goo blog サービス終了のお知らせ 

Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ゴマダラチョウ

2016-05-23 23:31:22 | 自然から学ぶ

 

 

 犬の糞を取る箕の中に、比較的大きなチョウが止まっていた。もちろん糞を目当てにやってきたよう。これまで我が家では確認したことのなかったチョウである。「低地から丘陵地の雑木林に生息するが、成虫はそれに隣接する都市や住宅地にも姿を現すことがあり、エノキが多分にあれば都市周辺でも発生する」(ウィキペディア)というゴマダラチョウである。タテハチョウ科のチョウで、日本を含む東アジアに分布するという。文字通り黒地に白のまだら模様が特徴なことからそう呼ばれるらしい。また、ウィキペディアに「クヌギなどの幹から染み出た樹液や、カキなどの腐果、獣糞などにやって来て汁を吸う」とあるように、「獣糞」にやって来るというから、犬の糞にくるのも当然なのだろう。

 とりわけ糞に止まっているチョウは、かなり接近しても微動だにしない。それほど犬の糞は大好物、ということなのだろうか。

 ちなみに北海道では絶滅危惧II類(VU)、岩手県と鹿児島県でその他の指定を受けている。

コメント

一面枯れ葉の中にキランソウひと株

2016-04-26 23:01:14 | 自然から学ぶ

 

 45゜を超えるような斜面、とりわけ連続していると登るのも容易ではない。立木や株につかまって登るからまだなんとかなるが、何もない斜面だったら何度となく滑り落ちたことだろう。久しぶりに急斜面の山に入った。谷底から一旦尾根に登り、再び反対側の谷に下る。仕事とはいえこんな現場はめったにない。ふつうの長靴で入るには疲労が溜まるし、踏ん張りが効かなくてつらいものがある。「葉が出る前に」と思って入った現場は、すでにかなり葉が生い茂り、視野を悪くして出足を鈍らせた。もはや山の上にもすっかり春が訪れ、ワラビの伸びも良い。急斜面だからなのだろうが、倒木が多い。いわゆる根の浅いものが倒れるのだが、今は倒れた木々はそのままにされるから、ますます荒れた雰囲気が山に漂う。そんな山を登ったり降りたりを繰り返していて、さすがのわたしも「遅昼になっても現場を片付けよう」と思っていたが、疲労が溜まってしまって片付けるまでは持たず、途中に同僚と昼に向かった。

 会社まで毎朝登る坂道もそこそこ急な坂道だが、山の斜面とは違う。それでも休日後の月曜日は足が重い。しかし、火曜、水曜と日を重ねて行くとその重さはしだいに抜けていき、平地とそう変わらぬ速さで坂をパスする。そして再び休日がやってくると、翌月曜日は同じように重い足取りが蘇る。そんな繰り返しだ。

 さて、山の斜面も枯葉が地面を覆っていると、なおさら歩きづらい。そんな一面枯葉に覆われた斜面に、紫色の花が顔を出していた。グランドカバーのような丈のない小さな花である。キランソウである。ジゴクノカマノフタという別名もあるというが、それは「「病気を治して地獄の釜にふたをする」ということから」らしい。ようは薬草効果があるということだ。どうりで葉の形が薬草系のものに似ている。「牧野富太郎は「医者倒し・肥後ではセンブリをイシャダオシと言うとの事であるが、土佐では唇形科のキランソウをイシャダオシと称する。それはこの草が何かの病気によく効くために言うのであろうが、その辺は不明である」と記述していますが、民間薬として古くから各地で使用されていたことがうかがわれます」と薬用植物一覧表というページに紹介されていた。この季節、それも枯葉の中にこんな花が咲いているとちょっと足を止めたくなる。

コメント

イワツツジとコシアブラの最盛期

2016-04-22 23:23:15 | 自然から学ぶ

 

 「山作業始める」からほぼ1ヶ月続いたイワツツジ下の雑木刈りの後、それほど間をおかずにイワツツジは咲き始めた。チラホラしていた花が一斉に咲いたのは今週半ば。あっという間に咲いて今日訪れるとすでに最盛期は過ぎて葉の緑が目立つ。もはや目を奪うほどの咲きぶりは見られない。現状は2012年に記した「今年のツツジ咲く」のイメージだ。当時は4月29日。最もタイムリーに撮影できたのは、翌2013年に撮影した「イワツツジ咲く」のもので4月20日撮影のものだった。前にある柿の木の緑がほとんど目立たず、イワツツジの色が鮮やかに浮かんでいる。そのことを思うと前年のものは梅の木の緑や、ツツジの葉の緑が目立つ。ここに9日という時間差があるから当然のことなのだが、日を重ねるほどに山々の景色が変わる季節なのだと教えられる。

