自衛隊を正規軍化し、東アジアの不安定要因を払拭せよ!
2010.10.01(Fri)JBプレス 岡本智博
国内治安さえも米軍に委ねていた1951年の日米安全保障条約(旧安保条約)が改定され、日米同盟の根幹として意義づけられた新安保条約が締結されてから50年が経過した。
この間に発足した自衛隊では旧軍関係者は既に全員退官しており、その人々から直接の薫陶を受けた人々もほぼ退官してしまった。
現在の自衛隊には、戦後教育を受け、ややもすると、世界一般の軍人ではない官僚化された人たちで運営されているという、好ましくない傾向が見え隠れする。
さらに、警察予備隊として発足した自衛隊は、警察予備隊としてのDNAをしっかりと保持しつつ、また、50有余年にわたった政府の防衛・安全保障政策が反映された結果、軍隊的要素と警察的要素を併せ持つこととなった。
現在の自衛隊は、鵺(ぬえ)のような存在として国際的にも国内的にも認識されているところである。
そしてこの傾向は、「働く自衛隊」として部隊が海外に展開するにつれ、新たに具体的な制約が自衛隊に課せられ、そのたびに警察予備隊のDNAが掘り起こされていく感がある。
このような状況下、日米同盟の根幹として締結された新安保条約の、“同盟としての深化”を図るにはどのような問題・課題が存在するのかを考察することは、極めて喫緊かつ重要なことと考える。以下、そのような問題意識に従い筆をすすめることとする。
存在する自衛隊から働く自衛隊へ!
平成4(1992)年9月17日、自衛隊が初めてカンボジアにおいて平和維持活動(PKO)を実施してから既に18年の時が流れようとしている。これがいわば「存在する自衛隊から働く自衛隊へ」の変化の始まりであった。
また平成16(2004)年3月、防衛庁(当時)・自衛隊および統合幕僚会議設立50周年を迎えた記念式典において石破茂防衛庁長官(当時)は、「ただ存在するだけの自衛隊の時代は終わった。いよいよ機能する自衛隊になった」という訓辞をされた。
これもまた、自衛隊によるイラクにおける公共施設の復旧・整備等ならびに米軍に対する輸送支援の開始という変化の始まりであった。
自衛隊のかかる変化の背景には、冷戦の終焉、伝統型脅威(State-actor)から非伝統型脅威(Non-state actor)へという脅威の変化が存在した。
このような変化は、本来警察に付与されるべき任務と軍隊に付与されるべき任務の重なりを必然的に大きくすることを促し、世界各国は拡大された脅威のパラダイムに効率的に対応すべく、それぞれの国内法理に従って警察活動として対応したり、あるいは軍隊活動の一部として対応したりして今日に至っている。
端的にいえば、軍事力の平時における活用が一般化し、世界各国は兵員の削減を抑制し多様な任務に対応しようとしている。そして、こうした経緯の中で多用されたのが、MOOTW(Military Operation Other Than War)という言葉であった。
しかしその半面、「存在する自衛隊」の時代では演習や教育訓練がしっかりと行き届き、行往坐臥の間に“軍人とは”と自問自答する余裕があったが、「働く自衛隊」になった現在は、当面の実任務の遂行に追われて軍人魂を磨く余裕がなくなっている。
もちろん国連の平和活動への貢献を通じて自衛隊の本来の任務を遂行する技量を練磨することは可能であるが、どうしても偏りが出て自衛官の士気に関わる問題も出始めている。
自衛隊は軍隊なのか警察なのか!
他方、このような変化は自衛隊という実力組織に極めて深刻な問題、先に述べた問題とは別の問題を引き起こしている。
国際貢献の必要性から自衛隊は海外において前述のような活動を実施してきたが、その都度、「本格軍隊ではない自衛隊」の軍隊活動をどこまで容認するのかという議論が国会論議の中心となった。
もとより我が国は憲法第9条第2項に示す通り、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」のであり、自衛隊は「専守防衛に徹した自衛隊」なのであって、世界各国の常識に従った軍隊ではなく、自衛権行使のための実力組織として存在している。
例えば、日本の自衛隊には軍法、軍事法廷、軍法会議、軍営倉が存在しない。軍警察が存在しないのである。敵前逃亡など軍の規律違反に対する法的措置は、自衛隊法第123条に示される「懲役7年以下の懲役または禁固」といった類のものである。
この条文も防衛出動が下令されている状態においての防衛出動命令を受けた者に対しての罰則であり、防衛出動下令以前であれば依願退職は可能となっている。
こうした法体系が採られているのは、自衛隊が「警察予備隊」として発足したことに淵源する。自国民の犯罪者の取り締まりを任務とする警察の、しかも警察予備としての自衛隊であるから、世界に共通の軍隊としての文化は全く存在しないのである。
それに、まず、日本国憲法には「国民の国防に対する義務」規定が存在しない。
また、警察予備を創設するという意図が発足当初から存在したことから、「武器の使用」についても自国民を対象とする警察よりも、さらに低い程度に抑えられている。その根本的な諸問題を抱えたまま、自衛隊は現在、多くの国際貢献に赴いているのである。
鵺(ぬえ)のような存在の自衛隊!
