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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

精神学協会 光文書

2016年05月02日 16時51分56秒 | 日記
 読んで考え込んでいる。かなり集中力が要る、疲れる。何故読んでいるかと言うと聖書が我々の地上世界を銀河系の中心から見て居るように描いているとすれば光文書は太陽から見ている風に詳説していると思うからだ。

 キリスト教文明の終焉については聖書も暗示している。さらにその後について聖書は『神、人と共に在り』と象徴的に述べているが光文書では具体的にキリスト教世界発祥民主主義、資本主義の崩壊の後、異質の体系によって世界の再建、再構築に寄与するのは日本であるとの趣旨が述べられている・・・同感である。

 そしてその根底にあるのが他の全ての言語と全く異質の言語である日本語の力によって導き出される創造性と言っているようだ。これにも賛成である。『言霊』と言う概念は日本以外にはない。『天津祝詞』は人間が読めば何を言っているか判るがそれが宇宙に向かって放たれるともっと壮大な言霊となって全宇宙に響き渡る。『ありがとう』は記憶に依れば小林正観氏の解説から察するに人間界では感謝の詞であるが言霊としては悪因縁解除の呪文である。

 最も注目しているのは滅びゆく者共は何とかして日本を自分たちと同じ世界に引き戻して大東亜戦争の二の舞をさせようとしているが乗ってはならない、葦原中津国・・・人間界より高次の神界に近い立ち位置・・・に次元上昇を目指さなければならないとの論旨である。

 そのように思う。実際、伊勢神宮式年遷宮の様子を見ていると『神と人とが共にある』とはこういうことではなかろうか?と思うし、『統治の観念』がない、事に気が着く。あるのは『公【おおやけ】』の観念によって人々が自発的に生きて居る姿である。

 日本人が『拝金教』なる宗教に冒されない事を切望している。


参照ウェブサイト:生きる力 " ゲンマイ "