『私は●●○○である』と【考える】のは顕在意識の世界である。あらゆる事柄を言語化しようとキチガイのようになる愚かな耶蘇教の世界である。
しかしその奥に【かくすれば かくなるものと知りながら 止むにやまれぬ大和魂】と言う世界、もっと分かりやすく言えば【なぜかはわからないけど大好き!】と言う世界がある。個人的な潜在無意識の世界であり本人も気がついていない。しかしその機微を清少納言は【胸少しつぶれて】と言う表現で言っている。
・・・大学教養部の時、哲学の教授が『こんなアホで幼稚な考えはない』と舌鋒鋭く講義したが今にして思えば必然的に反国家思想に染まるようにしようとの目論見だったな。
しかしまだその奥に集合無意識と言う領域がある。あなたと私は一面識もなく生まれも育ちも別世界だが【日本人としてのココロ】が共通にある。しかもそれは言語化出来ない、出来ないがある事象に遭遇すると同じ反応をする。
かねて思うが、ひきこもりは多分本人にも言語化出来ない。言語化出来ないし他人には了解不能である。このような世界は【悪魔祓い】の世界である。こう言うと『この宇宙ロケットが飛ぶ開明の世の中に何を馬鹿な事を・・』と蔑む愚か者が殆どだが、そういう点では安倍晴明の古代の方が洞察力があった。
思うに、日本と言う国を一つの人として考えるならひきこもりなる症状はその一番奥の集合無意識領域が病んでいる、もっと有体に言えば何者かにイタズラされている。その苦痛の見える症状だろう。
すると最近記載した雲上姫の場合も似たようなもので【悪魔祓い】をしなければならない範疇の事象と見る。
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