保育所つくってネットワーク

保育園をつくって~! 東京都足立区のママたちが立ち上がりました!!

シンポジウム「保育事故を繰り返さないために」を聴講してきました

2013-09-21 | 活動報告
保育事故を繰り返さないために
 ~再発防止のための調査・検証の制度化に向けて~

上記タイトルのシンポジウムが9月15日、東京都内で開かれました。
保育園でお子さんが事故に合った被害者の方々と医師、弁護士、保育園園長などの専門家が集まって、各分野から、事故防止、検証の意義などについてお話がありました。

聴講してきた筆者(つくってネット代表)の感想を交えてご報告したいと思います。
話し合いの時系列として順不同になりますが、印象に残ったことを項目を分けてまとめました。
**関係者の方で、もし発表内容と違う点などありましたら、ご教示をお願い致します**


<事故に遭われた被害者の方たちから>

 最初に事故でお子さんを亡くした3名の保護者の方からのお話しがありました。
生後4カ月の赤ちゃんをうつぶせ寝にされて亡くなってしまったが、まともな検証もなく病死扱いされてしまったという話、泣いている1歳のこどもに頭から毛布をかぶせて上から枕(重し)を載せられて40分間放置されて亡くなったという話、ファミリーサポートを1時間だけ利用して6か月の娘を預けて通院しようとでかけたら、お迎えのときには心肺停止で、今も脳死状態にあるという話。

 どれも酷いとしかいいようのない状況なのに、際立っているのはどの件でも行政は検証やまともな事故対応をとろうとしないこと。
1歳のお子さんが毛布をかぶせられて亡くなってしまったケースでは、行政は認可外施設に関しては責任なしという対応、ファミサポの件でも自治体は、「個人間で解決してくれ」と。

 聴講者からの質問時には、幼稚園でのお泊り行事での川遊びで、お子さんが溺死してしまったという母親の方が発言されました。
市や県に検証をお願いして要望書を出したり、署名活動を行なったり。こどもを失った心労の中でも、やれることは精一杯やっている、と涙ながらにお話してくれました。でも行政から言われるのは、「私学のことには介入できない」ということ。
「なぜなんですか?これ以上どうしたらやる気になってもらえるんですか?」と途方にくれながら、言葉を絞り出す母親の発言に、会場は静まり返りました。
 事故にあった保護者からすれば、こどもが死んでしまうという究極のことが起こってもなお動かない行政と社会に対して、驚きと疑問と悲しみに苛まれてしまう。。同じ保護者として痛いくらいに、涙で語る母親の姿が胸に刺さりました。

 シンポジウムの司会を務めた栗並さんは、ご自身も1歳4カ月のお子さんを認可保育園での事故で亡くされました。
今回お話ししてくれた遺族の方たちと同じく、栗並さんも自ら保育園に当時のことを聞き取りに足を運び、行政に働きかけていく行動に立ち上がりました。
栗並さんの働きかけによって、事故から1年7か月後にようやく事故検証のための第三者委員会が設置されました。
その後、愛知県は保育事故の対応方針を発表。栗並ご夫妻は厚生労働省にも事故防止・対応のための指針について要望書を提出し、その内容は国の「こども子育て会議」で現在検討が行われています。

 医師として事故に遭ったこどもを多く診てきた山中龍宏さんは、事故に遭った被害者自身が署名活動までやらないと第三者委員会が設置されないようではだめだ、と発言されました。弁護士の寺町東子さんも、事故防止対策と事故後の対策として国の役割が必要だ、とおっしゃっていました。

 事故後の行政の対応について、当事者の方たちから、行政にはほとんど動いてもらえない重い現実の話を聞いたのですが、そこで湧き上がってくる大きな不安。。新制度で広げられる予定の認定こども園には国や自治体の責任も義務もないので、このように、認可外施設やファミリーサポート、私学の幼稚園の事故で苦しんでいる保護者の現実がいっそう広げられてしまうのではないか、ということ。
(事故が起きてしまった場合にという意味で。だからこそ、事故防止が重要だということになりますが!)
栗並さんのケースで県や市がやっとでも動き、国へも影響に与えるところまできているのは、それが国が責任を負っている認可保育園での事故だったからではないか。。

 しかし、だからこそ、新制度のもとでは、再発防止のための、事故報告義務やすみやかな検証・対策の義務が施設の区別なく課されていくことが必要だと、筆者も強く思いました。


<親からの素朴な疑問>
*保育のプロであるはずの保育施設のスタッフがなぜ危険なうつぶせ寝や虐待まがいのことをしてしまうのか?*

 聴講者からの質問時に父親として保育のことを考えるようになったという方から、上記の質問がありました。
初めてこうした会にも参加したというその父親の方は、「よくわからないんですが、なぜ、、」と遠慮がちに質問されました。
しかしその疑問は、自分自身も保育の問題に関心をもつようになって最初に抱いた疑問でもあります。
ありえないでしょ!それがなぜ??という気持ち。。

 弁護士の寺町東子さんからは、過去にはうつぶせ寝がよいとされていた時期があったが、うつぶせ寝の状態だと乳児突然死症候群(SIDS)が増えることから、今ではうつぶせ寝をさせてはいけないというガイドラインが厚労省から出ており、うつぶせ寝は危険だという認識が広がっているが、中にはそうしたことを知らない方がいる可能性がある、とのお話がありました。