 今週半ばに最盛期を迎えたイワツツジの群落が、2日ほどで色あせて見えてしまうほど、変化が著しいうえに花の命が短い。たったこれだけのために1ヶ月も下草を刈っていたと思うと、ちょっと情けない事実。夕方訪れても山の影になっていてこれらの写真のようには撮影できない。午前中、それも早い時間に限って見られる景色だから、ここで寝泊まりしていないわたしには、そもそも2013年のような山の姿を拝めることはほとんどない。ヒノキ林とイワツツジの境界線に沿ってコシアブラが芽を出す。ちょうどイワツツジが最盛期を迎えるのと時を同じくして、食べごろの芽となる。また梅の木と柿の木の境界域の畦畔にはヤマウドが芽を出す。これもまたほぼ同じ時期と今年はなった。2013年の緑の少なさから判断すると、今年は1週間ほど山々が緑化するのが早いという印象だ。ずてに梅の木のある畑にはワラビがたくさん姿を見せ始めている。

 ということで、今年は山菜を採りに週半ばに出かけた際に、最盛期のイワツツジを撮ってみたが、夕方ということもあってこれが精一杯だった。もう少し風越山の背景が焼けてくれればもう少し風情があったのだが・・・。

コメント

続・2016 迎桜

2016-03-31 12:49:51 | 自然から学ぶ

石塚の桜

 

舞台桜

 

 今朝早く、会社へ向かいながらいくつかの桜の様子をうかがってきた。すでにそこそこ開花していて意外だったのが飯田市座光寺にある座光寺公民館裏手にある「石塚の桜」。しだれ桜はどちらかというと遅い方なのだが、すでに五分咲きに近いだろうか。朝陽の当たる東側はすっかり開花している。このところ後追いで桜を訪れていたが、今年は少し早めに様子をうかがっている。したがって明日、明後日の朝方は人出がそこそこあるだろうが、今日はカメラマンもちらほら。この桜、石塚一号古墳という古墳の上に咲く。いわゆるお墓に多いと言われるしだれ桜だが、まさにその原点的な桜だ。南側に古墳内への口が開いていて、石室になっている。麻績といえばこの桜よりすぐ近くにある「舞台桜」が知られているが、こちらはまだつぼみ。とはいえ、東側には開花している花もいくつか。

 

雲彩寺の桜

 

 古墳のといえば、雲彩寺古墳という古墳が飯田市上郷飯沼の雲彩寺裏手にある。寺が古墳を背負っているような感じの古墳で、現在では周囲は住宅地となっている。ここの雲彩寺の境内の桜もすっかり咲きそろっている。
 

安富桜

 

 さて、毎年触れている飯田市美術博物館の庭に咲く大きな「安富桜」この地域の桜の中ではかなり色の濃い桜である。数日前から咲き始めているようだが、だいぶ咲きほころんだ。色の濃い桜は、実は朝方より夕方の方がよりピンクが色濃い。したがって「安富桜」らしさは表現できない朝方ではあるが、まだ誰もいない中で桜を鑑賞できる。この桜の傘下にあたる場所に「青雲」という碑が立っている。この地は明治17年に長野県中学校飯田支校が移転開校され、後に飯田中学となった。そして大正15年に現在の飯田高校の地に同校が移転した後は、飯田長姫高等学校として利用された。その校舎からこの桜を見ていたはずのわたしには、当時の桜の記憶はほとんどない。そんな経歴がこの碑には記されている。

 

合庁の桜

 

夫婦桜

 

 「安富桜」からすぐにある桜が、昨日も触れた飯田合庁の桜である。もちろん昨日よりも開花は進み、隣の「夫婦桜」も東側の陽当りの良いところは咲き始めた。足早に桜色が広がっている。

コメント

2016年 迎桜

2016-03-30 12:55:30 | 自然から学ぶ

飯田合庁の桜(3/30 AM)

 

 ちょうど1年前のことだ、この桜が咲いたと記したのは。県の出先機関である飯田合同庁舎の東側にある桜の古木が咲き始めた。大宮神社からの桜並木の桜も開花宣言が昨日報道された。平年にくらべて6日、昨年より1日早いというが、印象としては昨年より今年の桜は「遅い」のかという感じだった。ということでこの桜はちょうど昨年と同じ。時期になれば、そして同じように桜は、そして自然の営みは回帰してくる。不思議なものであるが、変わらず繰り返される1年も、そのうち「今年が最後かも」と毎年思いにふける時代がやってくる。そう遠くはない。

