◆亡き人に思い込め灯籠流し 12日で日航機墜落事故から20年(産経)
20年前の今日8月12日、524人の乗客・乗員を乗せたJAL123便が夕刻の御巣鷹の尾根に墜落しました。
あの坂本九さんを初め520名の尊い人命が犠牲になった「日航ジャンボ機墜落事件」は当時中学生だった小生にも大変衝撃的であり、絶望的な状況の中、人々がどんな思いで家族に「遺書」を走り書きしたのだろうかと思うと今でも心が痛みます。
首都高速で羽田に向かうと、大井南の辺りで渋滞につかまることが多いのですが、いつだか新橋からタクシーに乗っておりましたら、
『大阪便に急いでいるお客様をやはり新橋からお乗せして、何とかここの渋滞をクリアして「何とか間に合いそうですよ。よかったですねぇ」何てお話したのがあの日航ジャンボ機で・・・・人の運命と申しますか、何か善意が仇になったようで』
と運転手さんが淡々と話されたことがあります。
御巣鷹の大惨事から20年の今年、空の安全に危惧を抱くような事件が多発しています。改めて関係者には強い自省を促したいものですね。
◆『台湾紀行』の「老台北」 蔡氏ら靖国参拝(産経)
蔡焜燦(さいこんさん)氏については以前書いたことがありましたが、台湾研究会/福岡李登輝友の会局長のN氏によると、仕事で急に訪台した時でも、「君は忍者みたいに台北に現れるな」と冷やかしつつも時間を割いてくださるのだそうです。「君が明日台北に行くからと私が連絡しても多分同じだろう」とも氏はおっしゃってましたが、まぁ、それほどまでに有難い(逆に言えば申し訳ない)ような台湾の旧同胞であります。
氏は奈良航空教育隊に入校し、整備兵として教練を受け、終戦後台湾に戻られたのですが、『台湾人と日本精神』には終戦直後の混乱、その最中に鉄道と船を乗り継ぎ台湾に帰国される様が克明に記されており、一読の価値ありです。
氏は台湾の民主化後「台湾少飛会」を結成し、会長を務めてきたそうですが、昨年日本の少飛会が会員の高齢化から解散したことを受けて台湾少飛会も今月十五日に解散することとなったのだそうです。今回はそれを受けて靖国神社に昇殿参拝、台湾出身の元日本兵二万二千余人に追悼の誠をささげ、戦友らに会の解散を報告し、参拝後、同神社に会旗を奉納されました。
戦後60年、戦争体験を持つ方の高齢化という現実がここにもあります。産経の記事には「台湾出身の元日本兵としての戦後に一つの区切りをつけた」とありますが、当時の日本のために犠牲となった台湾の旧同胞に改めて追悼の意を表すると共に、「本当にお疲れ様でした。そして有難うございました」と頭を垂れる思いです。
参拝された時の様子は、日本李登輝友の会のメルマガでも紹介されています。ちょっと氏の健康状態について気掛かりな話も聞いておりますので、「今日の参拝を心待ちにしていた。くたばってもいいという気持で参りました」という言葉が引っ掛かるのですが・・・・
靖国神社の大鳥居の檜は台湾の阿里山のものであり、日本と台湾の繋がりを感じます。靖国に関しては内外から喧々諤々の議論が沸き起こっておりますが、この「台湾少年飛行隊」の純粋な追悼行為を「軍国主義礼賛」と曲解する人がいるなら(いるでしょうけど・・・・)およそ信じがたい思いがいたします。李登輝前総統も産経新聞とのインタビューで、「他国が靖国神社をうんぬんする資格はない」と仰っていますけどね・・・・
「戦争は罪悪である。如何なる問題にしろ、その解決を戦争という手段(に委ねるの)は愚かな事である・・・・だが戦争の是非善悪と、戦場で戦う青年の崇高な愛国心は全く別のものである・・・・祖国に命を捧げた将兵の心まで愚弄し否定する風潮は、天に唾するようなものだ」
という歩兵第二百十一連隊の『戦記』に関して、蔡焜燦(さいこんさん)氏は、
「僕は命ある限り、日本の軍歌を歌いながら戦争に反対するよ」
とコメントされています。
※写真・・・・花蓮駅前に展示されている蒸気機関車
これまた台湾に遺った「日本」ですねぇ・・・・
都内には他にも台湾との縁を感じさせる場所が多々あるようです。
20年前の今日8月12日、524人の乗客・乗員を乗せたJAL123便が夕刻の御巣鷹の尾根に墜落しました。
あの坂本九さんを初め520名の尊い人命が犠牲になった「日航ジャンボ機墜落事件」は当時中学生だった小生にも大変衝撃的であり、絶望的な状況の中、人々がどんな思いで家族に「遺書」を走り書きしたのだろうかと思うと今でも心が痛みます。
