母が祖母から聞いた話によると、母の実家のお墓は現在のお墓の他に、館林、白河、姫路、村上と各地にあるらしい。
このうち館林には、祖母が存命中に訪れたことがあるらしい。
そしてそこのお寺で話を伺うと
「江戸、無縁坂、講安寺」に
お墓を移したとの記録が残っていたという。
最初、どこのことかわからなかった母であったが、
さだまさしの歌を思い出し、
不忍池から無縁坂を登って行ってみたところ、
実際に講安寺というお寺があった。
そこで話を伺うと
「そういう仏さんは随分前に無縁仏としてひとつにまとめてしまいまして」
と言われ、一応お参りをしてきたという。
実は、母の実家は、越後高田藩の藩士であった。
高田藩の藩主は榊原家といい、
徳川四天王のひとり、榊原康政を祖とする譜代の名家である。
この榊原家は江戸時代にはたびたび転封している。
上野国館林藩→陸奥国白河藩→播磨国姫路藩→越後国村上藩→播磨国姫路藩→越後国高田藩
以上のような変遷たどって越後高田藩に落ち着いている。
そしてこの無縁坂を挟んで講安寺の反対側にある旧岩崎邸庭園こそ、この榊原家の江戸屋敷であったところなのだ。
祖母からの記憶と歴史的事実がここまであえば、
おそらく間違いはない。
そういうわけで今日、講安寺へ行ってきた。
お寺の人に話を聞いてみると、やはり
「そういう100年以上前のものは全部無縁塔へ移してしまったんですよ」
とのこと。
そして、その無縁塔は巣鴨の庚申塚にある講安寺の墓地にあるという。
さっそく、帰りに寄って、この墓地も確かめてきた。
いずれ線香の一本もあげてこようかと思っている。
講安寺の枝垂桜

このうち館林には、祖母が存命中に訪れたことがあるらしい。
そしてそこのお寺で話を伺うと
「江戸、無縁坂、講安寺」に
お墓を移したとの記録が残っていたという。
最初、どこのことかわからなかった母であったが、
さだまさしの歌を思い出し、
不忍池から無縁坂を登って行ってみたところ、
実際に講安寺というお寺があった。
そこで話を伺うと
「そういう仏さんは随分前に無縁仏としてひとつにまとめてしまいまして」
と言われ、一応お参りをしてきたという。
実は、母の実家は、越後高田藩の藩士であった。
高田藩の藩主は榊原家といい、
徳川四天王のひとり、榊原康政を祖とする譜代の名家である。
この榊原家は江戸時代にはたびたび転封している。
上野国館林藩→陸奥国白河藩→播磨国姫路藩→越後国村上藩→播磨国姫路藩→越後国高田藩
以上のような変遷たどって越後高田藩に落ち着いている。
そしてこの無縁坂を挟んで講安寺の反対側にある旧岩崎邸庭園こそ、この榊原家の江戸屋敷であったところなのだ。
祖母からの記憶と歴史的事実がここまであえば、
おそらく間違いはない。
そういうわけで今日、講安寺へ行ってきた。
お寺の人に話を聞いてみると、やはり
「そういう100年以上前のものは全部無縁塔へ移してしまったんですよ」
とのこと。
そして、その無縁塔は巣鴨の庚申塚にある講安寺の墓地にあるという。
さっそく、帰りに寄って、この墓地も確かめてきた。
いずれ線香の一本もあげてこようかと思っている。
講安寺の枝垂桜