 この桜のある場所は標高490メートルほど。飯田近辺はだいぶ春の色づきに染まり出している。ここから丘の上を下って八幡、そして川路、天竜峡と南下すると、もはや満開に近いほどに咲く桜を山肌に見る。「山肌」とは主に段丘崖のこと。谷の中では、標高差のコントラストが著しいから、まったくの平地にくらべたら、遠目にもたくさんの桜を望めるとともに、時間差が付加されるから望める期間も長い。川路の標高が378メートルくらい。ここから山間地域へ国道151号を南下していくと、桜はつぼみどころかまだ冬の色が濃い。下條村あたりでも早い桜は咲いているが、まだまだこれからだ。下條村の役場のあるあたりで、484メートル。川路よりは遥かに高いが、飯田のこの桜のあたりにくらべればほぼ同じ。役場の高さでくらべているから、周囲は山の中なのでもっと低いところがあるものの、それでも桜はまだまだだ。比較的陽当たりが良くて温暖なのに、この差がどういう理由なのかわからない。いずれにしてもこの地域の桜は「飯田から始まり」、周囲に広がっていく。

 

松川町生田嶺岳寺の桜(3/30 AM)

 

 さて、その足で松川町にある会社に届け物。すると生田福与にある嶺岳寺の桜もそこそこ咲いている。3分咲きくらいだろうか。こちらも標高490メートルくらい。飯田合庁と標高はほぼ同じなのである。なるほどとも思うが、やはり伊那谷の桜はあっちこっちで開花が始まって、随時山を駆け上っていく。昨年「続々・平成27年桜ファイル」で触れた通り、とりわけ飯田下伊那は地形との関わりが暮らしにも、自然にも関わっているから桜をキーワードに地域を描いたほうが“らしさ”が表現できると思うのだが…。

コメント

今日話題の“雨氷”

2016-01-31 23:11:29 | 自然から学ぶ

1/31 8:24

 

1/31 13:15

 

1/31 13:27

 

 雪なら中止、そういう話もしていたが、天候よく予定通り田口先生の住まわれている上田へ。いつも通り諏訪から上田へ抜けるには和田峠を通過するが、わたしの場合よほどのことがないかぎり旧道和田峠道を走る。そのつもりで下諏訪から急坂を上っていくと、旧道和田峠道は「倒木のため通行止め」だという。残念ながら510円を支払って和田トンネルを通るしかない。そしてトンネルを抜けると倒木の理由はよく解った。昨日から全国ニュースを賑わせているのは、松本市周辺の旅館やホテルの宿泊客や従業員らが孤立状態になったという件。雨が降ったあとに気温が下がって雨粒が凍結した。これを雨氷と言うらしい。雨氷による森林被害は全国的に見ても長野県がとても多いという。枝に着いた雨粒が凍った場合、枝の重さは何倍にも重くなる。よって倒木が発生するというわけだ。和田トンネルを抜けると、あたり一面雨氷状態。その景色は旧和田村の上和田のあたりまで延々と続く。新道の周辺でもお辞儀をしている木の枝が散見され、作業車が準備を始めていた。朝日があたり始めて間もないだけに、木々ばかりではない。電線や送電線にも氷が付着して、すごい様相。朝日のあたり始めたその光景は、とりあえず美しい光景と言える。もちろん写真を撮ろうとするのだが、路肩に除雪された雪が固まっていて、停車するわけにもいかない。待避所のような場所も少なく、思うような場所が見つからなかった。きっと帰るころにはこんな景色は消えてしまうのだろう、と思って諦めたのだが、午後帰路に向かい上和田を過ぎると、まだまだ雨氷状態。さすがに電線や送電線に付いていた雨氷はだいぶ消えてしまっていたが、陽の差込がいっそう効いて美しい光景を演出している。どこを見渡しても雨氷状態という光景はそうお目にかかれない。とはいえ旧道が通行止めのため、その光景をより一層堪能したいのだがかなわない。とりあえず新道沿いで車を止めて写真におさめてみた。

 聞けば今日の夕方から臨時の措置で新道和田トンネルは無料になるという。朝から通行止めになっていたのに、なぜ夕方からなのか文句を言いたいところだが、今日1日のことだから仕方ない。

コメント

今年の“紅葉”から

2015-10-30 23:07:57 | 自然から学ぶ

丸畑渓谷で

 

日吉で

 

 売木川を下って阿南町巾川へ出る道を、売木村へ行く度に最近は通る。往復ではなく、行きは平谷村周りで、帰途によく使う。車がほとんど通らないから、意外と早く阿南まで抜けられる。

