下の義理の息子、悠仁親王の義理の兄、すなわち皇室の姻戚であるという”特別の立場”は変わりません。

週刊誌はそんなことは承知の上で、「一般人になるのだから、小室がどうでもいいんじゃない?」という人々の思いに寄り添って、二人の結婚をこっそりと後押ししてるんじゃないでしょうね!?


「学校来るな!」「キモい!」小室圭さんからの“イジメ被害”で不登校になった同級生が忘れられないトラウマを初告白
2021年05月09日 12時00分 文春オンライン より抜粋

この文書には小室さんと母親が当時置かれていた家庭環境についても詳細に記されていた。はたして小室さんはどのような少年時代を過ごしてきたのか――。


小室、愛くるしい。

小室、愛くるしい笑顔で相手に取り入るのが上手い人?

2019年5月、「週刊文春デジタル」取材班はAさんにインタビューを行った。当時の記事を再公開する。(日付、年齢、肩書き等は掲載時のまま)

今回、「週刊文春デジタル」の独占インタビューに応じたのは、小室圭氏の国立音楽大学附属小学校時代の同級生Aさんだ。 

「国立音楽大学附属小学校、みんな略して『音小』と呼んでいます。1クラスに男子は6 人。2クラスしかないので、男子は小さなコミュニティでした。クラスの多くが裕福な家庭に育ったお坊ちゃま、お嬢さま。それぞれ選択必修で楽器を習うのですが、圭くんはバイオリン専攻だった。当時の腕前を『神童だった』と圭くんのお母さん(佳代氏)が言っていたという報道もありましたが、それは少し褒めすぎかも知れません」

「彼が教科書を読むだけで笑いが起こる。彼は『おかあさんといっしょ』(NHK Eテレ)が好きだったようで、彼の鉄板ネタは、だんご3兄弟のショートアニメ『あっという間劇場』のモノマネでした。それでクラスの笑いをとっていた。僕も5年生までは圭くんと仲が良く、互いの家を行き来したり、交換日記みたいな感じで漫画を互いに描きあっていた。圭くんは『ワンピース』にハマッていて、同じような物語を漫画にしていました」 

 小室家はもともと横浜市内に住んでいたが、小室氏の通学の便を考え、新たに国立市にマンションを借りたという。
「佳代さんの意向だったそうです。うちの家族とは母親同士が仲良しだったので、圭くんのお母さんの話は、私も母からいろいろと聞いていました。圭くんのお父さん(敏勝氏)は、職場の横浜まで国立から1時間以上かけて通っていたそうです。圭くんは両親のことを『お父さま』『お母さま』と呼んでいたのをよく覚えています。」

「お父さんが亡くなって、(小室母子は)国立から横浜の家に戻り、僕は圭くんと登校するようになりました。彼の精神状態はとても不安定で、電車のなかで倒れてしまったこともあった。僕の中でも子供なりに気を遣って、自分の父親に頼み、圭くんが好きな野球を観に行ったり、『一緒にいなきゃ』と思っていました。それが彼にとっては鬱陶しかったのかもしれません」 

「5年生の夏前だったと思います。ある日、登校のためにいつも通り、『何時何分の電車の何号車で』という待ち合わせをしたんだけれど、、圭くんは待ち合わせに現れなかった。それなのに、国立駅で降りると彼がいて、ガキ大将と一緒にケタケタ笑っていたんです。そんなことが毎日のように続いた。圭くんは僕が電車の中で彼を探す姿を、隣の車両から隠れて見ていて、おもしろがっていたのです。その後も急に無視をしたり、容姿をバカにするあだ名をつけたり。僕は圭くんたちといるのが嫌で、図書室に隠れるようになった。でも、彼らはそれを面白がって、僕を探しだすと本棚の裏から、大声で僕のあだ名を馬鹿にするような替え歌を聞こえるように歌ってきた」 

「僕は親の勧めで、4年生の頃からインターナショナルスクールが開催するサマースクールに通っていました。授業は全部英語で行われ、講師は外国人。圭くんのお母さんはその話をうちの親から聞くと、『それはウチの圭にもやらせたい』と言って、5年生のときのサマースクールには圭くんも来ることになりました。憂鬱だった。でも、ガキ大将や他の学校の友達がいなかったせいか、圭くんは優しかった」 

「僕も圭くんもガキ大将も、同じサッカー部でした。サッカーの練習をするといって、休み時間にキーパーとして僕を立たせ、至近距離から一斉にボールを蹴り込まれるということもあった。彼らとサッカーするのが嫌で、別のクラスメイトと休み時間に校庭で練習していると、教室の窓から大声で『学校来るな!』とか『キモい!』とか大声で叫ばれました。圭くんや、ガキ大将は影響力があり、同じクラスは勿論、隣のクラスの男子まで一緒になって悪口を浴びせてきた。隣のクラスの先生が注意してくれたこともありましたが、イジメが止むことはなかった。僕は学校を休みがちになりました」 

「卒業式には、悔しいから出席しました。圭くんやガキ大将に舐められっぱなしなのが嫌で、写真も一緒に撮りました。圭くんのお母さんは僕の母に『今までお世話になりました』と小さいダイヤがついた携帯ストラップをプレゼントしたそうです。なぜ僕が不登校になったのか。圭くんが何をしていたのか。圭くんのお母さんは何も気付いていないんだと思いました。
 ただ、今思えば、可哀想なところもあった。お父さんが死んですぐに、圭くんが『おじさん』って呼ぶ男性が学校に現れたことがあった。髭を生やしたダンディな感じの人で、お母さんの新しいパートナーだということでした。修学旅行のお迎えなどで何回か会ったことがあります。『圭がその方のことを凄く気に入っている』と圭くんのお母さんは話していたそうです。
 でも本当のところは、圭くんは凄くその『おじさん』に気を遣っていたのです。お父さんが亡くなって1年くらい経つと、圭くんのお母さんは再婚の相談を圭くんにしました。『お母さん的にはその人のこと好きだし、嬉しいに決まってるでしょ』くらいの感じで話したら、初めて圭くんが感情を爆発させた。泣きながらやめてくれと懇願したと聞いています」

「ありました。最初は報道があったときに連絡するつもりはなかったんですけど、僕にも取材のお願いがいくつか来ていて。それで(圭くんに)『正直どうしてほしい?』と聞いたんですよ。それを聞いたのも理由があって、『取材を受けちゃったら(今までのことを)全部話すよ』っていう遠回しな忠告も含め、最後のチャンスとして、謝るなら今だよというニュアンスのメッセージを送ったんですよ。
 そうしたら『小学校の時は仲良くしてくれてありがとう、報道の件に関してはご迷惑をかけて申し訳ない。取材を受けるかどうかは好きにしてくれ』という返事が来て。僕の聞きたい言葉は何も返ってこず、『ありがとうと言う前に謝る事があるだろう。あれだけのことをしておいて、忘れたとは言わせないぞ。俺は未だに覚えているし、(圭くんの)話をしろと言われたらそれしか出てこないし』とメッセージで送ったんです。でもそのメッセージを送った途端に既読スルーされました」

小学生時代の小室は心の優しい級友を集団でイジメたりからかったり。
後年、中・高校時代にも集団で同級生に対して同じようなことをしていたと報道されていましたが。
小中高、ターゲットは違うが、ずっとイジメをしていたということになる。
ひどい目にあった級友ならずとも「こんな人が内親王の婿になって準皇族扱いされるのなら、世の中間違っている。」としか思えませんわね。

文春オンライン全文はこちら




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。