【125】思い出のワルツ録音の話・・・
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/f9c93b0ac17513ba1fea083bd1348906
この続き・・・ というか、オランダの薔薇さんからコメントいただいた質問への返信を掲示させていただきます。
思い出のワルツ以前にも日本では「エコー」効果を様々な努力で出していたようです。
偶然その「史実」を知ったのですが、それは先日お話する機会に恵まれた「江利チエミ波乱の生涯/テネシーワルツが聴こえる」を書かれた藤原佑好先生からご紹介をいただいた、「ダンスパーティの夜」等の多くの楽曲を手がけた作詞家「和田隆夫先生」の追悼本「歌でつづる私の昭和史」(かまくら春秋社/平成14年12月23日発行)を読ませていただいたことによります。
和田隆夫先生は大手企業の技術者であった方で作詞は「兼業」であった人です。戦前から様々な楽曲の作詞を手がけてこられた方で、晩年を鎌倉で過ごされた方です。
私も9年間ほど鎌倉に住んでいた...ということもあり、非常に興味深くこの著書を拝読させていただきました。
この著書の161ページから引用します。
>ロッキーの三日月(作曲/古関祐而 歌/池眞理子)
1.ロッキーの山の 三日月が
つめたく窓に 照る頃
つれない終わりの恋の唄
夜風に流れりゃ 心が狂う
どこにいるのジョニー(エコーで ジョニー、ジョニー) ・・・
効果を考えて、エコーの指定をしたところ、当時は、今のようなボタン操作はできなかったので、深夜、スタジオ外の廊下を使って録音することになり、作曲の古関先生や関係者に幾晩も徹夜をしてもらう破目になったことを覚えている。・・・
コロムビアでは深夜の静まり返った廊下のエコーを利用したのだ・・・ということです。
日比谷公会堂、果ては化粧室に至るまで... 復興期の日本は設備で補えない部分を知恵と手間で克服し、数々の名録音を残したのだということが読み取れます。
この件に関して、私の感じていることは記事にしました。とてもコメント欄では書ききれないのです。一読して頂ければ幸甚です。