ぐうたらピアノ生活

2008年9月~独学でピアノを再開(ブランク30年) 2010年9月~Lesson開始

なんでって聞かれても・・・

2010-12-17 19:57:12 | その他
「なんで看護師になろうと思ったの?」と久しぶりに聞かれた。

なんでって言われてもさ、成り行き?
親に勘当されていて学校に行くお金もなかったし、一生一人で生きていくには手に職が必要だったのでとりあえず・・・。

すみませんねぇ、ナイチンゲールじゃなくて(爆)
でもさ、変わった使命感のある人はともかく、私が知る限り献身的な看護婦なんてほとんどいないよねぇ?
本当に天使のような人は理想と現実の狭間で疲れちゃって、すぐ辞めちゃうからさ(苦笑)

医学部受験に失敗したから、医療業界に対して少しは未練があったのかもしれないな・・・(苦笑)

20数年前、私は力試しと称して受けた私立の医学部にたまたま合格したので、一応親に聞いてみた。
「国立落ちたら行ってもいい?」
帰ってきた答えは
「そんな金はない」
ごもっともでございます・・・・・。
さすがに学費を自分で何とかして6年間医学部で勉強をするだけの覚悟はなかったので、国立に落ちた時点で医者への道は閉ざされた。
浪人は許さないと言われていたから、他には遊びで受けた別の学部に入るか就職の道しか残されていなかったわけだが、他に何もしたいことがなかった私はとりあえず海外逃亡を謀り、めでたく親に勘当された(爆)
ああ、海外逃亡は簡単だったのだ。
もともと卒業旅行と称して旅行には行くつもりだったので、ビザの変更のみで事足りた。

ドイツの大学は日本の高校を卒業しただけでは就学年数が足らず、正式には入学できなかったのだが、語学講座や科目の聴講はできたし、学費はただだったので逃避にはもってこいだったのだけれど、学生がバイトで貯めた程度のお金では何年も遊んではいられない。
友人のアパートに転がり込んだ私は、食費と身の回りの生活費しか必要なかったのだが、全く収入がないのだから、いつかは底をつく。
何かしら生きていくための方策を考えねばならない。

当時、公立の看護学校に全寮制で月々15000円で寝泊できるうえに3食食事つきと言うありがたい学校があった。
なんと、学費は年間24000円である。
しかも寮は自治寮なので、うまくすれば夜のバイトが可能(爆)

倍率40倍とか言っても、基礎問題ばかりの試験問題は難しくない。
要は答えを1つも間違えなければいいのだ。
面接なんて適当な作り話をしておけばいいし・・・。
これは有かなと食いついた。

これが間違いの始まりだ・・・。

でもさ、勉強しながらバイトで生計が立てられ、かつ一生使える資格が取れるものって他に思いつかなかったんだよね。

物事よく考えないと、一生後悔する羽目になるという教訓である(大爆)
バブル期で売り手市場だったのだから、よく考えればもっと違う仕事もあったはず・・・・。

そんなことを言っても今更遅いか・・・。


え?
そう答えたのかって?
まさか!

ちゃんと「人の役に立つ仕事がしたかったものですから」と答えておいたさ(大爆)
嘘も方便、幻想は幻想のままで・・・・。
夢は壊しちゃいけないよ。


ああ、今日は寒いなぁ、昨日も寒かったけど・・・。
霜降ったし。
手が冷たいけど、明日レッスンだし、練習しないと・・・。
気合!気合!気合!!!!

あ、その前にご飯を食べないと(爆)