戦後かなり経った頃だった。台湾大学の倉庫で人骨が発見された。そこにはモーナ・ルダオの遺骨と記されていた。モーナ・ルダオの半分ミイラ化した腐敗死体が発見されたのは誰も近寄らない台湾の山奥だった。戦争の始まる前のことだった。だが、その後その遺骨は忽然と消えていたのだ。
読者がモーナ・ルダオを知らなくても無理はない。筆者のぼくもつい先日までその名を知らなかったのだ。ぼくはよく映画を観ている。6月初め、ぼくは桜坂の映画館に出かけて、「セデック・バレ」という映画を観た。前、後編4時間半というぼくの長い映画の人生の中でも最長の映画だった。実に驚くべき物語が展開される。概要を伝えよう。
─1930年10月台中州の台湾原住民霧社セディック族の頭目モーナ・ルダオの指揮下に6部族の男たち300人ほどがひそかに集合し、日本人が学ぶ霧社小学校での大運動会に集まった日本人、生徒も含めて134人全員を弓矢やナタで惨殺したのだ。 台湾人や中国人は助かったから日本人が狙われたのは確かだった。
1895年の日清戦争で日本が勝利して後、台湾の日本化は進み、セディック族は日本人の殺害に協力した後、自殺した。
モーナ・ルダオと原住民の家族は山奥くに逃げ込んだ。日本軍は激怒し、討伐を命じた。だが、彼らは山岳民族だったから、山の戦いはお手のもので、神出鬼没の戦いぶりに日本軍は手を焼き、航空機を出し、毒ガスを撒いた。モーナ・ルダオの原住民らは死を覚悟していたから、相変わらず血気盛んだった。だが、女、子供たちは男たちが最後まで力強く戦うことを望み、「私たち女、子供たちは食糧を無駄にしないように、一足先に虹の橋を渡って祖先が住む楽園で待っています。」と告げ、次々子供たちを窒息させて殺し、自分たちは木にひもをかけ、首に巻き、死んでいった。およそ200名の女、子供たちが自殺した。
ここで読者は思い出すに違いない。沖縄の集団自決とそっくりそのままではないかと。
─ 続きは明日 ─
7月29日(月)午後1時10分に
福岡高等裁判所那覇支部にて判決が出ます。
徳永弁護士も手弁当で支援して下さっていますが、
打ち合わせ等をするにも交通費等の出費を無視できません。
カンパは支援している三善会にお願いします。
ぼくを応援してくれている皆さんに心より感謝申し上げます。
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