シンポジウムに終了後に、このお父さんとお話することができました。
「私も最初に、なぜ??とすごく疑問に思ったんですよ」と話しかけてみました。
そこで、お互いが理解した保育の現場のことを少しお話しました。
それは、こどもの詰め込みが行われて、保育士の手が足りていない現場では、保育士がとくに泣いている赤ちゃんに向き合う時間がとれずに、とにかく静かにさせて寝ていてもらうためにうつぶせ寝にさせてしまう、そうした状況下でおきた事故が多いということ。(うつぶせ寝にさせられると赤ちゃんは泣けなくなります。)
保育の現場にこどもたちに向き合い、お世話をするゆとりがなければ、保育士やスタッフも追い込まれ、そのような酷いとしかいいようのない行為が発生してしまうということ。
だから、保育の現場には、保育士の配置人数や面積について適切な基準が必要っていうことなんですよね、と親同士、再認識するような話になりました。

この質問は、事故について知った人、保育問題に関心をもった親たちがまず最初に思う素朴な疑問です。
でもそこにこそ、待機児童の対策をとるにあたって保育士の配置や面積をおそろかにしてはいけないという議論が結びついているんだという重要な問いであると感じました。
なぜそういうことが起こるのか、の背景まで知ることがなければ、こうしたとんでもない事故は、一部のとんでもない人たちがやることなんだろう、と片付けられてしまうこともあると思います。だから滅多に起こるものではないだろう、と、それ以上考えない意識も生むかもしれません。
でも実際にはこうしたことが起こる状況を、保育士の配置が少ない状態、詰め込みの状態がつくっていることが認識できれば、この状態を許しているかぎり、どこでも起こりうることであり、だからこそ、制度づくりからこうした状態をつくらないようにしなければいけないのではないかという思いをあらたにしました。


<事故の検証の意義について>

シンポジウムでは、事故に遭った被害者が、事故後にさらに傷つく二次被害があるということが言及されました。
教育学、子どもの人権論が専門の住友剛さん(京都精華大学人文学部准教授)は学校での事故被害者と向き合ってきた中で、なぜ事故が起きたのか、自分のこどもに起きたことを詳しく知りたいと願う親が、情報の隠ぺいにあったり、誹謗中傷を受ける現実があることをお話しされました。

実際に、登壇した被害者の親御さんたちは、そうした身近なところから聞こえる批判に耐えながら活動している。
お子さんを亡くした上でなおも降りかかる心労。それがどれほどのことかが想像できれば、声が出せずに泣き寝入りになる被害者の方たちがたくさんいることも理解できてしまう。。

 遺族の側からみた検証の意義について、栗並さんからも胸に突き刺さる話がありました。ちゃんとした検証もなく、園には落ち度がなかったというのでは、1歳4か月の息子に落ち度があったということなのか、心の整理をつけるためにも検証の結果がありがたかったと、栗並さんはお話されました。(栗並さんの事故では、園側に見守りの体制に不備があったこと、基準人数を超えてこどもの詰め込みが行われていたことなどが、検証結果として報告されています。)
また二次被害で、その後の人生も自分の願うように生きていくことが困難になるような状況に対して、遺族がその後も前向きに生きていく力を事故の検証が与えてくれた、とお話されました。

事故を起こしてしまった側からの視点として、保育事故に多く携わっている弁護士の寺町東子さんから、とても印象に残るお話がありました。
保育園の経営者には、園を守ろうとして、事故の詳細を隠そうとする心理が働くかもしれない。口止めされた保育士はそれに従っていても、良心の呵責に苛まれる方もいる。最初は隠していても、「いつかまた誰が真相を聞きにきてくれるかもしないと思った、でも長い間誰にも聞かれることなくて苦しかった」、と言った保育士さんがいたとのことでした。

事故の速やかな検証体制を制度化することで、被害者と保育士の両方の心を救うことができる、というお話には、改めてその意義について考えさせられました。事故の検証は、保育士さんや園を追い詰めるためものではなく、当事者たちに心の整理も行ないながら、より良い環境をつくっていくためのものなんだと感じました。




そのほか、死因究明制度の一環として、子どもの死亡登録・検証制度を法的に位置づけることを求めて活動されている医師の山中龍宏先生のお話や、保育の現場で事故防止に取り組んでいる園長先生の久野順子さんのお話、心理学の視点から保育の安全について研究されている掛札逸美先生(NPO法人保育の安全研究・教育センター代表)のお話があり、みなさんからこどもの安全を守るためにとても有意義な内容が発表されました。
(すべてをご紹介できす、すみません。)


前述しましたが、シンポジウムのさいごに、幼稚園でお子さんを亡くされたお母さんの訴えがありました。
ありとあらゆることをやっているのに、これ以上どうしたらいいんですか?という問いに、登壇者からいくつかの言葉がありました。
けっして諦めないこと、そして、いろんな人とつながって英知を結集すること。
その意味で、今回のシンポジウムでは、事故の被害者になってしまった保護者、保育園の現場の先生、医師、弁護士、教育現場での事故後の問題に携わっている大学准教授の方々が集結した意義深いものだったと思います。
各分野で活動されているみなさんが、保育の現場での事故について、その検証や対策の体制についての仕組みづくりが必要だということで一致されていました。つながりを広げて、各分野での英知を集めて声をあげていくことの重要性を実感し、そうした取り組みを形にしていただいた今回のシンポジウムはありがたいものだったと感じました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