白檀香を焚き 7粒のミロバランの実を焼いて、
それらの灰を白蜜と混ぜて 49個の丸薬を作り
釈迦牟尼仏の図像の前で この丸薬を置いて1008遍誦してから、
7日間かけて 毎朝7粒食べる事で
身体の種々の不浄物が断たれて
身体が瑠璃の如くなるとされますが、
正式な方法ではなくても、
釈迦牟尼仏に礼拝や供養を捧げて誦す事で
ある程度の加持が得られそうです。
「オン・シリダ・クルダ・セメ・ウン。」
以下 ネットに投稿されていた体験談のコピペです。
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その時も皆で近くにある有名スポットへ肝試しに行くことになりました。
その心霊スポットには銅像が建っていて、それが動いて見えたりすると事故に遭うとかいう、
全国どこにでもあるようなスポットでした。
でも実際仲間内でも事故ったという人間もいて、なかなか評判の場所でした。
今思えばバイク乗りたての高校生が、深夜心霊スポットに行ってビビれば事故る確率は高くなるのですが、
まあそれなりに信憑性も感じて、事あるごとによく行っていました。
その日は動いているようには見えず、その銅像の前でダラダラしていたのですが、
誰かが友人Aに
「おいA、銅像の膝にヘッチン(でこぴんのようなもの)せえや」と言い出しました。
この銅像にはもうひとつ言い伝えが合って、銅像にやったことはみな自分に返ってくるというものです。
目を触れば目を病気するとか、色々噂がありました。
Aはグループの中でも運転は一番にうまかったのですが、
心のやさしい奴で、少し怖がりな所がありました。
嫌そうでしたがそこはお約束、これをやらないと「根性ないやつ」と言われてしまいます。
Aは仕方なく銅像の膝にヘッチンしました。しかし怖がりながらやったせいか、ヘッチンは軽くかすっただけです。
皆大笑いして「根性なし」を連呼しました。
「もっかいやれ」と皆にせっつかれて、Aはもう一度ヘッチンをしました。今度は大きな鈍い音がしました。
指を強く打ちすぎてうなるAを見て、又皆大笑いです。
「早速呪われてる。」だの、「もうお返しされてる」だの言いたい放題です。
「くそーっっ!!」とAはもうやけくそで、
銅像の乗っているコンクリートの台に、相撲でぶつかるように抱きつきました。
でも別段怖いこともおこらず、帰る事になりました。
俺達はバイクにまたがって、15台くらいで連なって帰りました。
たまたま前をAが走っていました。
大きな道路の急カーブにさしかかったときです。
みな体を右に倒してコーナーを曲がります。
Aも右側を倒し始めました。どんどん倒します。
しかし、軽く倒せばいいはずなのに、Aはぎりぎりまで倒していくのです。
道路に右ひざがかすったかと思うと、Aはそのまますべるように転倒しました。
なんてことはない急カーブです。転ぶほどの所ではありません。
ましてやAはグループの中でも一番の運転テクを誇っていました。
最初Aが倒しすぎていくときは、わざとふざけているのかと思いました。
しかし現実に、Aは膝を抱えてうずくまっています。
皆で駆け寄りましたが、白いものが傷口から見えました。骨です。
「わー救急車呼べ!!」「A大丈夫かー!!」
皆が叫ぶなか、友人Bが「あの銅像の呪いや!」と叫びました。
「こんな時になに言うてんねん!」
「しゃーかて、見ろやAの膝!!骨の見えてる傷の下に、もう少し浅い傷ついてるやん!!
1回目の失敗したヘッチンのぶんやん!!」
皆ぞっとしました。
しかし、当のAが「アホなこと言っとらんとはよ病院つれてけ!!」
と叫んでので、皆われに帰って病院へ向かいました。
その後、そんなことも忘れていたのですが、ふとその事件を思い出す日が来ました。
皆高校を卒業し、それぞれの道を歩みだしていました。
そして意外なことに、Aは極道の道を選びました。
俺達の学校でその道を選ぶ奴は決して珍しくはありませんでしたが、
心根のやさしいAがその道を選んだのは、正直以外でした。
そして、その噂は回って来たのです。
Aが勝手にクスリを持ち出し売上を搾取して、今やばい状態だということを。
Aがその世界に入ってから、近所で会うことも無くなりました。
今どこに住んでいるのかも知りません。
あれからもう10数年もたった今、
たまに地元に帰って昔の友人と飲むことがあっても、だれもAの消息を知らないと言うのです。
他の友人で同じ世界に入った奴らとは連絡が取れたり出来ているのに、まったく取れないのはAだけです。
この10数年の間、誰一人とっていないのです。
その日も地元の奴らと飲んでいました。
酒がまわってきたころ、あのときのメンバーだったBがぽつぽつとあの日の話をし始めました。
俺はそれを止めました。Bの言いたいことは分かっていたからです。
あの日Aは最後にやけくそになって、銅像の乗っているコンクリートの台に抱きつきました。
もしそれがAの身に返ってきて、今もコンクリートを抱いていたら・・・
そう思うと、たまらない気持ちになります。
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一年程前のことです。
ある日、私は突然40度近くの高熱にうなされ、既に一週間大学を休んでいました。
これはもう救急車呼ぶしかないと思い、携帯に手を伸ばした瞬間、
ふと頭の中に、一番仲のいい友人の顔が浮かびました。
何故か怒りに燃えた凄い形相で私を睨んでいる映像が浮かび、私は『呪いだ!』と直感しました。
(かなり仲が良かったので、こんなこと思う自体不思議なんですが・・・)
私は咄嗟に「○○ちゃんもうやめてよ!!」と泣き叫びました。
すると身体がフッと軽くなり、その日の夜には熱も下がりました。
大事をとってもう一日休み、家でゴロゴロしていたら、別の友人からメールが入りました。
『寝込んでるところごめんね。でも本当に大事な話があります。
信じられないかも知れないけど、○○ちゃんが昨日脳溢血で倒れて亡くなりました・・・以下略』
倒れた時間は、私が叫んだ時間とほぼ同じ時間でした。
葬式が終わった後、気になって共通の友人に聞いたら、
○○ちゃんは私の彼の事が好きだったらしく、影で私のことを『死ね』とか言っていたらしい。
呪い返しってやつですかね?
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母の実家の地域には、ある『呪い』が伝わっている。
それはひどい呪いで、かけた人は自分自身が呪いのために必ず死んでしまうのだが、
呪いを受けた相手が死ぬかどうかは半々らしい。
自分の命はなくなるのに効果は半々とは、なんとも分の悪い呪いだな、と当時は思った。
自分が小さいころ母から、むかし近くに住む女性がその呪いをやったと聞いた。
その人はいつも暴力をふるう自分の夫を憎み、その呪いを行って死んだという。
その女性の死後、呪いの道具が見つかったけど、
その後、呪いが効いて夫が死んだかどうかは不明である。
今にして思えば、呪いとはこんななのものしれない。
リスクもなく確実に効く呪いなんてあるわけないのだ。
自分は死んでもいい、相手を殺せるならわずかな確率でもすがりたい、
そんな憎しみと絶望を持った人だけが呪いなどに手を出す。
だから呪いとは本来、ハイリスクで分の悪いものなのかもしれない。
母は自分にはその呪いの具体的な方法を絶対に教えてくれなかった。
しかし、妹は教えてもらったらしい。
一度、妹にうまいこと言ってその方法を聞き出そうとしたが、
『きゅうりの中をくりぬいて皮だけにしてその中に刃物を入れて』まで聞いたのだが、
妹の言い方が分かりにくくて何度も聞いてるうちに、母に見つかってしまった。