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夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

真夜中にやって来る魔

2016年05月01日 04時44分36秒 | 日記
 純朴も矜持も品位も美学も慎ましさも失い、大陸亜人、半島亜人、白色蛮人、並に成り下がった日本人、その回復はあるだろうか?どうすれば・・・? ネット空間に己の調理場のナベの中を開陳する、その自己満足の品格の無さが解らなくなっている。自己主張のみで人の心を慮る懐の深さを失っている。女賢しうして国滅ぶ。棺桶に片脚突っ込むまでは己の人生の価値は見えないと言う事を解る男が居なくなった。

 私はハズレモンの一生を送った。親を追い出し、足蹴にし、その期待を裏切り、嘆かせ、泣かせ、職を転々とし、妻に何もしてやらなかった。長男を崖から突き落とした。腎臓を傷めて多分状況は棺桶に片脚突っ込んでいる。この時点で薄々見えるものがある。私は何かを『探し』まわったのだ。有体に言えば『愛』を探し回ったのだろう・・・得られなかった、諦めた。その諦めた処に自己の完成を見つけたかもしれない。・・・・支離滅裂。妻に言わせれば破滅型人格。

 魔物が私を唆す・・・蒸発しないか、三波春夫のチャンチキおけさみたいな生活はどうだ、と。 天山南路をあてもなく歩く自分を想像する、パンパを歩く、ある日高い崖に昇って滔々と流れる川を見る、アンデスの上に瞬く星を見る、銀河鉄道で果てもない旅をする、そんなことを夢見る。

真夜中にやって来る鬼

2016年05月01日 04時18分28秒 | 日記
 いつも丑三つ時に目覚める。『少しは優しくして頂戴よ』と言った母の声をさっきから聞いている。放置されたまま死の床にある父を考える。25歳の或る日、突然発火した怒りの焔は一生燃え盛って老境に入った今、漸く鎮火しようとしている。

 母をあのような人にしたのは母の両親だ。『お父さん居る?』『居る?』と学校から帰った、勤めから戻った、母はいつも弟たちに聞いた、確認した。祖父はいつもいつも雷鳴の轟くような声で母を怒鳴りつけた、己の何だか理由が解らない怒りのはけ口として・・・。祖母は母に『道徳』を教えた。母にとって人生は苦痛であるのが当然の事となった。

 父はその欲望の赴くままに母をオモチャにした。母の心はどこに向かったか・・・私である。私は母にとって唯一の慰め、唯一の希望、唯一の拠りどころ、気の毒な母。しかしそれを明確に意識したのはごく最近、亡くなって30年過ぎてからであった。母は私を失いたくなかった。私をかどわかそうとする女たちを嫌った、私の怒りは燃え上がった、母をそのようにした父を憎んだ、私は父を執拗に苛めた。父から『到らなかった』の一言を聞きたくて一生かけた。

聖域

2016年05月01日 03時35分28秒 | 日記
 人は誰でもその心に『聖域』を持って居る。そこに手を突っ込まれる、踏み込まれる時、相手が親であっても『敵意』が沸き起こる。それは『衝動』であって本人も理由がよく解らない。その敵意を解消せんが為に宗教書を読む者が居る、宗教団体に入る者が居る、オートバイで暴走する者が居る、動物を虐待する者が居る、実際に親を殺す者が居る、反社会的行動に走る者が居る、反政府活動に加わる者が居る、非常識に生きる者が居る。状況は異なっても親に眉をひそめさせ限りない不安の泥沼に引きずり落とす行為である。

 あなたは私を『愛して』居るのか?と彼は『泣いて問うている』のだ・・・実態は。しかしその『問うているのである』、と言う事さえ彼は判っていない。多くの人々が愛を識らない。キリスト教文明に毒された日本人は『議』を言う事に狎れ、天地に信頼する『放下』を忘れた。あらゆる事柄に議を言い、屁理屈をこねる習性は『魔』を幻出し、その在りもしない魔から己を護ろうとして防御を固めた。

 鎧を着けた親の懐に子供は裸で飛び込むことが出来ない、・・・諦めて距離を置くようになった。鎧を脱いで欲しい、と衝動が湧き上がるがそれを言語化出来ない、彼の衝動は不可解な行動に出る。宗教もまた引き籠りの場である。実体のある部屋にひきこもるか、実体はない観念に閉じこもるかの違いだけであってひきこもりは同じである。同じであって『人間社会に対する不信と敵意』の無意識の表明である。且つそれは『人間社会を家庭に於いて具現している【親】』に向けられる。


 親が人間社会に不信と敵意を持って居る限り、如何なる形であれひきこもりは解消されない。

トンボ釣り 今日はどこまで 行ったやら (加賀千代女)・・・・これが愛である。

知的な愛は・・・世間には鬼が居る、と言う。