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ある牧師から

ハンドルネームは「司祭」です。

小アンティル諸島の小国②アンティグア・バーブーダ

2008年04月13日 | 雑学


それでは7つの小国の中で、まずは一番北側のアンティグア・バーブーダから。



アンティグア島バーブーダ島レドンダ島、この3つの島で構成されているようである。1981年にイギリスより独立。

中心はアンティグア島。アンティグア・バーブーダ6万8320人(2004年統計)の人口のほとんどががこの島に集中しているようだ。面積は280k㎡。調べてみたら石垣島が223k㎡なので、それより一回り大きいぐらいかも。だとすれば結構な人口密度だ。


(なんじゃこれ、ドイツの地図か?)

主な産業は観光。しかしこれは小アンティル諸島全体に言える事だと思う。

↓検索で見つけた首都セント・ジョーンズの街なみと港の写真。





さてもう一つの有人島、バーブーダ島



こちらは人口はたったの1500人。面積は161K㎡。しかし画像検索してみると、美しい写真がたくさん出てくる。


(画面クリックでPIXIEの大きな画面になります。戻る時は左上×印クリック、画面スクロールで。右クリック〔リンクを新しいタブで開く〕選択では、1280×1024デスクトップ壁紙用の写真ページに繋がります。)



ところでおもしろいのはもう一つの島レドンダ島



この島は現在は無人島なのだが、今でも「レドンダ王国」というのが存在するのだそうである。ウィキペディアによれば、

レドンダ王国

1865年、アイルランド人の貿易商マシュー・ダウディ・シール(Matthew Dowdy Shiell)が、まだどこの国にも属していなかったレドンダに上陸し、一方的に王国樹立を宣言した。この自称・レドンダ王位は、現在まで継承されている。

1880年にマシュー・ダウディ・シールの15歳の息子がフェリペ王として戴冠した(彼はのちに「プリンス・ザレスキー」シリーズなどで推理作家として成功するマシュー・フィップス・シールである)。1947年にフェリペが死去すると後継者に指名されていた詩人のジョン・ゴーズワースがファン1世として即位した。

彼は1967年に友人ジョン・ロバーツに王位を譲り退位したが、1970年にファン1世が亡くなると出版業者のジョン・ウィン・タイソンが王位継承権を譲られたと主張し、そうでなくとも根拠の薄いレドンダ王国はさらに混乱することになる。現在では前者の流れをくむレオ王(ウィリアム・レナード・ゲイツ)、後者の系統であるロバート王(ロバート・ウィリアムソン)が互いに正統性を主張しており、その他にもスペインの作家ハビエル・マリアスなどレドンダ王を自称する者が数人いる。


なのだそうである。

小国とはいえ、調べてみるといろいろ結構おもしろい。

参考ページ。
Michan通信。カリブ海はアンティグア・バーブーダにようこそ。

キジンガさんの旅行記
Antigua on the Paradise Islands
Barbuda on the Paradise Islands

次回はセントクリストファーネイビスを調べてみます。

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