~その起源は梵語だ~ 4
「ウチナー口の秘密」の冒頭で述べたが、首里、那覇という言葉は中国語にはない。 首里も那覇も当て字だ。 首里は中国語でシュリと発音する。 その語源はサンスクリット語の(シュリ)で「吉祥」、すなわち「めでたいこと」を意味する。
首里城の入口に立つ門を「守礼」(シュレイ)の門と発音しているが、中国では「守礼」をシュリと発音し、実は「首里」の掛け言葉なのだ。
守礼の門近くに園比屋武(スヌヒヤン)御嶽(ウタキ)という拝所がある。 ウタキの中には宝物が隠されているわけではない。 何もないのだ。 石を積み重ねただけの拝所になぜ毎日のように信仰厚い人々が訪れ、祈願しているのか。 ぼくにはそれが長い間、謎だった。 「芸術は爆発だあ!」と威勢よく叫んだあの岡本太郎も「何もない」拝所に感動したが、その謎は解けなかった。
実は園比屋武(スヌヒャン)はサンスクリット語の(シュニャ ヴァーダ)で「万物は無空」、これから「万物には神が宿る」という意味に発展したものだ。 御嶽(ウタキ)は当て字で(ウダカ)、すなわち「祖霊に対し聖水を供えること」を起源としている。
島々の至る所にある拝所には「何もない」ことがこれで納得できる。
「那覇」は中国語で「ナバ」と発音し、その語源は(ナバ)で「天空」を意味する。 漢字は発音記号と考えた方がよい。 もちろん、そうでない場合、例えば仏教語の発音記号となっていることが多い。 「首里」という漢字や「那覇」という漢字からその起源を探ろうとしても無駄骨を折るだけだ。
震災の年の暮れ、那覇移住を決め、ゆいレールで首里駅を目指して高度を上げて行く途上、右手にお城の姿を仰ぎ見た時に浮かんだ一つの思い。それを言語学的に精査されている方がおられたことに感動しています。私の場合は「首里」は国名「スリランカ」、ジャワ地方に14世紀まで栄えた「シュリヴィジャヤ帝国」などの suri- に通じる、インドの人の名前で Suri さん、高位の聖職者 Suri なにがしなど、西欧語でも sur-realisme や sur la table の sur- 、surprise, surpass, survive など、「超えた」「高い」「高貴な」などと通じるではないか?という直感でした。以来、根拠もなく人に語ってあまり反応もなく来ました。昨年の三月には、沖縄文化の国際的発信力強化と「うちなーぐち」振興を目的として、「首里トライリングアル(三言語)トーストマスターズクラブ」というNPOを創業しました。今後「上原正稔日記」から多いに学んで行きたく存じます。どうかよろしくお願いします。