このような経緯から、自衛隊は時には軍隊として、またある時には警察予備隊として活動することを余儀なくされる。現在ソマリア沖で実施されている「海賊対処」活動では、「自衛隊は行政警察権を行使できるが司法警察権は行使できない」とされている。
従って「司法警察権を保持する海上保安官が自衛艦に同乗して警察活動を実施する」のである。まさしく、自衛隊は警察予備隊なのである。
任務を通じて海外に生活する機会が多かった筆者が所見するところ、世界各国の人々からすれば、まず全員が「自衛隊は軍隊である」と理解している。こういう筆者もそのような誤解を助長することに図らずも加担している1人であった。
それは、「英語で説明する自衛隊は完全な軍隊となってしまう」からである。例えば自分の身分を「Lieutenant General」と言ったり、「Infantry」「Artillery」という職種説明をしてしまったりする。
現実では自衛隊には「中将」も「歩兵」も「砲兵」も存在しない。しかも数年前に海上保安庁が「Japan Coast Guard」と英語名を変えたものだから、ある米軍高官は「いよいよ日本に準軍隊が整備されたね」と語り始めた。
自衛隊は本格軍隊と理解していたからである。このような自衛隊であるから、前述のように「日本の自衛隊には軍法、軍事法廷、軍法会議、軍営倉が存在しない」と知った米軍中将は、「本当にそれで軍隊なのか」と真面目な顔で質問を返してきた。
我が国の中でも、憲法9条が厳然として存在しているにもかかわらず、自衛隊は本格軍隊であると認識している者が大多数である。
そして時の政府は、鵺のような自衛隊の存在を利用して、我が国の安全保障戦略――「あいまい戦略」(Ambiguity Strategy)を採り続けている。
しかし自由民主党は、平成15(2003)年7月に自衛隊を本格的な軍隊として位置づけ、国際貢献(国際活動)を新たな任務に加え、軍事裁判所の設置、国家緊急権の明示等を含む「安全保障についての要綱案」を提言している。
また民主党の一部でも、自衛隊を本格的な軍隊として位置づけるとともに、通常戦レベルでの日本防衛の任務を段階的に自衛隊が主体的に実施していく中で、施設・区域提供規模の低減やいわゆる「思いやり予算」の見直しを実施していく方向を採ることで、日米安保条約の第5条に示された米国の日本防衛義務と第6条に示された日本の米軍に対する施設・区域の提供という日米両国の義務のバランスを健全化していこうとする考えを打ち出そうと検討しているようである。
いずれにせよ、国家防衛を「あいまい戦略」に委ねる方法には既に限界が透けて見えているし、このような戦略は国家としての威信をあまりにも蔑ろにしている。
自衛隊は鵺のような存在から脱却すべきときが来ているし、その方向が日米同盟“深化”の第一歩であると考える。自衛隊が鵺の存在である限り日本は国家としての信用が得られず、世界各国から尊敬の念や信用が得られない。
最近の我が国経済停滞の根源には、日本という国家に対する世界各国の信用の程度にその類の揺らぎがあるという事実があることを、ここに指摘しておきたい。
いずれにせよ、日本がこのような「あいまい戦略」を放棄し、自衛隊を本格軍隊と認知する方向が日米同盟の“深化”のための第一歩であることは言うまでもないことなのである。
逆に自衛隊を警察予備隊DNAを堅持したままの組織として放置するのであれば、世界各国からの信用も、また、米国の日米同盟に対する姿勢も、決して肯定的にはならないと言えよう。
真の同盟のための「西太平洋相互防衛」構想!