 丸畑渓谷は、売木村から阿南町へ入るあたりの渓谷のことを言う。ポットホールがあったり、滝があったりと、静寂な空間なのだが、谷が深く接近しているため、日中は明暗がはっきりしていて、眼に留まってもここぞという景色を仰げないのが実情だ。昨日同じように売木川を下っていて、紅葉の真っ盛りに出会った。とはいっても今年の紅葉は「イマイチ」と感じだ瞬間でもあった。枯れている葉も多く、まだこれから最盛期だとは思うのだが、木々によっては葉を落としてしまっていて、カメラを構えても思うような景色にならない。もちろんカメラが眼線とは異なるのも事実で、写真にしたからといって美しく再現できるものでもないが。狭い道の少し広めのところに車を停めて川に降りて見ると、やはり明暗がはっきりしていてうまい具合には写せなかったが、雰囲気は十分な写真が1枚目である。河床には花崗岩の凹凸が激しく現れ、近くにはポットホールも。切り立った方丈節理の岩は、村のHPでも紹介されているように、寝覚の床を思わせる。見上げれば紅葉の赤と黄色のコントラストとなるが、やはり明暗があって、うまい具合に写真に納められるのは一瞬なのかもしれない。結局、わたしが川に降りている間、通過する車は1台もなかった。県道ではあるが、仕事で通る車以外、まず通る車がいないのがこの道であ。

 さらに川を下っていつもどおり日吉の集落へ入るが、道から見上げるような位置に燃えるような紅葉が捉えられた。日吉の紅葉もこれから盛りである。

コメント

2年ぶりのツボ採り

2015-10-12 23:37:37 | 自然から学ぶ

 

 実は毎年行っていたため池管理の水抜き、昨年は実施しなかった。当番の都合もあって、あまりに時期が遅くなってしまい、「今年は辞め」になった。今年は我が家が当番だったこともあって、時期を逸しないように計画し、本日2年ぶりの水抜きとなった。もちろんツボ採りの日である。生態系の変化、と言うよりはため池の変化によって、このごろはかつてにくらべるとツボの収量は少ない。紐解くと、「ツボの激減」でツボの収量の変化を扱った。かつては祭日前にツボ採りを行って、祭りの肴にしていた。昭和時代は祭典前に実施したものだが、平成に入ってからは、おおむね祭典日以降の実施だ。そんな時期も収量に影響しているのかどうか。いずれにせよ暖かい日の方が干した後のため池の底に、ツボが浮かんでくる量が多いと言われている。したがって昨年のように時期を逸すると生き物の動きも鈍くなる。今年の収量はバケツに半分強というところ。一昨年に比較すると多かったという印象はあるが、ある程度採れた段階で「もう辞めよう」ということでそれ以上拾わなかった。したがって採ることを重視していた過去に比較すれば、池の底にはまだまだツボの姿が見えていたから、ここ二度ほどのツボ採りにくらべると、量は多かったと言えるのだろう。

 ツボはそれほど変化はなかったものの、「少ない」と思ったのは魚である。泥吐けと言われる底に設置されたゲートを開けると、底樋の出口に魚が流れてきてそこそこの収量を得たのだが、最近はその量の減少が気になる。一昨年の日記にも「例年ならすっかり底まで抜かないうちに魚が底樋の出口で捕れるのだが、今年は流れに逆らえないのかおたまじゃくしばかりが流れてくる。魚がいなくなってしまったのか、と思うほど流れ下ってこないのだ。それでもさすがに最後にはモロコやメダカが流れ下ってきて安堵」と書いている。同じように底樋ゲートを「これで最後」といって開けたときに魚が流れ下ったが、それまではまるで魚が流れ下らなかった。そういえば今年はオタマジャクシの姿が少なかった。妻が「カエルが減った」と言っていたが、ため池に生息するカエルも少なかったのだろうか。そして「増えた」と思ったのはドジョウである。泥が溜まって「なんとかしなくては」と言っているほどだから、ドショウの生息環境が整ってきているということになるのだろう。こんな状況だからもちろんのことであるがゲンゴロウは少ない。それでもかろうじてゲンゴロウの生息を確認できて安堵である。減少した魚の状況もあって、最近は魚類を持ち帰る家もなくなった。子ども達がいくらか持ち帰るだけのこと。メダカの量は相変わらず多いが、さすがに我が家でもメダカを煮て食べるとことはなくなった。

 それにしてもここ数年この地域のあまたのため池を見てきたが、ほとんどのため池が管理されていない状況である。水利を求められなくなっているため池も多い。かろうじて草刈をしていても、こんな具合にため池の水を抜いて管理を実施しているため池は皆無に近い。かつてはどこのため池でも必ず行われていたことなのだが…。そういう意味ではこの年中行事は習俗としてみても、かなり希少なものと捉えられるのだが、それ自体に気づいている人は、行政関係者にほとんどいない。

