生き物を石碑に刻む例は多い。県内の典型的な生き物といえば「馬」。ようは馬頭観音の頭上に馬の顔らしきものが刻まれる。それに限らず、じっさいの馬を浮き彫りにする馬頭観音も稀にある。馬が家族同様の働きをして、欠かせない生き物だったからこその存在なのだが、このほか「牛」が「馬」に代わったものもある。例としては「馬」にくらべたらまったく少ないが、牛頭観音なるものもある。「牛」も「馬」に代わる存在だから、例が多くても珍しいわけではないが、時代性もあいまって「牛」が彫られた例は少ない。
「馬」以外に石に彫られたものはないか、そう捉えると「猫」でろうか。「猫」については以前にも何回か触れた。これも例は少ないが、伊那谷にでは時おり見ることがある。ネズミを捕る、そういう意図で養蚕の神様として祀られることもあるが、直接的にその関係を探れる例はあまりない。養蚕といえば「馬」に跨る女神が彫られる例も稀に見る。これも伊那谷の事例だ。
こうして見てくると「馬」以外で石(信仰の石)に刻まれる例はとても少ないと言える。付属物としては青面金剛に刻まれる「猿」や「鶏」というものもあるが、生き物が主神となって表現される例は少ない。そんななか、伊那谷に特徴的に多く見られるのが「蛇」である。竹入弘元氏は『伊那谷の石仏』(伊那毎日新聞社 昭和51年)の中で「蛇を祀った塔」について触れている。「これは一体何の祈願或いは供養のための造立でしょうか。蛇を見たら殺さないではいられないという人が多い。それは恐怖心の表れだといいますが、蛇はどこから見ても気持の良いものではない。願主が男と女。すると蛇も男と女を表すか。何か男女間のどろどろした血みどろの、もつれ合った、執念深い怨念に抜きさしならなくなっている関係を感ずるのですが。実際建立動機は何だったでしょうか。」と。ここで紹介しているのは伊那市山寺の上村にあるもので、蛇2匹が同じ方向に絡まったようにとぐろを巻いている像。昭和2年に建てられたもので、「願主 寅年男戌年女」とある。竹入氏は建立動機の判っている蛇神も紹介している。たとえば飯島町田切追引の「巳神」は、大蛇を殺傷したところ病床に伏したため、行者が祭祀したものという。蛇を殺してその祟りを恐れて祀る、やはり蛇は容易ならぬもの、ということになるだろうか。先ごろ「蛇神」のとこについて触れたが、言い伝えから求めれば、やはり祟りを恐れてのものだったよう。
さて、先日紹介した旧長谷村黒河内の入り口の二十二夜塔の近く、北寄りに伊那市内へ行ったところの道端にも石碑がたくさん並んでいる。とりわけ碑高にして30センチほどのものが勢ぞろいしている石碑群を見ると、よくぞ同じ大きさの物を並べたものだと感心してしまう。その中に「蛇霊神」と刻まれたものもあるし、蛇を浮き彫りした石碑もある。単純で稚拙さのうかがえる蛇像が多いなか、この像はかなり本物の蛇を意識した彫りである。
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