綱敷天神社 禰宜日誌

大阪梅田の綱敷天神社のご案内ブログです

250歳になった床之尾の狛犬

2013年01月25日 | ノンジャンル
今日は天神様のご縁日である25日です。
特に年が明けてから初めての縁日ですので初天神ともいいます。各地の天満宮や天神社へお参りの方も多いのではないかと思います。

さて、そんな今日は旧暦に直しますとまだ12月14日で、ようやくお正月の準備が始まったばかりです。 昔の人は雪降るこの寒い時期にしめ縄の準備や門松の準備などしていました。

そんな師走の日であったであろう、宝暦12年の12月のこの時期に、一対の狛犬が当宮に奉納されました。 今月はその狛犬が奉納されてちょうど250年目にあたります。

基壇には「北床之尾」という氏地の百性孫兵衛、中嶋屋重兵衛、中嶋屋久藏、中屋仁兵衛、百性龍兵衛、百性喜右衛門ら6名による奉納である事が刻まれています。

この床之尾という文字は、現在の当宮南の「兎我野町」あたりの室町~江戸時代頃の古称で、未だ沼沢地であった梅田周辺で、この兎我野町あたりが大阪湾側に尻尾のような形で陸地を形成していたので、「とがの」が「とがのお」となり、更に「とこのお」に転訛したものと思われます。

「兎我野(菟餓野)」という地名自体は古事記・日本書紀にも登場するほど大変古く、神功皇后さま、応神天皇さまの御代には既に地名としてありました。つまり八幡神さまよりも古い地名です。

そんな古い地名であるという事をご存じの方は残念ながら今は殆どおられませんが、この狛犬に刻まれた「床之尾」の文字からは、当時の兎我野の民としての矜恃が感じられます。 ちなみに書籍を除いて床之尾と書かれているのは、私の知る限り、この狛犬以外存在せず、大阪梅田の地誌を考える上でも重要な狛犬です。

先の大戦では羅災を被り、欠けたり、焼けて色が変わったりし、最近では野良猫が飛びついたりするもので、生傷が絶えませんが、現在も御本社本殿の御垣内から睨みをきかせて下さっています。



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