コメント

今年のアサギマダラ

2015-09-27 23:26:56 | 自然から学ぶ

 

 今年もアサギマダラがやってきた。近ごろはあちこちでフジバカマを育て「アサギマダラがやってきた」と報道される。以前からフジバカマを増やしてアサギマダラを呼び込んでいた妻にとっては、最近の世の中の流れには思うところもあるだろう。休耕している田んぼにフジバカマをもっと増やそうと口にはするものの、思うほどに手を掛けられていないのが実態である。甘い蜜に誘われてやってくるのはアサギマダラばかりではない。ヒョウモン系の蝶や、ミスジチョウ系の蝶などさまざまだ。だからアサギマダラをファインダー越しに狙っていると、ほかの蝶が近づいてきてアサギマダラが飛び立ってしまう、なんていうことも今年は何度もあった。

 1週間ほど前から妻からはアサギマダラの到来を聞いていたが、なかなか会えなかったアサギマダラ。ようやく薄曇りの昨日会えたというわけだ。今年やってきたアサギマダラは人の気配に敏感だ。したがって人がフジバカマの周囲に立っていると、なかなか近くへやってこない。それでもこの日姿を見せた2頭のうち、1頭は人慣れしていてすぐに仲良くなれた。妻が言うには3頭姿を現した日もあったとか。いまだ1頭だけしかファインダーに入らないが、いつかは複数頭の姿を一緒に捉えたいと思っている。やはりもっとフジバカマを増やすに限る。

 

これまでのアサギマダラ

コメント

暑さ、折り返し

2015-08-07 23:11:24 | 自然から学ぶ

 

 FM長野のパーソナリティーが「暑さが折り返した」と口にして「自分はそう思うんだけれど、違いますか」と言っていた。確かに数日前の暑さが少し和らいだと思うのは、夕方や朝方の気温がそれまでと違ってきたところにある。今日も午後2時ころから雷鳴が響き、雨を期待させたが、結局ここまでは雨は来ず、そんなとき尚さら湿度が上がって蒸し暑さを体感する。それでも遠くで降っている雨の風がやってくるのか、しだいに涼しい風が…。4日に訪れた強い雷雨以降、「折り返した」という雰囲気はけして嘘ではない。まだまだ暑い夏は続くと報道されているが、身体も慣れてきてこれまでのような体感はないのかもしれない。

 最近あまり触れなかったことだが、我が家から見える烏帽子岳背後の空が、夕方にさまざまな光景を魅せる季節だ。仕事で利用しようと天竜川東岸から望める夕焼けを撮ろうと時をうかがっているのだが、今撮りたい、と思ってもすぐそこに足を運べるわけではなく、チャンスを得られていないのが実際だ。もちろん撮影する場所も探している状態で、周囲の景色の変化もあってそのポイントを決めかねているし、思うように夕焼けが現れてくれないのも、試行錯誤。そもそもどこに出る夕焼けを、思うと、やはり「風越山」の背後だろうと考えている。ところが意外と風越山の背後が焼けないことに気づく。最近は「夕焼けは西山に現れるもの」と思っていたら、意外に東の山の上に現れたりすることに気づく。「日没の頃、西の地平線に近い空が赤く見える現象のこと」を「夕焼け」と言うらしいから、正確には東の空に現れるものは「夕焼け」ではないのだろうか。比較的曇っていた西山の空を見て「今日は出ないだろう」と思っていると、急激に周囲が赤くなってきて夕焼けが現れたのが今日だ。「曇っていた」とはいえ薄曇りだったことが幸いしたのか。毎日観察していたわけではないが、烏帽子岳背後の空が焼け具合は今年最高だったかもしれない。時を刻むごとにその色は変化していくが、薄曇りの空はただただ焼け具合だけが変わっていった。以前「空の変化」で触れた際のように入道雲はなく、そしてはっきり晴れ渡っていなかったことも多様さには欠けた。とはいえ背後の空は見事に一様に焼けた。あたり一面が朱に染まったのは言うまでもない。

 左の頂きが烏帽子岳、右の頂きは南駒ヶ岳である。帰宅しながら「どこでカメラを構えれば良いだろう」と思っていたが、結局我が家の横の空き地から撮ったもの。午後7時6分である。