さて、我が国の憲法を改正して自衛隊を本格軍隊として位置づけることができれば、「同盟」の本質として日本および米国が個別的自衛権を行使することはもとより、集団的自衛権を行使することができることは「国連憲章」を引用するまでもなく明らかとなる。
しかしながら、米国の軍事戦略の展開は地球規模であり、日本が米国と同一歩調を取って地球規模で米国との集団的自衛権行使を追求することになれば、これは日本の国家戦略を危うくすることにつながる。
自衛隊の軍事力は国家防衛のための実力組織として専念すべきであり、在日米軍基地は東アジア・太平洋地域の平和と安定に貢献することに特化して存在すべきである。
我が国が米国と一体となって地球規模で「同盟の本質」を全うする考え方は、米国としても望ましいとは思っていないであろう。
これらを考慮して「日米間の真の同盟」を追求するためには、昭和26(1951)年9月8日に「日米安全保障条約」(旧安保条約)が締結されるまでの間に我が国と米国が重ねた議論を改めて思い起こす必要があろう。
すなわちこの件に関し、ディーン・アチソン米国務長官(当時)は「日本はグアムまで防衛する。米国は日本を防衛する。その双務性が基本ではなかろうか」と提案した。
我が国が第2次世界大戦の教訓として、決して他国を侵略しないという決意を有していることを斟酌して、アチソンは日米同盟の双務性を「西太平洋地域」に限定したのであろう。
もしこの議論をよしとするのであれば、我が国は自衛隊の海・空戦力を西太平洋において発揮し、米国との「同盟の双務性」を全うするという選択肢が出てくる。
すなわち、自衛隊の陸上戦力は日本領域および米国の要請があればグアムにおいてのみ発揮され、米国の軍事力展開が地球規模であってもこれを限界とし、日本の軍事力、主として海・空戦力は日本および米国の領域内およびその周辺の公海ならびに公海上空域において発揮されることに限定されることとなる。
このような場合、日本は米国の実施する世界全般にわたる軍事力行使に「巻き込まれること」を阻止するための措置を明確にしておくことが肝要であろう。
さらに敷衍すれば、「戦闘の最終的な決は陸上戦力が定める」ことは、先のイラク戦争の例を引くまでもなく当然のことである。
このような選択肢であるならば、自衛隊は陸上も、海上も、そして航空も、しかるべきレベルにそれぞれの戦力を向上させ、米国との「共同戦闘」を可能にしなくてはならない。
そして、このような方向が我が国の防衛・安全保障の基本として位置づけられるのであれば、「日米同盟」は明確に同盟関係となり、「同盟の深化」も雄大な一歩を進めていくこととなろう。
去る平成22(2010)年6月28日(現地時間では27日)、菅直人首相はバラク・オバマ米大統領と会談し、米軍普天間飛行場移設問題を含む日米同盟の深化について合意した。しかし、現行の日米安全保障体制で、真の日米同盟は確立できるのであろうか。
日本からの施設・区域の提供と思いやり予算で米兵の血を当てにする安全保障体制が、本当に日米同盟の深化を生むのであろうか。
「周辺事態」対応措置の強化!
我が国が有事を迎える前の段階、すなわち、周辺事態に対する対応措置を実施するための「周辺事態安全確保法」は、平成11(1999)年3月24日に施行されたが、自衛隊が本格軍隊として位置づけられるのであれば、当然、新たな「周辺事態安全確保法」の制定が必要となる。
すなわち、自衛隊が正規の軍隊であれば、あえて後方地域と戦闘地域といった区分を考慮する必要もないし、公海上の捜索・救難も可能である。戦地に向かう戦闘機に対しても給油・弾薬補給・整備も可能となる。
加えてこれまでのような制約を一切払拭し、国際基準に依拠した武器使用基準を制定し、米軍再展開部隊の受け入れのための民間空港・港湾の指定、戦闘機および艦船に対する給油支援を含む物資の補給・輸送支援等後方支援ならびに弾薬・武器の提供・整備の実施にかかる全面協力、公海を含む機雷の除去など、さらにはこれらを踏まえた「周辺事態下における日米実動演習」を具体化することができる。
そしてまた、周辺事態において日本が主体的に実施する活動、すなわち、難民の保護、捜索・救難、船舶検査、海外邦人の救出についても公海上は当然のこと、敵の領海であっても実施できるし、実施しなければならない。