首都高速で羽田に向かうと、大井南の辺りで渋滞につかまることが多いのですが、いつだか新橋からタクシーに乗っておりましたら、
『大阪便に急いでいるお客様をやはり新橋からお乗せして、何とかここの渋滞をクリアして「何とか間に合いそうですよ。よかったですねぇ」何てお話したのがあの日航ジャンボ機で・・・・人の運命と申しますか、何か善意が仇になったようで』
と運転手さんが淡々と話されたことがあります。
御巣鷹の大惨事から20年の今年、空の安全に危惧を抱くような事件が多発しています。改めて関係者には強い自省を促したいものですね。
◆『台湾紀行』の「老台北」 蔡氏ら靖国参拝(産経)
蔡焜燦(さいこんさん)氏については以前書いたことがありましたが、台湾研究会/福岡李登輝友の会局長のN氏によると、仕事で急に訪台した時でも、「君は忍者みたいに台北に現れるな」と冷やかしつつも時間を割いてくださるのだそうです。「君が明日台北に行くからと私が連絡しても多分同じだろう」とも氏はおっしゃってましたが、まぁ、それほどまでに有難い(逆に言えば申し訳ない)ような台湾の旧同胞であります。
氏は奈良航空教育隊に入校し、整備兵として教練を受け、終戦後台湾に戻られたのですが、『台湾人と日本精神』には終戦直後の混乱、その最中に鉄道と船を乗り継ぎ台湾に帰国される様が克明に記されており、一読の価値ありです。
氏は台湾の民主化後「台湾少飛会」を結成し、会長を務めてきたそうですが、昨年日本の少飛会が会員の高齢化から解散したことを受けて台湾少飛会も今月十五日に解散することとなったのだそうです。今回はそれを受けて靖国神社に昇殿参拝、台湾出身の元日本兵二万二千余人に追悼の誠をささげ、戦友らに会の解散を報告し、参拝後、同神社に会旗を奉納されました。
戦後60年、戦争体験を持つ方の高齢化という現実がここにもあります。産経の記事には「台湾出身の元日本兵としての戦後に一つの区切りをつけた」とありますが、当時の日本のために犠牲となった台湾の旧同胞に改めて追悼の意を表すると共に、「本当にお疲れ様でした。そして有難うございました」と頭を垂れる思いです。
参拝された時の様子は、日本李登輝友の会のメルマガでも紹介されています。ちょっと氏の健康状態について気掛かりな話も聞いておりますので、「今日の参拝を心待ちにしていた。くたばってもいいという気持で参りました」という言葉が引っ掛かるのですが・・・・
靖国神社の大鳥居の檜は台湾の阿里山のものであり、日本と台湾の繋がりを感じます。靖国に関しては内外から喧々諤々の議論が沸き起こっておりますが、この「台湾少年飛行隊」の純粋な追悼行為を「軍国主義礼賛」と曲解する人がいるなら(いるでしょうけど・・・・)およそ信じがたい思いがいたします。李登輝前総統も産経新聞とのインタビューで、「他国が靖国神社をうんぬんする資格はない」と仰っていますけどね・・・・
「戦争は罪悪である。如何なる問題にしろ、その解決を戦争という手段(に委ねるの)は愚かな事である・・・・だが戦争の是非善悪と、戦場で戦う青年の崇高な愛国心は全く別のものである・・・・祖国に命を捧げた将兵の心まで愚弄し否定する風潮は、天に唾するようなものだ」
という歩兵第二百十一連隊の『戦記』に関して、蔡焜燦(さいこんさん)氏は、
「僕は命ある限り、日本の軍歌を歌いながら戦争に反対するよ」
とコメントされています。
※写真・・・・花蓮駅前に展示されている蒸気機関車
これまた台湾に遺った「日本」ですねぇ・・・・
都内には他にも台湾との縁を感じさせる場所が多々あるようです。
今日チャンネル桜のVTRで蔡氏の靖国参拝をちょうど見たところでした。
日本語は達者だし、精神はまさに日本軍人そのもの。
靖国神社で参拝後、靖国の歌を歌ってくれました。
日本を理解してくれる氏の言動に感謝したいと思います。
今日も・・不眠症?ウソでも朝早く覚醒・・
小泉首相は、靖国参拝15日前後は避けるそうです中韓より公明へ政治的配慮・・
>蔡焜燦(さいこんさん)氏は、
>「僕は命ある限り、日本の軍歌を歌いながら戦争に反対する
>よ」
・・これを聞かせてあげましょう
トラックバックありがとうございました。
靖国神社には、日本軍兵士として戦地へ赴いた台湾人、朝鮮人の方々も眠っていらっしゃるのですよね。本当に、ただただ頭を垂れるばかりです。
国民のだれもが英霊に感謝し、ごく当たり前に参拝する国に、1日も早くなってもらいたいと思います。