コメント

暑い夏へ

2015-08-02 23:45:55 | 自然から学ぶ

 県内10地点で猛暑日となったという。最高は飯田市南信濃の36.8度。いつも言われていることだが、実際南信濃では県内一というほどの暑さは感じないという。実感する暑さと、温度計の暑さは微妙に異なるのは、湿度にもよることは知られている。昨日に続いて、今日も妻の実家で畦の草刈りをした。昼休み後の日中最も気温の高くなる時間帯に外に出ようとすると、妻は「まだ暑いで止めな」という。たしかに周囲で外で働いている人はいない。しかし、よそから作業に来ている身にとっては、休んでばかりもいられない。休憩を取りながらでも炎天下で働かざるを得ない。日々暑さが増しているように思うが、昨日のため池の草刈りに比べると身体的にはかなり楽だ。畦草程度を刈る動作はそれほど大きくなく、加えて斜面で足を踏ん張るようなことがなければ、無理な力をかけることもない。とはいえ、休憩のたびに家に入り、扇風機で身体に風邪を…。そういえば子どものころ、父は仕事から昼時や夕時に帰ってくると、同じように下着1枚になって扇風機の風邪を浴びていたことを思い出す。あの時代は今ほど気温は高くなかったかもしれないが、父の仕事は草刈りの比ではなかった。炎天下で石割りをしていたのだから、かなりの重労働だったはず。今どきの人ではとても堪えられない仕事ではないだろうか。

 道路に出ている「草刈作業中」という看板の近くの日陰で腰を下ろして休んでいる光景を、あちこちで見かける。この暑さの中で、継続的に作業を行なうことは不可能だろう。いくら請負だとしても休憩している方が長いんじゅゃないか、というくらいでないとやってられない。

 「暑さ」というと二十歳そこそこのころの飯山時代の暑さは異常に感じた。夜も寝苦しく、窓を開けていないと寝られなかった。いや、窓を開けていても寝苦しくて仕方なかった。街の中ということ、家の立地、などもあったかもしれないが、飯山で過ごした4度の夏は格別なものだった。雰囲気では解りにくいのでデータで示してみよう。グラフはいずれも7月の最高気温である。飯山で初めての夏を過ごした1979年のデータを赤の点線で、今年の飯山のデータを赤の実線で、そして我が家から最も近い気象庁の飯島町七久保にある観測所の1979年のデータを青の点線で、同じく今年のデータを青の実線で、そして参考に飯田における今年のデータを黒の細線で示した。点線である1979年のデータの方が平均的に低い位置で変化していることで、当時の方が気温が低かったことは歴然である。とはいえ、当時の飯山の気温は、今年の飯島のデータと平均的には同じあたりを推移している。にもかかわらず当時の飯山がとても暑かったという印象は、湿気からくるものだったのだろう。今年の変化をみていると、基本的に飯島の気温は飯山のそれよりほとんどの日において低い。そして35゜以上の日が飯山では4日、飯島では皆無である。今年の夏が暑いという印象を持つと、今年の飯山はあの1979年の夏より暑いということになる。かつて暑さには比較的強い方だったわたし。果たして現在の飯山で、わたしは堪えられるだろうか。

コメント

マムシ

2015-07-31 23:49:39 | 自然から学ぶ

 ちまたから蛇の姿が少なくなったという印象は誰しも持っているだろう。蛇そのものに遭遇したくない人の方が多いだろうから、それを危惧する人も少ないだろうが、もちろんわたしもできれば遭遇したくない。マムシといえばそんな蛇の中でも噛まれると死にも至る注意したい蛇である。天竜川東岸の地域ではマムシが多いと言われ、子どものころ天竜川東岸地域の山の中に遊びに行くと、注意しろとよく言われたものだ。そう言われたものの、実際にマムシに遭遇したことは数えるほどだった。その後社会人になって飯山で過ごしたころ、関田山脈の麓の現場に行ってそれまで遭遇したマムシの数を一気に上回る数のマムシに1箇所で出会った。上回るなどという比ではなく、周囲には数えられないほどのマムシがとぐろを巻いていたのである。足をどこへ持っていこうか、と思うほどの状態で身動きができなかったほどだ。一緒に行った先輩もマムシは得意ではないようで、まともな調査もできずに現場を後にした。まさにこの季節、そして日本海側のジメッとした空気が異様な暑さを呼んでいた日だった。その後同じような現場に遭遇したことはなかったが、飯山にはマムシが多いという話を聞いた。

