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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

今年も「獅子切り」其の4 (五十鈴神社獅子練りから・前編)

2015-09-24 23:44:47 | 民俗学

今年も「獅子切り」其の3より

 

 『駒ヶ根市誌』現代編下巻(駒ヶ根市誌刊行会 昭和49年)には「大宮五十鈴神社もほぼ同じである」と書かれているのは、獅子練りのことである。ここで「同じ」と言われているのは、大御食神社のものである。大御食神社同様、五十鈴神社の獅子練りを訪れたのは昭和時代の終わりのこと。うる覚えであるが、確かに「同じ」ような印象を抱いていたし、ちょうどそのころ塩澤一郎氏がまつり同好会の『まつり通信』307号(昭和61年)へ「駒ヶ根の獅子練り」を報告していて、その冒頭にも「その獅子練りはほぼ同じであるが、それぞれの地区にある面は異なり、しかも舞・笛・獅子練り等若干異なるが、あまりこまかいことは省略していきたい」と書かれている。ようは細かく見れば違うところはたくさんあるが、「ほぼ同じ」とも受け取れる。わたしの記憶の中でも大御食神社のものほど大規模ではないが、それに近い大掛かりな獅子練りという印象があった。

 昨日(五十鈴神社の祭典は毎年9月23日)、その五十鈴神社の獅子練りにも足を運んでみた。いわゆる明確に「獅子切り」と表現している所作が獅子舞に付属している3例(大御食神社・五十鈴神社・梅戸神社)のうちのひとつである。以前訪れた際には上穂町が年番だったようで、五十鈴神社下の交差点から中割の方に入った、集落内の道で練りを行っていた。しかし、今年は五十鈴神社から南方の中割と南割が年番ということで、地元集落内での獅子練りは行われなかった。聞くところによると、練習の総仕上げとして先ごろ地元で披露したとのこと。ということでこの日の獅子練りは、五十鈴神社下の交差点から社殿までの間のみで行われた。獅子練り開始も午後4時ということで、宵祭り1日をかけて獅子の練りを行なう大御食神社に比べると、ずいぶん小規模な獅子練りであることは言うまでもない。「ほぼ同じ」とはとても言い切れない内容であることは、練りの構成からもうかがえる。

 中割と南割が年番の今年の練りは、次のような構成であった。

神社総代(ほかの年番耕地の総代も含む)
鍾馗
天狗
鬼(赤・青)
キツネ(2)
獅子招き(オカメ 2)
獅子切り(2)
獅子
太鼓

順不同に潮吹き(2)

見ての通り、行列に加わる人数は少数であり、さらに大御食神社との大きな違いは、行列に子どもが加わらないことだ。大御食神社の練りに限らず、獅子招きを伴う練り獅子は下伊那北部から上伊那にかけて分布する。それらのほとんどが子どもが担っているが、ここではおとな(青年)なのである。もちろんかつての捉え方でいけば、現在なら子どもと捉えられがちな年齢も一人前の一人として扱われていた可能性は高いが…。この人数であるから、練り行列の長さも短く、先頭から最後尾まで50メートルほどといったところで、300メートル規模の大御食神社のそれとはずいぶん雰囲気が違う。おそらく年番耕地によっても異なるのだろうが、中割南割年番から見える獅子練りではそう感じた。これら構成に加えて、もちろん高張提灯や高張燈籠が要所に加わっているし、ここでは獅子練りの一行を警護するように、周囲を綱で囲うように獅子引き風にバリケード(トラロープ)が張られ、この綱の前方は小さな子ども達が担っている。唯一子ども達に託された部分である。なお、写真は大鳥居から境内に入ってからのもので、ここではそうした綱は張られておらず、子どもの姿はない。また総代衆の後方に、すでに獅子の屋台が見えており、獅子前方の余興とも言える付き物が少ないことが解る。

続く


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