加えて、航行する船舶に対する臨検も国際法に基づいて実施しなければならない。さらに、海外在住の邦人救出についても、事前の外交交渉によって各国と邦人救出のマニュアルを確立しておき、当該国との軍事的連携を確保することができるであろう。
また、周辺事態として蓋然性が高まり始めている“第2次朝鮮戦争”が生起した場合、日本が締結しているいわゆる「国連軍地位協定」、すなわち、朝鮮戦争参加10カ国(現在8カ国:米国・英国・フランス・オーストラリア・カナダ・タイ・フィリピンなど)に対し、国連軍基地として指定されている横田・座間・横須賀・佐世保・嘉手納・普天間・ホワイトビーチの7カ所(現在は在日米軍基地)の使用を、政府の確固とした施策として推進することができる。
そのほか、自衛隊と米軍の協力として考えられている「情報交換」「機雷の除去」「海・空域調整」についても、具体的な検討が可能となる。
そして、特に「電波管理」の権限については、有事を基本とした形態に改めて日米の通信にかかる相互運用を高める施策が推進されることとなろう。
米国はかつて、「周辺事態安全確保法」の成立を極めて高く評価した。しかし具体策を追求する過程において、多くの障害がその先に広がっていることを認識して落胆した。
従って米国は、本格軍隊としての自衛隊の下に成立する「新周辺事態安全確保法」がいかに東アジア・太平洋地域の安全・安定に寄与するかを十分理解している。
「新周辺事態安全確保法」の成立とこれに基づく対応措置の具体化は、「日米同盟」の進化および深化に大きく貢献することとなろう。
しかしその前に、立法化された「周辺事態安全確保法」に基づいた日米の実動訓練は、11年経過した今日でも全く実施されていない。
日・米・中の三角関係が云々されているが、軍事面で言えば日米はここに述べたように既に緊密な関係にあり、決して正三角形にはならないと言うべきである。
兵器の相互共同運用性(Interoperability)の進化!
1992年7月、冷戦終結に伴う「アジア・太平洋地域の戦略的枠組み」(EASI)が米国政府から公表された。これに示された4項目は、我が国が通常戦力レベルでの自衛能力を獲得し、併せて日米同盟の深化を推進するうえで極めて貴重な視点を与えてくれる。
すなわち、米側は、
(1)可能な限りの在日米兵力の削減はあっても、北東アジアにおける安定と抑止に不可欠な基地を米国は確保する、
(2)日本の領海防衛能力と千哩海上交通路能力の向上は容認しても、日本のパワープロジェクション能力の造成は拒否する、
(3)日米間の技術還流は促進するが相互補完性(Non-Complementary)のない兵器体系の日本独自の開発は抑制する、
(4)日米のハードおよびソフト面の相互運用性の向上を図るというものである。
これら4項目は、米国側から発信されたとはいえ我が国が取るべき方向を考えるうえで、また「日米同盟の深化」を考えるうえで極めて重要なメルクマールとなると考える。
特に、東アジア・太平洋地域有事において日米共同作戦の実施が不可欠となる状況に至るのであれば、自衛隊および米軍の使用する兵器体系における相互運用性の確保は絶対に必要である。
例えば海・空戦力の造成にあっては、「F-35」など第5世代戦闘機の導入や3万トン級のDDH(ヘリコプター搭載型護衛艦)の建造は必ず実現させなければならないし、潜水艦などによる米軍と自衛隊の役割分担なども考慮しなくてはならない。
そして、定められた役割分担に応じた兵器体系の導入も、また、米国軍が推進するトランスフォーメーションにも可能な限り追随することも考慮しなくてはならないであろう。
加えて、相互運用性は単に兵器体系のみにとどまらず、作戦思想・教義(ドクトリン)・軍事教育・訓練の分野にまで深化させる必要がある。
これらを効率的に実現するためには、日米防衛協議などを利用して日米間の軍事戦略にかかる協議が必要不可欠であるとともに、通常戦力レベルを超えた、いわゆる「米国の核の傘」の運用についても更なる具体化が進捗するであろう。
正規軍と準軍隊が存在するのが当たり前!