 先ごろ我が家の水田の畦草を刈っているとまさにマムシに遭遇。しばらくすると水田の中に入っていったが、ちょうど妻が田の草取りをしていた時期だけに、妻も心配に。その後その水田で遭遇していないが、周囲でもそのあたりにはマムシがいると言われていたようだ。マムシが生息するところでは「やはり」という具合にマムシに遭遇するもの。妻の実家の周囲の土地にはけっこう「あそこにはマムシがいる」という場所があるが、幸い言われるほど遭遇していない。いても気がつかないだけで、昨年もわたしが草刈をしたあとに、妻が「マムシが切られて死んでいた」と教えてくれた。刈払機による草刈りはともかくとして、素手で作業をするようなときは注意をしなければいけないのだろうが、遭遇する機会が少ないのでそんな注意はすっかり忘れてしまう。わたしの生まれ育ったところではマムシに出会うことはなかったので、わたしの記憶の中の「マムシ」は縁遠いものという感じだ。

 先日豊丘村の現場で作業をしようとしていると、地権者の方に「このあたりにはマムシがいるから気をつけて」と注意された。雰囲気的には今までマムシに遭遇した環境とはちょっと違うのだが(けっこうドライな環境)、聞くところによると周囲の水田では稲刈りの際にバインダーでマムシを一緒に刈ってしまい、稲架に干そうとしたら稲束にマムシが挟まっていたなんていう話もあったとか。

 

 以前にも触れた ようにわたしは“かぶれ”安い。そして“かぶれ”るとマムシ酒を塗る。良いのか悪いのか解らないが、一応自分では効き目があると思っている。

コメント

久しぶりに“ミヤマシジミ”へ

2015-07-27 23:07:32 | 自然から学ぶ

 

 何年ぶりだろうか、中川村渡場の天竜川畔を訪れてみた。主旨は護岸の今の姿を確認してみようと思ってのこと。最近現場に出るたびにコマツナギの花を見ていたので、食草としているミヤマシジミの様子を見てみようと思ったからだ。ミヤマシジミといえばコマツナギというほどよく知られていて、最近はミヤマシジミの保護のためにコマツナギを増やそうという話もよく報道される。意外に天竜川の護岸にはこのコマツナギが多く自生していて、天竜川ではミヤマシジミの姿をたびたび確認できる。渡場の護岸でもかつて多くミヤマシジミの姿を確認することができたのだが、今訪れるとその姿がかなり減ったようだ。コマツナギの花はかつてと同じように姿を見せているのだが、何が変わったのか、かつてより護岸に土が溜まって草丈の高い雑草が生え始めていることも事実。近年護岸の上部まで水深が上がるような洪水が起きていないことも要因だろう。もともと川の環境は洪水によって一変する。そんな洪水の繰り返しが、希少性の高い植物を維持してきたともいえる。時には大洪水がないと、河川敷内も雑草に覆われてしまうというわけである。

 コマツナギの群生する護岸では、かつてミヤマシジミのほかクロツバメシジミも確認できた。ミヤマシジミの個体数はかなり多かったと思うのだが、そもそも蝶が舞う姿が見られない。写真の蝶は羽が傷んで色もあせた感じのミヤマシジミである。短時間だったということもあるが、周囲を見渡してもこの1個体しかミヤマシジミは確認できなかった。近くで交尾をしている蝶が。ツバメシジミのようだ。シジミ系の蝶はこの3個体しか確認できず、群舞していたあのころの光景はまったくなくなっていた。

コメント

“宵待ち草”

2015-07-25 23:37:07 | 自然から学ぶ

 

 さすがに草をそのままにして置けずに、炎天下に刈払機の音がいくつも響いた。猛暑日と言われる35゜以上になろうかという気温の中、作業を始めると、そう長持ちせずに休憩したくもなる。今朝はため池の草刈があって、午前6時前に妻の実家に。この時間帯ならまだ楽というわけだが、ため池への道沿いの荒らしたままの水田にオオマツヨイグサが盛んに花を咲かせていた。すでに陽が登ってしばらくたっていても、まだ開花したままに楽しませてくれる。夕方は花を開かせるのにはかなりの暗さが必要だが、しぼむ際は惜しむようになかなか花を閉じようとしない。「宵待ち草」と言われるものがどんなものだったかははっきりしないと、堤久氏はいう(『信州身近な草花妙』長野県自然教育研究会)。これは造語であって、実際はオオマツヨイグサのことだったらしい。オオマツヨイグサについて「月見草」で触れた。ため池への道沿いの水田の畦にこの花を育てているのは妻だ。耕作しなくなってからは、その種が水田の中にも広がって、今は畦よりも休耕している水田の中に花を咲かせるようになった。そしてそもそもその種は堤久氏よりいただいたもの。「月見草」でも書いた通り、畦にある花々を意識して刈らないように気を使うが、オオマツヨイグサは茎が太いから、誤って刈ってしまうことはそれほどない。

