からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

ジ・オフ・コース/群衆の中で (1970年)

2019-10-15 | 音楽
ジ・オフ・コース/群衆の中で (1970年)



Ishige Akira - Pororoca (MV)



Vashti Bunyan - "17 Pink Sugar Elephants" (1966)



モコ・ビーバー・オリーブ/海の底でうたう唄 (1969年)



また昔の作品、・・・・載せます。(^_^;)



 八時半の女


からく

 思うに我が家の黒芝コロくんは、基本的に人間嫌いなのだ。
 その根拠は、人間とみればのべつ幕無し吠えるし、サークルに近づいてきた無垢な三歳児を、激しく吠えて泣かしたりするからだ。勿論、飼い主である私には少しは気を許してくれているが、それでも機嫌が悪い時に近づくと吠える。
 これを人間嫌いと言わずして何と言おう。
 そんな気の荒いコロであるが、実はまったく人間を寄せ付けない訳ではない。ごくたまににであるが、ある特定の人間をコロは引き寄せ、受け入れる。
 心に大きな悩みを抱えているものであったり、孤独の淵に立っていたり、ともかくそんな人間たちをコロは引き寄せる。
 彼らはみな心の安寧を求めてコロに近寄り、語るだけ語ると満足してまた自分の帰る場所に戻ってゆく。
 私は彼らのことを”コロのマブダチ”と呼んでいる。
今回はそんな”コロのマブダチ”の一人である日菜子ちゃんのちょっとした物語について語ろうと思う。

 日菜子ちゃんに初めて会ったのはいつ頃であろうか?
 恐らく三年ほど前だったと思う。
 その日私と妻は親戚のお通夜に呼ばれ、疲れて玄関のドアを開けようとしていたときだった。
 コロがなにやら激しく吠えているのが聞こえた。
 ああ、そういえばコロの夕食がまだだったなと思い出し、私は喪服のままコロがいる庭の方に回った。
 コロ、悪いな、今用意するからなといいながらサークルに近づくと、しゃがんでコロの方をみている人影があった。
「誰?」
 私がそういうと、人影はこちらを向き、私に笑いかけてきた。
「私が誰だかわかりますか?ジンさん」
 そう問いかけられて私はあわてた。なにしろ人影はまだ二十歳前後の若い娘だったからだ。
 私の繋がりにそんな若い娘はいない。せいぜい姪か会社の事務の女の子だ。
 私が考えあぐねていると、彼女はまたニコっと笑い、立ちあがった。
「嘘。分かるはずないですよね、だって初めて会ったんだもの」
「・・・初めて」
「そう、初めて。・・・・でも母はあなたをよく知っているわ」
「お母さん?」
「そう、3丁目の皆原」
そう言われて私はハタと思い出した。
 たしか三十年ほど前に、中学生のときの同級生が3丁目にお嫁に来て、住んでいるということを母から聞いたことがある。
 3丁目は隣の地区であるが、出不精である私はなんと三十年もの間、その事実を確かめることはおろか、まったく記憶の外に置いてしまっていた。
「また来ていいですか?」
「えっ」
「私、日菜子っていいます」
「・・・・・」
「ずいぶん前から気になっていたの。学校の行き帰りにこのうちの前を通ると吠えられて、・・・でも一度そのワンちゃんに会ってみたいなって」
「・・・・・」
「また来ます。今日は吠えられちゃったけど、次からは吠えられないようにするわ」
 彼女はそう言い残すと、庭沿いの道に出てじゃあと3丁目の方向へ駆けて行ってしまった。

 それから彼女は定期的にコロのもとに現れるようになった。
 毎週水曜日、夕食後私たち夫婦がテレビを観ながらゆったりしていると、決まって八時半にコロがけたたましく吠える。
 私が庭に下りてゆくと、彼女は「また吠えられちゃった」と舌をだす。
 それを毎週懲りもせず彼女は繰り返すのだ。
 私は彼女のことを八時半の女と呼んだ。そしていつのまにか毎週の彼女の訪問を心待ちにするようになっていた。

 ある時、恐らく十回目くらいの訪問のときであろうか。いつものように私は彼女の訪問を待っていた。
 でも八時半になってもコロは吠えない。九時近くになっても同じだ。
 私は待ちきれなくなり、庭に下りていった。
 サークルに近寄ると、側でしゃがんでいる日菜子ちゃんがいた。
 私は彼女のもとに行こうとしたが、途中で躊躇して立ち止まった。
 彼女の目に光るものを見たからだ。
 コロは吠えもせず、彼女をただじっとサークルの中から彼女を見守っている。
「あ、ジンさん」
 日菜子ちゃんは私に気が付くと涙を隠して下を向いた。
「吠えなかったね」
「うん、やっと私のこと認めてくれたみたい」
「ねえ、顔をコロの方に近づけてごらん」
 彼女はゆっくりと顔をサークルの外から近づけるとコロは柵の間から鼻先を伸ばし、まるで涙の跡を消すように丁寧に彼女の顔を舐めだした。
「くすぐったい」
「でも優しいだろ」
「うん、優しい」
「こいつは気性は荒いけどほんとは優しい奴なんだ」
「うん、わかる」
 日菜子ちゃんは一通り顔を舐めてもらうと、いつもの笑顔を私に向けた。
 そして、気を取り直したのか自分の両手で顔を軽く叩き、立ちあがった。
「さてと、ジンさん。私帰るね」
「ああ、おやすみ。またな」
「おやすみなさい」
 彼女は庭から道に出て、二、三歩歩み始めたところで振り返った。
 振り返って、こう言った。
「母は中学時代ずっとジンさんのことが好きだったんだって」
 突然の代理告白に私は狼狽した。狼狽して咳が出た。
「じゃあ、また来ます」
 日菜子ちゃんは私の様子を面白そうに窺うとまたくるりと回り、三丁目の方向に駆けて行った。

 その日を境に日菜子ちゃんはコロのもとに現れなくなった。
 それでもいつか来るだろうと私は、最初の二か月、水曜日の八時半を期待していたのだが、彼女は決して現れることはなかった。
 私は落胆した。落胆して彼女のことは”ただのきまぐれだったんだろう”と思うことにした。
 そしていつしか彼女のことを忘れかけたころ妻が風の噂を手に入れてきた。
「3丁目の皆原さんってお宅、離婚したんだって。コロのところに来ていた日菜子ちゃんっていったっけ?その子と奥さん出て行ったみたい」
 妻の言葉に私は驚いた。
 驚いて、あああの涙の訳はそれだったのかと合点した。
 私は庭に下り、コロのもとに行ってサークルの出入り口を開けた。
 コロは散歩だと勘違いして嬉しそうに私に近づいて来た。
 お前はあの日、なにもかもわかっていたんだな。
 私はコロの喉元を撫で、それから彼の身体を優しく抱きしめた。







コメント (2)
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