宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「烏枢沙摩明王と媽祖を供養する」

2015年07月29日 | Weblog



(烏枢沙摩明王)


伝承によれば 媽祖(天上聖母)は
烏枢沙摩明王の呪によって神通力を得たとされます。



「オン・アー・ウン・ソーハー。」(3遍誦す)


「召請(しょうせい)
穢跡金剛(媽祖)(えしゃくこんごう(まそ))
与衆諸仏菩薩(よしゅうしょぶつぼさつ)
及衆護法神(きゅうしゅうごほうしん)
与莅臨(よりりん)。」



「ラム・ヤム・カム。」(3遍誦す)

(  `m´) 「…天上におられる穢跡金剛と媽祖から金色の光が
          自分に注がれていると観想します。」


「南摩(なま)
穢跡金剛(えしゃくこんごう)
大権神王仏(だいごんしんのうぶつ)。」(何遍も誦す)

「南無(なむ)
大悲慈仁(だいひじじん)
天上聖母天尊(てんじょうせいぼてんそん)。」(何遍も誦す)


「南摩(なま)
本師釈迦牟尼仏(ほんししゃかむにぶつ)
南摩(なま)
化身釈迦牟尼仏(けしんしゃかむにぶつ)
南摩(なま)
穢跡金剛(えしゃくこんごう)
大権神王仏(だいごんしんのうぶつ)。」


「オン・グロダノウ・ウンジャク。」(108遍誦す)


(回向)


「オン・マニ・ペメ・フン
一切吉祥円満(いっさいきっしょうえんまん)。」



「三悪趣の有情を救う」







最初に 両手を内縛し、
左右の親指は 右指を上にして重ねて誦す。

「ナモ・サバボダ・ボチサッタナン・カミラコ・ウン・オン。」

次に 左右の親指を離して 並べて立てて誦す。

「ナモ・サンマンダ・ボダナン
オン・ウン・ミナショク。」


このようにして 三悪趣の有情を救い出す事が可能で、
またそのようにして 自己も一切如来の功を成就する事ができるとされる。



「聖号」





・「南無(なむ)
月光如来(げっこうにょらい)

南無(なむ)
如月光紅色如来(にょげっこうこうしきにょらい)

南無(なむ)
威荘厳決定清浄如来(いとくそうごんけつじょうしょうじょうにょらい)。」


これらの聖号を誦す事で
淫業が除かれるとされる。




・「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
南無(なむ)
大悲功宝王如来(だいひくどくほうおうにょらい)。」


これの聖号を誦す事で
速やかに無量の功徳と 福徳と智慧徳を集め、
輪廻転生する因が断たれ
大悪が除かれ 解脱できるとされる。



・「南無(なむ)
掃数諸仏海会如来(そうすうしょぶつかいえにょらい)。」


この聖号を志心に誦す事で
三昧耶戒を犯した罪障が除かれるとされる。」

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雨 の 詩(うた) (天才詩人たちの愛の言葉)
2015-07-29 01:11:42
          雨 の 詩(うた)

雨は愛のようなものだ
それがひもすがら降りそそいでいた
人はこの雨を悲しそうに
すこしばかりの青もの畑を
次第に濡らしてゆくのを眺めていた
雨はいつもありのままの姿と
あれらの寂しい降りようを
そのまま人々の心にうつしていた

人々の優秀なたましいは
悲しそうにすこしつかれて
いつまでも永い間うち沈んでいた
永い間しみじみと雨を眺めていた
初めて「カラマゾフ兄弟」を読んだ晩のこと

私はふと心をすまして
その晩も椎の実が屋根の上に
時を置いて揆(はじ)かれる音をきいていた
まるで礫(つぶて)を遠くから打ったように
佗しく雨戸をも敲(たた)くのであった

郊外の夜は靄(もや)が深く
しめりを帯びた庭の土の上に
かなり静かな重い音を立てて
うれた椎の実は
ぽっりぽっりと落ちて来た

それは誰でもあの実の落ちる音を
かって聞いたものが、お互いに感じるように
温かな静かなしかも内気な歩みで
あたりを憚(はばか)りながら
優しく忍んで来るようであった

私は書物を閉じ
雨戸を操(あやつ)って庭にひろがった靄を眺めた
温かい晩の靄(もや)は一つの生きもののように
その濡れた地と梢にかかっていた
私は彼が愛すべき孤独な小さな音響が
実に寂然として
目の前の地上に触れるのをきいた

都会のはずれにある町
しかも奥深い百姓家の離れの一室に
私は父を亡(うしな)って
遠く郷里から帰って坐っていた
あだかも生涯のなかばに立って
あとの生涯をゆだねつくす仕事のために
心を深く決めた深い晩であった

  Kiba Book 志茂田景樹事務所 室生犀星の詩
無宗教世界 (もみ@着流し)
2015-07-29 10:00:04

|・)…

こちらにも 無宗教とか
宗教に関心が無い人は沢山いる、
でも 宗教を信じる人に対して
直接 馬鹿にする言行を示す事は まずない、

日本の場合 何かを信仰していると表明する人に対して
チンピラを嫌がるレベルでの
嫌悪感を表明する人が多いばい。

「酒を沢山飲めるのが男らしい、
宗教なんかやる奴は弱い・危ない」
という価値観という事らしく

そういう社会でも 創造性豊かとか
成熟したコミュニケーションが 社会構造の中で感じられるならば
もみも そういう考え方にも有理であると思うのだけど

残念ながら そうではなく、

今の日本に対しては
「宗教的価値観を徹底排除していった国の見本」
としか思えなくて|・)…

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