夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

2台のバロック・リュート

2019年06月10日 15時36分24秒 | 日記


上段は平山照秋氏製作の14コースバロックリュート、下段はオランダのマーチン・デ・ヴィッテ氏製作の11コースバロックリュート。

14コースの方は画像には見えないが12,13,14コース用にバスライダーがある。現在は弦を外している。ある方の依頼で製作なさったが、その方が『仕事が忙しくて弾く暇がない。持って居ると弾かなければならないとのストレスがあるので製作者が引き続き保管して欲しい』とのことらしい。
しかし、楽器は弾かないと鳴らなくなる、そこで預かって弾いておられたようだが何しろ八面六臂東奔西走、エネルギの塊みたいな方なので落ち着いて家に居ない、だから弾く暇がない、というわけで私にお鉢が回って来て預かる事になった。預かるからには弾かなければならない。・・・『おい、いいのか?自分のもあるぞ!ギターもあるぞ、ドーするの?』とりあえず2日がかりで調弦した。

バロックリュートを弾いてみたいと考えている人、そこのあなた、悪い事は言わないから止めておきなさい、かける時間の8割は調弦、残りで練習になる。おまけに最低でも11コース、複弦と来ている、もう訳が分からん。おまけに楽器は微妙に歪む・・・【この当時の楽器は壊れる寸前が最もいい音が出る】と嘯く方もいらっしゃる。実際、平山さんも古楽合奏団の演奏会の際には【何時、楽器が壊れても応急処置出来る】ように待機なさると言う。かくて遠路はるばる、時には外国にまで出張。半ばボランティアじゃなかろうか。

両方やってみての感想は、音楽的な可能性、将来性、共に6コースモダンギターにある。私もギターだけにしようかと考え、『これで最後』とリュートを引っ張り出して・・・『やっぱ、手番すのは止そう、ああ危なかった!』で毎度終了。ギターの様に激情をぶつける、とか自分の演奏にホレボレして・・・、てなことはない。『ハルマゲドンが終わって、人智・人治の、苦しみの世が遠く去ったある日、呆けて散策する草原に茅(ちがや)の白い波濤、ゆっくりと渡って行く雲、放牧されている牛、日が暮れたらそこいらに横になって今夜は星を見ながら眠ろう』なんて世界で弾く楽器だ。だから放せないのだ。

どうしても何が何でもリュートをやりたいと【もがる(薩摩方言、だだをこねる、の意・・おそらく古語 ”喪がり” が語源)人は6コースか7コースのルネッサンスリュートからやりたまえ。バロックリュートの先生が『エッ、ギターやったことない?ケッコーですよ、ギターの経験関係ない、むしろ経験ない方がいい、バロックリュートでバッハ、ヴァイス、いいですねぇ、是非是非・・・』と仰っても安易に手を出さない方がいい。人生の時間の浪費に終わる可能性が大きい。

YouTubeでルネサンス時代の舞踊を見ると、『なんじゃこりゃ、ただ歩いてるだけじゃないか!見るのやーめた』、と言う感想になる。まあ私だけかもしれないが。・・口直しに【牛深はいや節】や【御陣乗太鼓】、熊本の【ザ・わらべ】を見よう、となる。・・・この躍動感!!この迫力!!この美意識!!
対して、まさにリュートはルネッサンスから絶対王政時代欧州宮廷の眠くなるような儀式だの音楽の範疇にある。

生き生きとした現在進行形の音楽を、と思うならリュートなどには目もくれずギターにまっしぐらに行く事をお勧めします。本当は、ギターでもなく【筝】か【三味線】が私個人としては好み、時期を逸した。

三味線で新内流しなんかココロがとろけるよ。

本家本元「牛深ハイヤ節」 - YouTube 
ザ・わらべ ~ 松 ~ - YouTube 

こういうのを見るとリュートなどやっているのが馬鹿らしくなる。日本の庶民のエネルギーと洒脱、和楽や日本舞踊の美と品が好きだ。

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