Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

振りマンド

2017-08-16 23:39:29 | 民俗学

田畑 迎えマンド(平成2年8月13日)

 

 「今日は送りマンドを焚かなければ」、そういって同僚たちが家に帰っていった。それを聞いていた北信からやってきている同僚たちが「なんだそれ」となった。いわゆる送り火のことであるが、上戸(あがっと)の同僚は、伊那では麦からを束ねてマンド(万灯)を振り回すと応える。すると須坂から来ている同僚は、そういえば「昨日も天竜川の向こうでそんなようなものをやっていた」と言う。その話を聞くまでその同僚は「暴走族でも集会をしているんじゃないか」、そう思ったという。彼は喫煙のため屋上からそれを見ていたという。比較的街なかでのこと。伊那市を中心に「マンド」と言って火を振る行事が意外と今でもあちこちで行われていることが、あらためてこの会話からうかがえる。伝統的な民俗芸能を含め、年中行事も多様に残存している下伊那に比較すると、新聞記事を見ているだけでも上伊那エリアの新聞の記事にはそうした話題が「載らない」と気づく。ところが盆が近づくと俄かに伝統的な行事を知らせる記事が踊る。とりわけマンドに関する記事が目立ち、広範に行われていることがわかる。今年の盆は仕事が忙しくて、とてもそれらを調べて歩く、とはいかなかったが、どの程度行われているかいずれ調べてみたいとは思っている。

 「長野日報」という上伊那エリアを対象にした新聞に掲載された、マンドの記事をいくつか拾ってみよう。5日の日に「田畑まんどの会」によって「まんど作り」をしたという記事が掲載されたのは10日だった。南箕輪村田畑の振りマンドのことは、「間もなく盆」で触れた。麦を作らなくなってマンドにする麦からはよそから調達していたというが、近年は地元で調達しようと子どもたちが地区内の田んぼに大麦を育てて収穫するようになったという。世話をしている「田畑まんどの会」は一昨年に立ち上げたという。こうしたマンドを実際に振るのは迎え盆の13日。冒頭に触れたように、このほか送り火をする16日や、間の14、15日にも振るところはあるようだ。迎え盆にマンドが振られたという記事は14日の新聞に掲載された。“先祖迎える「振り万灯」”という見出しである。記事では南箕輪村大泉における振りマンドを報じている。大泉では区内を流れる大泉川の堤防で行ったようで、30分ほどで200個ものマンドを燃やしたという。

 さて、送りマンドをすると言って帰宅した同僚によると、同じ伊那市内ではあるが、前述したような振りマンドをしたことはないという。マンドといえばいわゆる迎え火、送り火のことを指す。そして間の日に焚く火はご馳走マンドと言ったという。今でも新仏がある年は市内美篶の六道の森に仏様を迎えに行くという。六道まで迎えに行くのはその1年だけだという。ふだんはお墓から迎えていて、送り盆にはお墓へ「送っていく」らしい。三峰川に近いだけに、川へ送りに行ったのではないかと思ったが、川へ送るということは聞いたことがなかったという。比較的川端を中心に振りマンドが継続されており、火をつけた麦からを振りやすい、という環境もあるかもしれない。

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