大学一年の時、友人が”オマエこれ見て見ろ”と薄っぺらい冊子を投げてよこした。”御国のこのよい便りは全ての人々に述べ伝えられるでしょう”と言う文字が目に飛び込んだ。英文直訳の奇妙な文章が並んでいた。しばらくして”オマエこれ買わんか”と言って”失楽園から復楽園”と言う書籍を見せられた、買った、読んだ、ワナに落ちた、そして忘れた”
カイシャに入って十年ばかりした頃、昼休みに聖者のような話をしている者が居た。知らぬ顔をして聞いているとどうも聖書の話だ。よせばよかったのだが私はそれに茶々を入れた。これで見事に釣り針にひっかかったというわけだ。シューカイ(集会)なるものに連れて行かれた。そしたらそこにチョーロー(長老)なる人が居た。品のいい、理非曲直を弁えた立派な老人であった。さらに暫くするうちにその人が旧海軍の軍人、電子技術方面の少佐で終戦復員、の人であることを知った。
子供の頃から軍人さん、海軍さん、と陸海軍将校が完全無欠の立派な人々との刷り込みを受けていたのでコロリと参ってしまった。こんな人が居る宗教団体ならば間違ってもウソではあるまい、と猜疑心の強さが裏目に出て苦も無く落ちた。
実際のところそれは立派な人であった。真剣に探求していた。存命であられれば今でも対面してお話ししたい。ものみの塔聖書冊子協会に属してはいたがその欺瞞に薄々気がついていた、気着いていたがそれを論破することが出来ないでいた。多分如何なるカルトでもそこで言われている”死”を覚悟して飛び出さなければ欺瞞を論破できない。
しかし、私は奇妙な違和感を持っていた。ものみの塔協会から毎月出て来る冊子や年に数回出る書籍、そして集会なるところでの”雰囲気”が聖書を読んでいて感じる”雰囲気”と非常に違う、言葉や論理構成は似ているのだが”全体から立ち上る気”は随分違う、一方は辛気臭い、一方は大きな安堵感がある、そんな感じがしていた。そこで野外伝道に出た時などは仮に仲間と並んでいても心はいつも全能の神に・・・例えば”この草原の輝きは美しいですね”とか”この林の木漏れ日、わたる風の涼しさ、ここにあなたの姿を見ます(まあ、気障だが)”などと呟いていた。そして違和感が閾値に達した時に飛び降りた。
私はその二十余年と息子への被害を今は余り後悔していない。どうもそれは必然であった、現在と未来への、まだ明確には判らないが”準備の為に神が仕組んだ”何かであったのではないかと考えている。
カイシャに入って十年ばかりした頃、昼休みに聖者のような話をしている者が居た。知らぬ顔をして聞いているとどうも聖書の話だ。よせばよかったのだが私はそれに茶々を入れた。これで見事に釣り針にひっかかったというわけだ。シューカイ(集会)なるものに連れて行かれた。そしたらそこにチョーロー(長老)なる人が居た。品のいい、理非曲直を弁えた立派な老人であった。さらに暫くするうちにその人が旧海軍の軍人、電子技術方面の少佐で終戦復員、の人であることを知った。
子供の頃から軍人さん、海軍さん、と陸海軍将校が完全無欠の立派な人々との刷り込みを受けていたのでコロリと参ってしまった。こんな人が居る宗教団体ならば間違ってもウソではあるまい、と猜疑心の強さが裏目に出て苦も無く落ちた。
実際のところそれは立派な人であった。真剣に探求していた。存命であられれば今でも対面してお話ししたい。ものみの塔聖書冊子協会に属してはいたがその欺瞞に薄々気がついていた、気着いていたがそれを論破することが出来ないでいた。多分如何なるカルトでもそこで言われている”死”を覚悟して飛び出さなければ欺瞞を論破できない。
しかし、私は奇妙な違和感を持っていた。ものみの塔協会から毎月出て来る冊子や年に数回出る書籍、そして集会なるところでの”雰囲気”が聖書を読んでいて感じる”雰囲気”と非常に違う、言葉や論理構成は似ているのだが”全体から立ち上る気”は随分違う、一方は辛気臭い、一方は大きな安堵感がある、そんな感じがしていた。そこで野外伝道に出た時などは仮に仲間と並んでいても心はいつも全能の神に・・・例えば”この草原の輝きは美しいですね”とか”この林の木漏れ日、わたる風の涼しさ、ここにあなたの姿を見ます(まあ、気障だが)”などと呟いていた。そして違和感が閾値に達した時に飛び降りた。
私はその二十余年と息子への被害を今は余り後悔していない。どうもそれは必然であった、現在と未来への、まだ明確には判らないが”準備の為に神が仕組んだ”何かであったのではないかと考えている。
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