 堤久氏の前掲書によると、秋に播いたものが翌年の初夏にすべて開花するわけではないことが解ったという。翌年咲くことができるのは、秋から春にかけてロゼット葉が径10センチ以上に育ったもので、それ以下のものは開花しないという。そして3年目、あるいは4年目になってそれらは開花するらしく、二年草と言われているオオマツヨイグサだが、実際は3年、4年草のものがあることが解った。こうした草は可変性二年草と専門的には言われているという。いずれにしても開花する際の神秘性は魅力。一面オオマツヨイグサにして、この時期の午後7時過ぎには、あたりに開花の際の音が鳴り響くだろう。そんな空間を作り出そうと妻の意図を汲んで草刈をする。綺麗に刈られた畦に、取り残されたように咲く草花には、こうした管理者のこころが通う。先ごろ仕事でお世話になっている同じ喬木村の水田に出向くと、同じように畦に取り残された草に花が咲き始めていた。ミソハギである。この花が咲き始めると、盆が近いと感じる。草刈をされている方の気配りが十二分に伝わる光景だ。

コメント

“イワタバコ”咲く

2015-07-21 23:43:01 | 自然から学ぶ

 

 泰阜村の左京川の谷から取水している水路は、延々と山腹を引かれて田本まで導水されている。30年も前のこと、この水路を下流から延々と歩いて入ったことがあったが、当時は山に生えている木々も、そう大きくはなく、炎天下にさらされていた記憶がある。ところが30年も経てばそうした木々も大きくなり、今は山腹にある水路のほとんどの区間は木々に覆われて日陰となる。そうした環境変化がもたらせたものかどうかは解らないが、久しぶりに歩いた水路脇に、たくさんのイワタバコの株を見ることができた。

 イワタバコとはイワタバコ科の多年草で、湿った岩壁に着生すると言われる。近ごろ発刊された『信州身近な草花妙』(長野県自然教育研究会)の中で堤久氏も次のようにイワタバコの生育環境を記している。「道を横切る小さな渓谷の崖で「イワタバコ」の花を見つける。水の滴る薄暗い岩壁で、ひっそりと咲いているイワタバコの小さな紅紫色の花」と。「薄暗い」、そして「岩壁」というのがこの花のキーワードとも言えそうだ。そういう意味では、かつて歩いた水路伝いの管理道は、陽がよく当たっていたと記憶するから薄暗くはなかったと言えそうだ。木々が大きくなった今も、「薄暗い」というほどではなく、そこそこの日差しによって明るい樹林下といったところ。針葉樹の多いところでは確かに薄暗さはあるが、延々と歩く水路伝いにそんな環境下はわずかだ。かつての炎天下だった、という印象はけして印象だけではなく、事実だったと断言できる。したがってかつて歩いた水路伝いにイワタバコが咲いていた可能性は低いのかもしれない。そして今その姿を盛んに見せてくれている環境は、「岩壁」というよりは「コンクリート壁」がほとんどだ。おそらく崩落してしまったところを土留工としてブロック積によって復旧した壁面に、それは咲いているのである。歩いていて最初に気がついたのも、コンクリートブロック積の壁面だった。その後注意深く歩いてみると、この水路沿線にはたくさんイワタバコが咲いている。そして多くは同じようにコンクリートブロック積の壁面なのである。ようは自然の岩壁ではなく、人工的な工作物の上に根を張っているのである。意外に強い種とも言えそうだ。人工的工作物の上に咲くものといえば、ツメレンゲもそうだ。まさに岩壁と類似した環境に、コンクリートブロック積面があるといえるのだろう。

 イワタバコは長野県内ではとくに希少種として指定されてはいない。しかし、それほど見られる植物でもなく、希少植物の指定を受けているものよりむしろ見慣れない種かもしれない。全国では7県において指定されており、隣の新潟県では絶滅危惧Ⅰ類だという。堤久氏によると、伊那谷では北上するに従い減少し、松川町小渋川付近が分布限界だという。今回見つけたイワタバコは、ほとんどが足元のブロック積の壁面に咲いていた。したがって上から見ると花をわたしの方には向けずに、そのほとんどは垂れて下を向いている。この点についても堤久氏は「岩上にあるものは直立して咲くが、急な崖にあるものは垂れ下がって咲く」と記している。まさにその通りなのである。もうひとつ堤氏は興味深いことを記している。「花をつけないうちに柔らかい葉を爪で切り取る。これをアク抜きしてから、薄く衣を付けてそのまま天ぷらに、軽く塩茹でしてさらして味噌和え、胡椒和え、おひたしなど、いろいろな料理にして楽しめる」と。タバコの葉に似ているところから「岩煙草」と言われるようになったと言う。タバコの代用はできないが、食べられるというところがいい。

コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****