つばさ

平和な日々が楽しい

この国に教育労働者はいらない。真の教師が必要なのだ

2012年12月29日 | Weblog
【産経抄】12月29日
 残念ながら小欄は、巨人党でないのはもちろん、ヤンキースファンでもないので、38歳の松井秀喜外野手が引退すると聞いても驚かなかった。プロの世界、ことに生き馬の目を抜く米メジャーリーグでは、実績のある大打者でも結果が出なくなれば、バットを置くしかない。
 ▼日本の球団で再び活躍する道も選択肢としてあったが、彼の美学が許さなかったのだろう。年末に政党交付金目当てで、離合集散する政治屋たちとは対照的な引き際の鮮やかさに拍手を送りたい。
 ▼引退会見も北陸人らしい誠実さがにじみ出ていた。ことに「一番の思い出のシーン」が、ワールドシリーズでのMVP獲得でもヤクルト・高津臣吾投手から放った初本塁打でもなく、「長嶋監督と素振りした時間」と答えたのが泣かせた。
 ▼20年前のドラフト会議では、彼を巨人、阪神など4球団が1位指名した。阪神ファンだった松井選手は「(阪神の)中村監督、当たりクジを引いて下さい」と祈った(『長嶋茂雄 ドリーム・トレジャーズ・ブック』産経新聞出版)というから世の中わからない。
 ▼以後9年間、長嶋監督のもとでプレーしたが、「褒められた覚えがなく、いつも厳しい指導を受けた」(前掲書)。監督の自宅や遠征先で毎日、黙々とバットを振り、監督が目をつぶって音をチェックする、という濃密な師弟関係が「現代で最高のホームランバッター」(長嶋氏)をつくりあげた。
 ▼誰もが松井や長嶋になれるはずはないが、名伯楽がいなければ、人材は育たない。景気対策も大事だが、新内閣には、いじめの蔓延(まんえん)に象徴される腐った教育界の大掃除を即刻やってほしい。この国に教育労働者はいらない。真の教師が必要なのだ。

浮かぶのは矜恃(きょうじ)の一語である。

2012年12月29日 | Weblog
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春秋
2012/12/29
 「ピッチャーというのは、ノーマルな人間は大成しませんね」。こう言って長嶋茂雄さんが続けた。「われわれ(打者)は逆に、ノーマルじゃないと仕事ができないんです。相手があって商売が始まりますから」。ある対談での発言を意外に感じつつ読んだ記憶がある。
▼ほどなくこの人を思い起こして得心した。松井秀喜選手の、たったワンシーンでもノーマルでなかったことがあっただろうか。その姿勢は引退を明かした記者会見までまったくぶれなかった。「長嶋監督と二人で素振りした時間」を野球人生いちばんの思い出にあげたが、学んだのはバットの振り方だけではなかったのだ。
▼お尻から体つきから一回り二回り違う猛者にまじっての大リーグの10年が、次々脳裏から立ちあらわれてくる。ヤンキースタジアムのデビューで放った満塁本塁打。ぼてぼてのゴロ。手首を折ったスライディングキャッチ。ワールドシリーズの活躍。ただ、ノーマルすぎるがゆえに痛々しく見えることも、最近は多かった。
▼2年前の9月8日、スタンドに赴いた。エンゼルスのMATSUIは八回に代打で登場、と思う間もなく、相手投手が左腕に代わると「代打の代打」を送られた。わずか10メートルほど、打席へと歩んで引き返すうつむきがちの後ろ姿が目に焼きついている。その屈辱と引退とを二重写しにすると、浮かぶのは矜恃(きょうじ)の一語である。