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日々の気になるニュース。ただし某NGOのお仕事が忙しい時はしばらく更新されないことも…。

1年3か月ぶり4人に死刑執行 (毎日新聞)

2006-12-25 16:09:40 | on Peace
96年に広島県内で女性4人を殺害したとして、強盗殺人と死体遺棄の罪に問われた元タクシー運転手、日高広明死刑囚(44)=広島拘置所収容=ら4人に対して25日、死刑が執行された。法務省は同日、死刑囚の名前などは明らかにせず、執行人数だけを発表した。
死刑の執行は昨年9月16日以来、1年3か月ぶり。他に執行されたのは
▽75年に千葉県内で知人を殴り殺したとして、強盗殺人や死体遺棄罪などに問われた秋山芳光(77)=東京拘置所収容
▽81年に栃木県内で前妻の親族2人を殺害したとして、強盗殺人罪などに問われた藤波芳夫(75)=同
▽78~81年に高知県内で親族ら3人を殺害したとして殺人・死体遺棄罪などに問われた福岡道雄(64)=大阪拘置所収容=の各死刑囚。

◇死刑制度の維持したい法務省の強い意思
9月末に就任してからまだ日の浅い長勢甚遠法相が25日、一度に4人もの死刑執行を命じたことは、毎年執行の実績を積み重ねることで、死刑制度の維持を確かなものにしたい法務省の強い意向を反映している。杉浦正健前法相が死刑執行命令書への署名を拒否したまま退任したことから、同省としては今月の執行を逃せば14年ぶりに「死刑執行なし」になるという事情があった。
かつては、90年12月~91年11月に法相を務めた左藤恵氏が署名を拒んだケースがある。左藤氏と杉浦氏はともに真宗大谷派を信仰しており、署名拒否の背景には宗教的信念があった。これに対し、法務省内には「時の法相の信条で、死刑が執行されたり、されなかったりすれば、国民の不信を招き、死刑制度の根幹が揺らぐ」との懸念が広がっていた。 (毎日新聞のサイトから)


4人死刑執行:日弁連、アムネスティ日本などが抗議 
死刑執行を受け、超党派の国会議員で作る「死刑廃止を推進する議員連盟」(亀井静香会長)は25日、「昨年9月から執行が行われていなかったことを帳消しにする行為で、およそ許されない」との抗議声明を発表した。
また、死刑執行の停止を求めている日本弁護士連合会は「事前の要請にもかかわらず死刑が執行されたことは誠に遺憾」との平山正剛会長の声明を発表。「アムネスティ・インターナショナル日本」(東京都千代田区)も「いかなる状況でも死刑に反対する」と抗議した。(毎日新聞のサイトから)

死刑:確定者が急増 近く100人に達する勢い
25日に4人の死刑が執行されたことで、収容中の死刑囚は94人になった。厳罰化の流れの中で死刑囚の数は増え続けており、近く100人に達する勢いだ。
最近の死刑確定者の数を見ると、03年までは年間2~7人程度だったが、04年14人、05年11人と急増。今年は既に、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚、オウム真理教の松本智津夫死刑囚、奈良女児誘拐殺害事件の小林薫死刑囚ら19人の死刑が確定した。 (毎日新聞のサイトから)

「死刑」という刑罰は、ヨーロッパではほとんど見られなくなっている。先進工業国で「死刑」を維持しているのは日米だけと言ってもいいだろう。
数か月前に「死刑制度とこれから導入される裁判員制度」というテーマで学生たちと話したことがあった。現行法で死刑がある以上執行されることはやむを得ないと言う意見を持つ学生も、自分が裁判員に指名されて死刑の評決をすることに関しては心情的に困難であるということであった。
日本では「終身刑」あるいは「無期刑」というものが、事実上存在しない。(「模範囚」は刑が満了しないうちに釈放される。)無期刑があるのならば死刑を廃止してもよいという意見、そもそも「死刑」は「極刑」ではないのではないか、という意見もあった。
杉浦前法務大臣は、就任の際「死刑は行わない」と発言し、翌日慌てて撤回した。しかし、在任中は結局死刑を行わなかった。だが、杉浦前法相の行動は、自己の内面においてのみ完結したもので、社会的に問題提起するまでに至らなかった。現状は、毎日新聞が指摘しているように、死刑に関する議論が十分行われていないのだ。こういった中で、法務省の思惑だけで実行されてしまったような今回の死刑執行は残念としか言いようがない。
裁判員制度に関するタウンミーティングもヤラセが発覚している。法律行政に関する不信感は募るばかりだ。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2006-12-27 01:15:22
(※ ここに書いてあることは、このニュースについてのコメントではありません。ただ、死刑制度ということを考えると、私はどうしても、言いたくなってしまうことがあります。)

世界には、少なくとも先進国の学校や大学には、たぶん共通に出されてくるディスカッションのテーマというものがあるのだ。例えば、環境問題。例えば、女性の地位。例えば、介護の問題。
 私は七面倒くさいことをウダウダ考える習性のある人間だったので、30歳でドイツの大学に留学したとき、そこで出されてくるディスカッションのテーマやレポートのテーマについて、いつだって言いたいことが山ほどあったし、それまでに自分なりの意見を(別にそこに目標を立てていたわけではなく、日々のウダウダ思考の結果として)それなりの筋道を立てて人に述べ立てられるくらいにはまとめていた。
 そんな私がある日の教室で、「え?」となったっきり、なにを言ったらいいのか、書いたらいいのか、皆目わからないテーマに遭遇した。それが、「死刑制度は廃止すべきか否か?」というテーマだった。
 そのとき初めて自分がそれまでの人生で、死刑制度について一度も、意識的に考えてみたことがなかったのだと、私は知った。
 死刑制度には、なんとなく反対のような気がした。そこで、そのとき私が書いたことは、死刑制度は廃止すべきだ。もし冤罪だった場合、取り返しがつかない。終身刑で、一生涯反省しつづけることのほうが意味がある。うんたらかんたら。なにやら理由をこじつけ、そして最後は、そもそも人に人の死を決定する権利があるのか? といったような、まったくもって頭の中だけでこねくり回した、チャチなもっともらしさしか所有していない理屈だった。

 でも、山口県母子殺害事件被害者の夫であり父である、本村さんという人を知ったとき、私の中で、それまでもっていた死刑制度に対する理屈が、激しく、本当に激しく揺さぶられた。
―本当に、死刑は廃止されるべきなのか?

最高裁での判決の日、仕事に行っても、私は一日中そわそわしてた。帰りの駅で、キオスクに張り出された夕刊のビラに、「審理差し戻し決定」の文字を見たとき、安堵のため息が出た。誰かが死刑になる確率が高くなったという事実に、自分が嬉しさを感じるなどとは、もちろんそれまで考えてみたこともなかった。

いまも私は自分が、死刑制度に賛成なのか反対なのか、まったくわからない。でも、きっと、高裁で少年に死刑の判決が出たら、自分が喜びを感じてしまうのではないか…と、予想する。

ついでに言えば、あの加害者の弁護士は、「死刑廃止」という自分の主張、イデオロギーのためだけに、あの事件を、そしてあの加害者の少年の存在も利用している、真に冷酷な人間だと思う。
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