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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

ビジネスに美的センスは必須

2012年07月06日 17時45分58秒 | 日記
 船舶艤装設計の経験から遠望する独断偏見であるが真実でもある。
大学や高専、工業高校で工学系の勉強をしたから設計技師になれるかと言うとそうでもない。物、配置、構造、事象、仕事、管理、などなど凡そ身の回りにある全てについて生来の美的感性がない者に優れた設計は出来ない。優れた仕事も出来ない。
 同じマストの設計でも意図せずに美しいデザインが出来上がる私のような設計技師も居れば、理屈は上等だがいかにも不細工な設計をする人も居る。そしてそれを識別できる人も居れば出来ない人も結構居る。出来る者が出来ない者の部下になったときこそ悲劇である。こうして野暮臭い船が出来上がることにもなる。
 旧日本海軍の軍艦を見ていて非常に美しいと思う。戦闘機また然り。当時の最優秀な人材が投入されていたのだから当然だろう。用の美と言うか、あらゆる方面から用を突き詰めると自然に美しいデザインになってしまう、これは不思議なことだ。鉄鋼はその機械的性質を前提に寸法や形状を決めて行けば必ず美しいデザインになるのだ。他の材料然り。随って一見して破綻しているデザインの場合、どこかに無駄か不足かの不具合がある。これを瞬時に見抜く力を工学的センスと私は呼ぶ。
 戦前、東大の造船科を出た人が居た。定期試験で船の要目を見せられて速力を問われた。他の学生が一生懸命計算する中でその人は面倒くさかったので”約・・・ノット”と答えて満点を貰ったと言う。正解かどうかは忘れたとのことだが教授言うには工学部とはそういう感性を育てるところなのだ、と言う話だった由。
 仕事の仕方もまた然りである。”さても下手くそな”と思う要領の悪さ、一方で目にも鮮やかな美しい仕事の運びはあるものだ。学校出て見積もり屋になった、その業務に経験を積んで習熟するに随いその経験からヒントを得てより大きく組織や仕事の管理について一家言を持つようになるならば上等である。そこから”今までに知られていなかった何か新しい価値、仕事の管理要領”などを編み出して提示すればそれこそは”仕事”である。そうではなくて単に業務のベテランになっても男子が一生かけてやることではない。しかし思うに、その根底に”美に対する感性”がある。
 トヨタの車はいずれも美しくない。あれは用の美を突き詰めないで”素人を喜ばせるための””デザインなることをしている”。911が美しいのは911を突き詰めようとしている、別段素人を喜ばせようとはしていない、ところであろうか。この観点から私は日本の車ではスバルを評価している。ここ30年、空冷フォルクスワーゲンとスバルにしか乗っていない。
 ”お客様は神様です”思想は嫌いだ。そんなところからロクナものは出てこない。来島どっくが来て”市場原理、市場原理”と我々をコケにした。挙句に設計技師など要らない、図面など買ってくればいい、などと言う。如何にして船主から派遣されている工事監督をごまかすか、如何にテンプラ仕上げ(テンプラは衣に隠れてボロが見えない)するか、などを得々と講釈したから私は会社を辞めた。
 結局、美を追求せずに市場原理とやらに目が眩んで今の日本の産業界の苦境があるのではないか?

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