中台直行便の位置づけに関し、海峡交流基金会次期薫事長の江丙坤・KMT副主席は「『両岸便』として主権問題は棚上げにすればよい」(朝日)という考えを示していますが、私自身にとっても台湾便は「特殊航路」と言えるかもしれません。東京みたいに突然思い立って出かけるという訳にはいかないが、 さりとて欧米便みたいな長時間フライトへの「覚悟」や「気合い」も不要という塩梅で、何ともヌルい感じです。極論すれば、パスポートと現金さえあればドタバタ出かけて行っても何とかなる感じではありますね。
そんな調子で06年の11月、花蓮市の宿に投宿後、薬局にぶらぶらコンタクトの保存水を買いに出歩いていたのですが、たまたま〝旧同胞〟のお婆さんと店内で歓談し、ご自宅でお茶をご馳走になりました。店の主人が「日本人がふらふら花蓮にやってきているよ・・・・」といった感じでお婆さんを促してくれたのが端緒でしたが、日本でおなじみの薬類が居並ぶ店内にも驚いた記憶があります。
戦前は日本人比率が高かったせいか、どことなく懐かしい風情が漂う街ですね。
北濱の〝旧同胞〟宅は日本時代の家屋とのことでしたが、昨年は佐賀から同級生がやってきて泊まっていったとのことでした。前年の台風で壁の一部が壊れ、修復するための木材の入手は難儀されたそうです。台湾式の仏壇等も物珍しかったのですが、個人宅ですので室内写真の掲示は自主規制・・・・
あれこれ雑談しておりましたら、台風で正面入り口が開かなくなったとのことでしたので、ちょっと見てみることにしました。鍵をバラしてみると内部が一部腐食していましたが、普段は台北市の国父記念館近くで息子さんと同居されており、花蓮へはたまに戻る程度との由。なるほどそのせいかと合点がいったのですが、台北市の国聯大飯店至近にお住まいとは「台北勝ち組ライフ」かもしれません。御歳78歳とのことでしたが、株の売買もされているという話にはビックリ!
(05年2月)
夜は南濱夜市に足を運んでみたのですが、前回訪問時に比べなんかショボい。「あぁ、屋根が無くなっちゃってるね・・・・」とこれも台風の爪跡だなと察せられましたが。
『地球の歩き方』には「暗いところもあるので注意」と記されていますが、これはコケないように気をつけろ、と解すべきでしょう。(LAのダウンタウンで同様の記載があれば、当然「犯罪多発地域」という意味ですが・・・・)海岸では打ち上げ花火やっている若者も大勢いて、清清しい感じです。
花蓮は二度目でしたが、旧駅前のロータリーは噴水が整備されていましたね。中正路では昔の軽便鉄道の跡が散歩道となっているようですが、怪しい日本語説明も見受けられ、歴史の一端がうかがえます。
次回訪問したら、4/9で訪問率約44%ということになりますが、個人的に何かと心惹かれる街ですね。
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