上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 11

2013-02-15 09:24:31 | 沖縄をダメにした百人

~上原正稔vs琉球新報の戦い~ 10

さて、ぼくは「沖縄をダメにした百人 6」の中で嘘つき前泊博盛枝川健治上間了の名を出し、自分の身分をごまかし、”リンチ事件”の日付も偽ったと書いた。 もう少し、具体的に説明しよう。 ”リンチ事件”の日時は明らかに2007年6月18日(月)正午過ぎだったが、被告弁護側が出した文書では6月27日で、弁護側の最終答弁書でも6月27日のままだ。 初めは、前泊論説副委員長枝川編集局次長上間論説委員長と記していたが、ぼくが琉球新報データベースの人事記録を調べると2007年4月1日付で前泊は”人事録”そのままに記すと、編集委員・局次長・論説委員(経営企画次長)であって論説副委員長ではない。(副委員長に昇格するのは2008年のことだ。) 上間了局長待遇兼編成本部長・整理本部長・総務担当(次長兼編成本部長・整理本部長・総務担当)となっていて実に長ったらしい役職だが論説委員長ではない。 枝川健治次長兼文化部長・論説委員(文化部長・次長待遇)となっていて、これだけでも目が回るが、2007年6月26日付けで時期外れの人事が発表され、枝川編集局次長・編成本部長兼整理本部長兼文化部長・総務担当・論説委員(編集局次長兼文化部長・論説委員)に昇格し、(読者の中には卒倒された方もいると思うが、まだ続く) 上間論説委員長・局長職(編集局次長・局長待遇編成本部長兼整理本部長・総務担当・論説委員)に昇格した。 この長ったらしい役職は新聞記者が落語の「寿限無」を演じていることを伝えるためでもなく、読者をウンザリさえるためのものでもない。 新聞記者が地位役職にシガみつく人種だ、と伝えるためだ。 自分をエラそうに見せるには地位役職や賞状が必要なのだ。 だから、前泊は一年も遡って論説副委員長と自分自身を昇格させたのだ。 上間が論説委員長に昇格し、枝川が編成本部長、整理本部長の肩書を加えるには2007年6月26日の人事後、6月27日を彼らが言う協議、ぼくが言う”リンチ事件”の日にしなければならなかったのだ。 そして一度嘘をつくとその嘘を隠すために嘘をつき続けるという「ウォーターゲート事件」の二の舞を演じているのだ。

 井上裁判長はこの「6月27日の嘘」については一言も触れず、原告と被告が「話し合い」をしたのは「6月18日ころ」としている。 はっきりしている日付を「ころ」とごまかしている。 このような言葉使いにぼくは欺瞞を見るのだ。

判決文判決文2を参照16~17ページを見てみよう。


カ 前泊は、平成19年6月18日ころ、原告を被告の本社へ呼び出した。前泊、枝川のほか、被告の玻名城泰山編集局次長(次長は複数名おり、玻名城の肩書は報道本部長だ)及び上間了論説委員長(ではないことに注意)の4名が原告に対し、「前と同じことを書いており、過去の連載の焼き直しは許されない。」と告げたところ、原告は、「それがどうした、いつも前の資料を使って書いており、これで文句を付けられる筋合いはない。」と応答した。前泊らは、原告が二重掲載を認め、それで問題はない旨述べている現状では、第2話の連載は認められないと判断し、原告に対し、「第2話の掲載を認めない」との結論を伝えたところ、原告は、「これは言論弾圧であって許せない。記者会見を開いてでも告発したい。」と述べた。

 この話し合いの際、原告も前泊らも、集団自決の軍命説について言及することはなかった。また、その後、原告が実際に記者会見をすることはなかった。


裁判長は嘘つきの記者の後知恵の言い分をそのまま認めている。 焼き直しとか、二重掲載とか、その時に全く出ていないのだ。 それにぼくの言葉使いとして「それが、どうした」などと子供っぽい表現はしない。 ぼくはいつも男らしい発言だ。 裁判長はもともと原告も被告も集団自決の軍命説について言及することはなかった、との大嘘を信じている。 「赤松さんと梅澤さんが集団自決を命じていない」ことが”リンチ事件”の発端だったのだ。 後日、”リンチ事件”の前後に何があったか詳しく伝えよう。


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1 コメント

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すみません (うちなーんちゅ)
2013-02-15 10:45:35
文章のカラーがごちゃごちゃして読みにくいです。

あと改行して頂きたいです。。

生意気言ってすみません。。
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