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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「正月、いらないよね」

2015-12-30 23:12:15 | つぶやき

 「正月、いらないよね」、とはこの年末何人かと交わした言葉だ。けっこうわたしと同じ思いの人がいることを知った。年々正月感が薄らぐ年末を迎えるようになり、心中、正月が障壁にもなりかけている。とりわけ今年は休みが短い。掃除はもちろんのこと、いわゆる新年を迎える準備もままならない。このところ年内に書き終えていた年賀状も、まったく眼中にない状況だ。9月末に入院した母は、そのまま老健に入所し、まもなく3ヶ月。老健(介護老人保健施設)は、「介護を必要とする高齢者の自立を支援し、家庭への復帰を目指すために、医師による医学的管理の下、看護・介護といったケアはもとより、作業療法士や理学療法士等によるリハビリテーション、また、栄養管理・食事・入浴などの日常サービスまで併せて提供する施設」だという。家庭へ復帰するためのリハビリ施設と考えていたのは浅はかで、まったく帰れそうもない。もちろん自分のことは自分でするようにという意識が高いため、退院時にくらべればすっかり元通りになった感じだ。しかし、自宅で時折気を失って倒れるという症状があったため、元通りになってもなかなか兄たちの納得できる状態まで戻らない。故にこの正月も帰宅することもできず、老健で正月を迎える。「うちに来るか、」と母に言ったが、もともと「家に帰りたい」と言っていたから我が家では帰ったことにはならない。気を使ってか「ここでいい、」と言うが、こころの中では帰りたいに決まっている。「日帰りで来るか、」と元旦に我が家に外出する計画を立てた矢先、妻の父母が揃って入院。休日の並びで「今年は帰らない」と言っていた息子が急きょ里帰りするほど、慌ただしい年末を迎えた。ということで母を迎えることもできず、「正月どころじゃない」のが本音だ。加えて公私ともにいろいろ積まれた課題が多い上に、ほぼ2年ほど整理できなかった書斎はゴミ屋敷のよう。年末年始の挨拶など到底できるような状況ではないのだ。正月を「厄介」と思うのは自然だ。これでは良い年などやってくるはずもない。

 老健の入所者を見ていると、この3ヶ月間ほとんど顔が入れ替わらない。ようはここに入っている人たちに「家庭への復帰を目指」しているという雰囲気がない。3ヶ月が期限というが、何らかの手続きで延長できるようだ。家に帰った時のことを想定している母を見ていて、どうなんだろうと考えてしまう。「家庭への復帰を目指」しているというのだから、年末年始は自宅に帰る人が多いのだろうと想定していたら、そうでもない。まるで姨捨山のようなところなんだと、最近気がついた。

 そうはいっても正月はやってきて、数日後には変わらぬ日常に戻る。あれも、これも、などというわけにはいかないわけで、諦めが「一番」そう思う年の瀬である。


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-01-01 21:03:17
要はあんたが
正月準備が出来る気分や環境ではないが
強制的にそれは来る。

心理的負担の話じゃねえか。
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Unknown (trx_45)
2016-01-02 16:22:50
まあ、そういうことです。だから・・・・?
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