以上、日米同盟の真の同盟化のために考慮すべき課題について縷々述べてきたが、現在の自衛隊はどう見ても軍隊の本質を欠いた準軍事組織でしかない。
米国は約146万の正規軍と米国内および周辺海域の防衛を任務とする約50万の準軍隊を保持するが、このことはその他の先進諸国においても全く同様である。
軍隊には正規軍と準軍隊が存在するという極めて初歩的な軍事知識さえ欠如した政治状況の下、自衛隊の実態が次第に明確になるにつれ、両国は「日米同盟」の深刻な再検討を余儀なくされるであろうことを、ここに大きな警鐘とともに注意を喚起する次第である。
2010.10.01(Fri)JBプレス 岡本智博
国内治安さえも米軍に委ねていた1951年の日米安全保障条約(旧安保条約)が改定され、日米同盟の根幹として意義づけられた新安保条約が締結されてから50年が経過した。
この間に発足した自衛隊では旧軍関係者は既に全員退官しており、その人々から直接の薫陶を受けた人々もほぼ退官してしまった。
現在の自衛隊には、戦後教育を受け、ややもすると、世界一般の軍人ではない官僚化された人たちで運営されているという、好ましくない傾向が見え隠れする。
さらに、警察予備隊として発足した自衛隊は、警察予備隊としてのDNAをしっかりと保持しつつ、また、50有余年にわたった政府の防衛・安全保障政策が反映された結果、軍隊的要素と警察的要素を併せ持つこととなった。
現在の自衛隊は、鵺(ぬえ)のような存在として国際的にも国内的にも認識されているところである。
そしてこの傾向は、「働く自衛隊」として部隊が海外に展開するにつれ、新たに具体的な制約が自衛隊に課せられ、そのたびに警察予備隊のDNAが掘り起こされていく感がある。
このような状況下、日米同盟の根幹として締結された新安保条約の、“同盟としての深化”を図るにはどのような問題・課題が存在するのかを考察することは、極めて喫緊かつ重要なことと考える。以下、そのような問題意識に従い筆をすすめることとする。
存在する自衛隊から働く自衛隊へ!
平成4(1992)年9月17日、自衛隊が初めてカンボジアにおいて平和維持活動(PKO)を実施してから既に18年の時が流れようとしている。これがいわば「存在する自衛隊から働く自衛隊へ」の変化の始まりであった。
また平成16(2004)年3月、防衛庁(当時)・自衛隊および統合幕僚会議設立50周年を迎えた記念式典において石破茂防衛庁長官(当時)は、「ただ存在するだけの自衛隊の時代は終わった。いよいよ機能する自衛隊になった」という訓辞をされた。
これもまた、自衛隊によるイラクにおける公共施設の復旧・整備等ならびに米軍に対する輸送支援の開始という変化の始まりであった。
自衛隊のかかる変化の背景には、冷戦の終焉、伝統型脅威(State-actor)から非伝統型脅威(Non-state actor)へという脅威の変化が存在した。
このような変化は、本来警察に付与されるべき任務と軍隊に付与されるべき任務の重なりを必然的に大きくすることを促し、世界各国は拡大された脅威のパラダイムに効率的に対応すべく、それぞれの国内法理に従って警察活動として対応したり、あるいは軍隊活動の一部として対応したりして今日に至っている。
端的にいえば、軍事力の平時における活用が一般化し、世界各国は兵員の削減を抑制し多様な任務に対応しようとしている。そして、こうした経緯の中で多用されたのが、MOOTW(Military Operation Other Than War)という言葉であった。
しかしその半面、「存在する自衛隊」の時代では演習や教育訓練がしっかりと行き届き、行往坐臥の間に“軍人とは”と自問自答する余裕があったが、「働く自衛隊」になった現在は、当面の実任務の遂行に追われて軍人魂を磨く余裕がなくなっている。
もちろん国連の平和活動への貢献を通じて自衛隊の本来の任務を遂行する技量を練磨することは可能であるが、どうしても偏りが出て自衛官の士気に関わる問題も出始めている。
自衛隊は軍隊なのか警察なのか!
他方、このような変化は自衛隊という実力組織に極めて深刻な問題、先に述べた問題とは別の問題を引き起こしている。
国際貢献の必要性から自衛隊は海外において前述のような活動を実施してきたが、その都度、「本格軍隊ではない自衛隊」の軍隊活動をどこまで容認するのかという議論が国会論議の中心となった。
もとより我が国は憲法第9条第2項に示す通り、「前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」のであり、自衛隊は「専守防衛に徹した自衛隊」なのであって、世界各国の常識に従った軍隊ではなく、自衛権行使のための実力組織として存在している。
例えば、日本の自衛隊には軍法、軍事法廷、軍法会議、軍営倉が存在しない。軍警察が存在しないのである。敵前逃亡など軍の規律違反に対する法的措置は、自衛隊法第123条に示される「懲役7年以下の懲役または禁固」といった類のものである。
この条文も防衛出動が下令されている状態においての防衛出動命令を受けた者に対しての罰則であり、防衛出動下令以前であれば依願退職は可能となっている。
こうした法体系が採られているのは、自衛隊が「警察予備隊」として発足したことに淵源する。自国民の犯罪者の取り締まりを任務とする警察の、しかも警察予備としての自衛隊であるから、世界に共通の軍隊としての文化は全く存在しないのである。
それに、まず、日本国憲法には「国民の国防に対する義務」規定が存在しない。
また、警察予備を創設するという意図が発足当初から存在したことから、「武器の使用」についても自国民を対象とする警察よりも、さらに低い程度に抑えられている。その根本的な諸問題を抱えたまま、自衛隊は現在、多くの国際貢献に赴いているのである。
鵺(ぬえ)のような存在の自衛隊!
このような経緯から、自衛隊は時には軍隊として、またある時には警察予備隊として活動することを余儀なくされる。現在ソマリア沖で実施されている「海賊対処」活動では、「自衛隊は行政警察権を行使できるが司法警察権は行使できない」とされている。
従って「司法警察権を保持する海上保安官が自衛艦に同乗して警察活動を実施する」のである。まさしく、自衛隊は警察予備隊なのである。
任務を通じて海外に生活する機会が多かった筆者が所見するところ、世界各国の人々からすれば、まず全員が「自衛隊は軍隊である」と理解している。こういう筆者もそのような誤解を助長することに図らずも加担している1人であった。
それは、「英語で説明する自衛隊は完全な軍隊となってしまう」からである。例えば自分の身分を「Lieutenant General」と言ったり、「Infantry」「Artillery」という職種説明をしてしまったりする。
現実では自衛隊には「中将」も「歩兵」も「砲兵」も存在しない。しかも数年前に海上保安庁が「Japan Coast Guard」と英語名を変えたものだから、ある米軍高官は「いよいよ日本に準軍隊が整備されたね」と語り始めた。
自衛隊は本格軍隊と理解していたからである。このような自衛隊であるから、前述のように「日本の自衛隊には軍法、軍事法廷、軍法会議、軍営倉が存在しない」と知った米軍中将は、「本当にそれで軍隊なのか」と真面目な顔で質問を返してきた。
我が国の中でも、憲法9条が厳然として存在しているにもかかわらず、自衛隊は本格軍隊であると認識している者が大多数である。
そして時の政府は、鵺のような自衛隊の存在を利用して、我が国の安全保障戦略――「あいまい戦略」(Ambiguity Strategy)を採り続けている。
しかし自由民主党は、平成15(2003)年7月に自衛隊を本格的な軍隊として位置づけ、国際貢献(国際活動)を新たな任務に加え、軍事裁判所の設置、国家緊急権の明示等を含む「安全保障についての要綱案」を提言している。
また民主党の一部でも、自衛隊を本格的な軍隊として位置づけるとともに、通常戦レベルでの日本防衛の任務を段階的に自衛隊が主体的に実施していく中で、施設・区域提供規模の低減やいわゆる「思いやり予算」の見直しを実施していく方向を採ることで、日米安保条約の第5条に示された米国の日本防衛義務と第6条に示された日本の米軍に対する施設・区域の提供という日米両国の義務のバランスを健全化していこうとする考えを打ち出そうと検討しているようである。
いずれにせよ、国家防衛を「あいまい戦略」に委ねる方法には既に限界が透けて見えているし、このような戦略は国家としての威信をあまりにも蔑ろにしている。
自衛隊は鵺のような存在から脱却すべきときが来ているし、その方向が日米同盟“深化”の第一歩であると考える。自衛隊が鵺の存在である限り日本は国家としての信用が得られず、世界各国から尊敬の念や信用が得られない。
最近の我が国経済停滞の根源には、日本という国家に対する世界各国の信用の程度にその類の揺らぎがあるという事実があることを、ここに指摘しておきたい。
いずれにせよ、日本がこのような「あいまい戦略」を放棄し、自衛隊を本格軍隊と認知する方向が日米同盟の“深化”のための第一歩であることは言うまでもないことなのである。
逆に自衛隊を警察予備隊DNAを堅持したままの組織として放置するのであれば、世界各国からの信用も、また、米国の日米同盟に対する姿勢も、決して肯定的にはならないと言えよう。
真の同盟のための「西太平洋相互防衛」構想!
さて、我が国の憲法を改正して自衛隊を本格軍隊として位置づけることができれば、「同盟」の本質として日本および米国が個別的自衛権を行使することはもとより、集団的自衛権を行使することができることは「国連憲章」を引用するまでもなく明らかとなる。
しかしながら、米国の軍事戦略の展開は地球規模であり、日本が米国と同一歩調を取って地球規模で米国との集団的自衛権行使を追求することになれば、これは日本の国家戦略を危うくすることにつながる。
自衛隊の軍事力は国家防衛のための実力組織として専念すべきであり、在日米軍基地は東アジア・太平洋地域の平和と安定に貢献することに特化して存在すべきである。
我が国が米国と一体となって地球規模で「同盟の本質」を全うする考え方は、米国としても望ましいとは思っていないであろう。
これらを考慮して「日米間の真の同盟」を追求するためには、昭和26(1951)年9月8日に「日米安全保障条約」(旧安保条約)が締結されるまでの間に我が国と米国が重ねた議論を改めて思い起こす必要があろう。
すなわちこの件に関し、ディーン・アチソン米国務長官(当時)は「日本はグアムまで防衛する。米国は日本を防衛する。その双務性が基本ではなかろうか」と提案した。
我が国が第2次世界大戦の教訓として、決して他国を侵略しないという決意を有していることを斟酌して、アチソンは日米同盟の双務性を「西太平洋地域」に限定したのであろう。
もしこの議論をよしとするのであれば、我が国は自衛隊の海・空戦力を西太平洋において発揮し、米国との「同盟の双務性」を全うするという選択肢が出てくる。
すなわち、自衛隊の陸上戦力は日本領域および米国の要請があればグアムにおいてのみ発揮され、米国の軍事力展開が地球規模であってもこれを限界とし、日本の軍事力、主として海・空戦力は日本および米国の領域内およびその周辺の公海ならびに公海上空域において発揮されることに限定されることとなる。
このような場合、日本は米国の実施する世界全般にわたる軍事力行使に「巻き込まれること」を阻止するための措置を明確にしておくことが肝要であろう。
さらに敷衍すれば、「戦闘の最終的な決は陸上戦力が定める」ことは、先のイラク戦争の例を引くまでもなく当然のことである。
このような選択肢であるならば、自衛隊は陸上も、海上も、そして航空も、しかるべきレベルにそれぞれの戦力を向上させ、米国との「共同戦闘」を可能にしなくてはならない。
そして、このような方向が我が国の防衛・安全保障の基本として位置づけられるのであれば、「日米同盟」は明確に同盟関係となり、「同盟の深化」も雄大な一歩を進めていくこととなろう。
去る平成22(2010)年6月28日(現地時間では27日)、菅直人首相はバラク・オバマ米大統領と会談し、米軍普天間飛行場移設問題を含む日米同盟の深化について合意した。しかし、現行の日米安全保障体制で、真の日米同盟は確立できるのであろうか。
日本からの施設・区域の提供と思いやり予算で米兵の血を当てにする安全保障体制が、本当に日米同盟の深化を生むのであろうか。
「周辺事態」対応措置の強化!
我が国が有事を迎える前の段階、すなわち、周辺事態に対する対応措置を実施するための「周辺事態安全確保法」は、平成11(1999)年3月24日に施行されたが、自衛隊が本格軍隊として位置づけられるのであれば、当然、新たな「周辺事態安全確保法」の制定が必要となる。
すなわち、自衛隊が正規の軍隊であれば、あえて後方地域と戦闘地域といった区分を考慮する必要もないし、公海上の捜索・救難も可能である。戦地に向かう戦闘機に対しても給油・弾薬補給・整備も可能となる。
加えてこれまでのような制約を一切払拭し、国際基準に依拠した武器使用基準を制定し、米軍再展開部隊の受け入れのための民間空港・港湾の指定、戦闘機および艦船に対する給油支援を含む物資の補給・輸送支援等後方支援ならびに弾薬・武器の提供・整備の実施にかかる全面協力、公海を含む機雷の除去など、さらにはこれらを踏まえた「周辺事態下における日米実動演習」を具体化することができる。
そしてまた、周辺事態において日本が主体的に実施する活動、すなわち、難民の保護、捜索・救難、船舶検査、海外邦人の救出についても公海上は当然のこと、敵の領海であっても実施できるし、実施しなければならない。
加えて、航行する船舶に対する臨検も国際法に基づいて実施しなければならない。さらに、海外在住の邦人救出についても、事前の外交交渉によって各国と邦人救出のマニュアルを確立しておき、当該国との軍事的連携を確保することができるであろう。
また、周辺事態として蓋然性が高まり始めている“第2次朝鮮戦争”が生起した場合、日本が締結しているいわゆる「国連軍地位協定」、すなわち、朝鮮戦争参加10カ国(現在8カ国:米国・英国・フランス・オーストラリア・カナダ・タイ・フィリピンなど)に対し、国連軍基地として指定されている横田・座間・横須賀・佐世保・嘉手納・普天間・ホワイトビーチの7カ所(現在は在日米軍基地)の使用を、政府の確固とした施策として推進することができる。
そのほか、自衛隊と米軍の協力として考えられている「情報交換」「機雷の除去」「海・空域調整」についても、具体的な検討が可能となる。
そして、特に「電波管理」の権限については、有事を基本とした形態に改めて日米の通信にかかる相互運用を高める施策が推進されることとなろう。
米国はかつて、「周辺事態安全確保法」の成立を極めて高く評価した。しかし具体策を追求する過程において、多くの障害がその先に広がっていることを認識して落胆した。
従って米国は、本格軍隊としての自衛隊の下に成立する「新周辺事態安全確保法」がいかに東アジア・太平洋地域の安全・安定に寄与するかを十分理解している。
「新周辺事態安全確保法」の成立とこれに基づく対応措置の具体化は、「日米同盟」の進化および深化に大きく貢献することとなろう。
しかしその前に、立法化された「周辺事態安全確保法」に基づいた日米の実動訓練は、11年経過した今日でも全く実施されていない。
日・米・中の三角関係が云々されているが、軍事面で言えば日米はここに述べたように既に緊密な関係にあり、決して正三角形にはならないと言うべきである。
兵器の相互共同運用性(Interoperability)の進化!
1992年7月、冷戦終結に伴う「アジア・太平洋地域の戦略的枠組み」(EASI)が米国政府から公表された。これに示された4項目は、我が国が通常戦力レベルでの自衛能力を獲得し、併せて日米同盟の深化を推進するうえで極めて貴重な視点を与えてくれる。
すなわち、米側は、
(1)可能な限りの在日米兵力の削減はあっても、北東アジアにおける安定と抑止に不可欠な基地を米国は確保する、
(2)日本の領海防衛能力と千哩海上交通路能力の向上は容認しても、日本のパワープロジェクション能力の造成は拒否する、
(3)日米間の技術還流は促進するが相互補完性(Non-Complementary)のない兵器体系の日本独自の開発は抑制する、
(4)日米のハードおよびソフト面の相互運用性の向上を図るというものである。
これら4項目は、米国側から発信されたとはいえ我が国が取るべき方向を考えるうえで、また「日米同盟の深化」を考えるうえで極めて重要なメルクマールとなると考える。
特に、東アジア・太平洋地域有事において日米共同作戦の実施が不可欠となる状況に至るのであれば、自衛隊および米軍の使用する兵器体系における相互運用性の確保は絶対に必要である。
例えば海・空戦力の造成にあっては、「F-35」など第5世代戦闘機の導入や3万トン級のDDH(ヘリコプター搭載型護衛艦)の建造は必ず実現させなければならないし、潜水艦などによる米軍と自衛隊の役割分担なども考慮しなくてはならない。
そして、定められた役割分担に応じた兵器体系の導入も、また、米国軍が推進するトランスフォーメーションにも可能な限り追随することも考慮しなくてはならないであろう。
加えて、相互運用性は単に兵器体系のみにとどまらず、作戦思想・教義(ドクトリン)・軍事教育・訓練の分野にまで深化させる必要がある。
これらを効率的に実現するためには、日米防衛協議などを利用して日米間の軍事戦略にかかる協議が必要不可欠であるとともに、通常戦力レベルを超えた、いわゆる「米国の核の傘」の運用についても更なる具体化が進捗するであろう。
正規軍と準軍隊が存在するのが当たり前!
以上、日米同盟の真の同盟化のために考慮すべき課題について縷々述べてきたが、現在の自衛隊はどう見ても軍隊の本質を欠いた準軍事組織でしかない。
米国は約146万の正規軍と米国内および周辺海域の防衛を任務とする約50万の準軍隊を保持するが、このことはその他の先進諸国においても全く同様である。
軍隊には正規軍と準軍隊が存在するという極めて初歩的な軍事知識さえ欠如した政治状況の下、自衛隊の実態が次第に明確になるにつれ、両国は「日米同盟」の深刻な再検討を余儀なくされるであろうことを、ここに大きな警鐘とともに注意を喚起する次第である。